ヴェイアの夜会
高級ドレス店を出ると、先ほど家族連れを乗せて走り去った馬車と同じくらいに豪華な馬車が停まっていた。御者がこちらを向いて深いお辞儀をする。
まさか、これに乗るのだろうか。
「うわっ」
フォルテナは馬車に見とれたまま歩いて躓き、すんでの所でジギーの長い腕に支えられる。
「おい。今から汚すなよ」
ジギーはフォルテナを立たせて、肘を差し出した。組めというのだろうか、こんなに人の多いところで冗談じゃない。フォルテナはムッとしてその腕を払った。
「お気遣いなく」
フォルテナはどこへ行くにも機関から支給されたブーツを履いている。あのブーツのなんという機能性の高さ! と変なところに感心した。
それにしてもこの靴は歩きづらい。そう思ったそばからまた躓いた。今度はジギーの助けなしに踏みとどまれたが、にやにや笑いを隠しもしないジギーが再び肘を差し出した。
「パーティーが終わっちまう」
フォルテナは仕方なくその腕に捉まって歩いた。とても歩きやすく、なるほど、着飾った女たちは、だから男に腕を絡めて歩くのか、とフォルテナは思った。それとも腕を絡めるためにこの靴を履くのだろうか。
無事に馬車に辿り着き、ふらつきながらも座席に座って、フォルテナは隠しもせずにため息をついた。
「こんな格好をして、何をする気なんですか? 冗談なら許しませんけど」
「潜入捜査だと言っただろう。ゾーミエ・ザッカルのパーティに行く。いいか、中では絶対にエレミタじいさんの名前は口に出すな。それよりも、半年前に死んだゾナイヤ・ザッカルについて聞き出す」
ジギーはじっとフォルテナを見る。視線を逸らさずにまっすぐに相手の目を見るのはジギーの特徴で、もうすっかり慣れた。そのはずなのに、いつもとは全く違うジギーに困惑して、フォルテナは目を伏せる。
上げた前髪のせいだと思う。いつもはこんなにはっきりと目が見えていなかった。だらしなく伸びた前髪と、あの汚い帽子で隠されている。
自分は、こんな目で見られていたのか。精霊になったというジギーの娘の事をフォルテナは少し思った。
「ザッカルの名前くらいは聞いたことがあるだろう? ヴェイア一の権力者だった。商売敵が次々に病死したことで財を成した。五十過ぎの太った女で、誰もが知る程の守銭奴。その反面、孤児院に多額の寄付をしている慈善家」
次々に入ってくる情報に、余計な考えを押し出してフォルテナは耳を傾ける。そういえば、イグマイの事務所でジギーに新聞記事を見せられたのが始まりだった。
フォルテナは記憶の糸を手繰る。
妙な弾丸で死んだダウロン・バセッサ、ミヴェでスブハ ・ シュッフェが同じ弾丸で死んでいて、半年前にはヴェイアのゾナイヤ・ザッカルが謎の水死。
そういえばダウロン以外の二人も、新聞にそんな記事が載っていた気がする。だが、フォルテナは新聞を隅々まで読んだりはしないのでその記憶はあいまいだった。
黒い噂のある富豪の奇妙な水の事故、確かにきな臭いが、ここヴェイアには自宅で焼き殺された憐れなエレミタ・ベッカーの過去について調べに来たはずだ。
「これから行くのはゾナイヤの娘、ゾミーエ・ザッカルの主催するパーティだ。つまるところ、母の権力は自分が全て引き継ぎますって顔見世だな。アマランス領だけじゃない、この島全域から有力者が集まる」
「……それは、招待状もなく入れるものではないでしょう」
ジギーはにやりと笑って、答えなかった。会場に入る伝手もないのに正装して馬車で乗り付けるほど、ジギーも馬鹿ではないと思うが、そんな伝手がどこにあるというのだろうか。
ジギーは、フォルテナの疑問にはお構いなしで話を続ける。
「知りたいのはゾナイヤの死の真相。面白おかしく尾ひれの付いたものでもいいから、聞き集めるんだ。ゾナイヤ・ザッカルの水死にはおかしな噂も流れた。ゾナイヤは水の一滴もない金庫の中で水死したんだと。おおかた、金に溺れたんだろうってな」
「金庫で……でも、ただの噂でしょう? まさか、それにも精霊の力が関係していると? 」
ようやく、エレミタベッカーの死と繋がって、ジギーの思惑がわかった。だが、どうしても精霊憑きのせいにしたいらしいジギーに少し困惑する。そんなフォルテナの気持ちはお見通しだというように、ジギーは口の端を上げた。
「だから、それを調べるんだよ。何故、そんな噂が流れたのか。全く濡れていない状態で、ゾナイヤを水死させられたのは誰か」
あり得ない銃弾、あり得ない焼死に、ありえない水死……それのすべてに精霊憑きの能力が関わっていると、ジギーはやはり思っているようだ。
だとしたら、なぜ精霊堕ちが出ないのか。
精霊堕ちが出ないからこそ、精霊憑きは関わっていないと言えるのではないだろうか。
