薔薇と梅と 4-2★
お父様サイドその②。二話同時投稿ですので、前話から御覧下さい。
暴漢に襲われたショックで流産しそうになったが、桃香は持ち前の精神力で耐えた。しかし、お嬢様育ちで精神的に強くない蘭子は、不安定な精神状態だった為に早産してしまった。
未熟児として生まれた娘は、梅子と名付けられた。自分が名付けたわけではく、祖父である父親が名付けた。
そしてその数ヵ月後に、桃香が出産した。桃香に似た可愛い女の子だった。その子に百合子と名付けた。
その頃から、桃香との間に埋められない溝が出来てしまった。
原因は蘭子が梅子を産んだ事だと分かっていた。例え薬によって前後不覚にされた上に、拘束されて犯されたと解っていても、どうしても信用できないのだろう