とはいえ、それを口に出しても、議論が堂々巡りになるだけである。
「ゾナイヤが殺した。いや、殺したかもしれない者たちの死因も合わせて調べたい」
ジギーが窓の外に目を移す。雨が降り出していた。
***
馬車は大きな屋敷の門をくぐった。門をくぐってからもなかなか屋敷は見えない。そのうちに、通り両側には大小さまざまの馬車が並びはじめた。これが全て招待客なのだろうか。
「いらっしゃいませ」
フォルテナとジギーが馬車を降りると、執事長らしき初老の男が深々と頭を下げた。馬車は走り去り、ジギーはイヴニングの内ポケットから金の箔押しがされた封筒を取り出して渡す。
「スノーク様、よくおいでくださいました。どうぞ中に」
一瞬驚いた顔をしてジギーをまじまじと見つめた男は、恭しく頭を下げる。ジギーは背筋を伸ばしてその前を通り過ぎた。いつもの背中を丸めて踵を引きづっているのに、異様に早いあの歩き方ではない。しっかりとフォルテナに歩調を合わせ、顔を上げて歩く姿はどこから見ても上流階級の人間に見える。
「ジギー、スノークと聞こえましたが?」
「コネがある。気にするな」
スノークとは、マスカダインで五本の指に入る富豪の名だ。そんな家にコネがあるなんて、気にするな、と言われても無理な話である。
にやつくジギーの顔を見て、そんなに気になるのか、と言われたら癪にさわる、とフォルテナは黙って階段を登った。
大きな扉が開くと、賑やかな音楽が波のように押し寄せてきた。天井の高いホールを通って案内に従って会場につく。天井から壁まで優雅に飾り付けられ、敷き詰められた真新しい絨毯にはシミ一つない。どうしようもない居心地の悪さを気取られないように、フォルテナはぐっと顎を上げた。
フォルテナとジギーは部屋の隅に陣取って、パーティの開始を待った。周りの話題に耳を澄ませるが、堅苦しい経済の話か、賭けや女などの遊びの話ばかりで、死んだゾーミエの話をするものは居ない。
会場が静まり返って、何事かと視線を送ると真っ赤な口紅に真っ赤なドレスの派手な女が一段高く設えられた舞台に立った。おそらくゾナイヤだろう。母は背が高く太り肉の女だと聞いていたが、娘は豊満な体つきの美女だった。
本日はお集まりいただき、という定型の挨拶が簡単になされて、次々と来賓の祝辞が述べられる。どうぞ、召し上がりながら……とそこかしこでかけられる声に、会場はにわかに活気づいた。
「動きますか?」
喧騒の中、ジギーにだけ聞こえるように、フォルテナは声を潜める。
「いや、もう少し周りが落ち着いてからにする。まずは腹いっぱい食って……一曲くらい踊ったらどうだ?」
「冗談ですよね? 手分けしましょう」
軽くジギーを睨んで、フォルテナはさっさと食べ物の並ぶテーブルへと向かった。かかとの高い靴も、石畳ではなく平らな床なら歩けないことはない。
「いらっしゃませ、ようこそ」
踏み台に乘った十歳くらいの少女が、フォルテナに向かってぺこりと頭を下げて、グラスを差し出した。見ると同じようなシンプルなドレスを着た少女が会場に数人いる。
清潔なものを着ているが、来客の子供たちと比べるとあまりに質素ないで立ちだったし、雇われたにしては幼過ぎる。フォルテナはグラスを受け取りながら、少女に質問をした。
「ありがとう。ええと、あなたは何故ここに?」
「私たちはザッカル様の孤児院でお世話になっている孤児です。本日はおいでいただきありがとうございます」
よく見れば、テーブルの上には、細長い穴の開いた木箱が置いてあり「恵まれない子供たちに善意を」と書かれている。フォルテナは銀貨を一枚、穴から落とした。
「ありがとうございます」
三人ほどの声が揃った。なんだかいたたまれない気持ちになって、フォルテナはいくつかの料理を皿に盛って、部屋の隅に移動する。誰も居ないバルコニーを見つけて、外に出た。こんなところに逃げ込んでいたのでは調査にならないが、まずは腹ごしらえ、と自分に言い訳をする。
「え!?」
誰も居ないと思っていたバルコニーには先客がいて、フォルテナは思わず叫ぶ。孤児たちの着ていたのと同じドレスを着た少女が、バルコニーの隅で丸くなっていたのだ。
「ご……ごめんなさい」
謝って逃げようとする少女の手首を、フォルテナは咄嗟に掴んだ。はっとしてフォルテナを見あげた少女の頬に涙の跡があったからだ。
「いいよ。私が後から来たんだから。良かったら一緒に食べない?」
少女は困ったような顔でフォルテナを見上げる。
「見つからなければいいのよ。見つかったら私が一緒に謝ってあげるから」
ほら、とフォルテナはバルコニーの床に座り、少女を隣に座らせた。少女は驚いたようにフォルテナを見ているが、逃げる気はなくなったらしい。
「お姉ちゃん、お洋服汚れちゃうよ?」
「体を汚さないために服を着てるんだから、服は汚れていいのよ。ほら、食べて」
フォルテナがペロっと舌を出すと少女はやっと微笑んだ。元々、気が弱くはないのだろう。フォークを手渡すと、差し出された料理をぱくぱくと食べはじめた。
フォルテナが見ていることに気が付くと、フォークで突き刺した料理をフォルテナの顔の前に差し出した。フォルテナが口を開いてそれを食べると、嬉しそうに笑う。
一つの皿の料理を一本のフォークで仲良く食べていると、小さい頃のことが思い出された。フォルテナに好きなものを選ばせて、自分は残ったものを食べているのに、嬉しそうに笑っているヒュンメル。涙がじわっと滲んで、フォルテナは少女に見つからないように慌てて星を見上げた。
「ね。どうして、泣いてたの?」
少女が食べ終わったのを確認して、フォルテナは何でもない事のように問いかけた。少女の眉が曇る。さっきまでの明るい表情が消えて、言おうかどうしようか迷うようにして口を開いた。
「明日、私の番だから……」
嫌な想像がフォルテナの胸をよぎった。経営者が大声で自慢するように、孤児院にいる子供たちが健やかに育てられているわけではない。
孤児院で育った多くの少女が、その後娼婦に身を落とすことも知っているし、幼児趣味を持った人間の存在も知っている。それにしても、この子は幼な過ぎるではないか。
「私、もう行かなくちゃ」
少女はすくっと立ち上がった。フォルテナは体の角度を変えて、少女の進路を阻む。少女の目はもう怯えてはいなかった。使命感さえ感じる目つきでフォルテナを見ている。
「わかった。それはもう聞かないから、名前を教えて」
「イスラ」
少女は堂々と名乗る。こんな境遇にあって尚、自分に誇りのある強い子なのだと思った。それはかつての自分が確かに持っていたものだ。フォルテナは目がくらんだような気がして静かに瞬きをする。
手を伸ばせばこの子を助けられる。それは偽善だろうか。
「先に名乗るべきだったわね。私はフォルテナ。トギノス機関イグマイ事務局のフォルテナ・フルス」
失礼な聞き方をしたことを詫びてから、フォルテナも名乗った。それを聞いたイスラの目がまん丸に見開かれる。
「精霊憑きなの?」
イスラ遠慮することもなくフォルテナをまじまじと見る。ここで炎でも出してやれば子供は喜ぶだろう。白い手袋の下で、赤く光る欠片を見せてやってもいい。だが、なぜかこの子にはそれをしたくないと思い、フォルテナは頷くだけにした。
イスラが両手で自分の頬を抑える。息をのんで黙っていたかと思うと、早口で話し始めた。
「精霊憑きは神さまの欠片を持ってるんだよね? いい人なのよね? 力もあるのよね? お願い、妹を助けて。ほかの孤児院にうつして欲しいの。なるべく早くに」
取り乱したように、必死な顔で縋りついてきたイスラに内心驚きながら、フォルテナになだめるようにその背中を叩いた。
「他にうつす? それが助けることになるの? どうして? あなたはどうするの?」
フォルテナは矢継ぎ早に質問した。次は自分の番だとこの子は言った。そして、そんな自分の人生を享受していることもわかる。
それでも妹だけは助けたいのだろうか。ほかの孤児院に移したとしても、おそらく待遇はそう変わるまい。
それとも、この子について自分は何か勘違いしているのだろうか。
「……妹を助けて。わけは手紙に書くよ。そして妹に手紙を持たせておく。妹を助けないと手紙はなくなるよ」
「秘密があるの? どうして今は言えないの?」
続けて質問するフォルテナに向かって、イスラは気の強そうな眉を吊り上げる。今にも癇癪を起しそうに手をぎゅっと握っている。
「言わない。だから、妹を連れ出して。フォルテナが来たら手紙を渡すように言うから」
フォルテナは少し考える。トギノス機関の意向として、協会に依頼すれば孤児院を移動するくらいは恐らく可能だろうと思う。
「やってみるけど」
「本当!?」
イスラは離してまっすぐにフォルテナの目を覗き込んできた。強い瞳に気圧されそうになる。出来るだけのことをする、とフォルテナは頷いた。
「ああ。ありがとう、フォルテナ・フルス」
イスラは胸に手を当てて一瞬目を閉じた。満足げなその顔は神々しいと感じるほどだった。再び目を開けると、イスラは軽やかになった顔で鮮やかに微笑んだ。
「妹の名前はアティファ。忘れないでフォルテナ。アティファよ」
少女はそれだけ言うと身をひるがえし、引き留める間もなく会場に戻っていった。慌てて後を追ったが、同じドレスを着た同じような背丈の子が沢山いて見つけることが出来なかった。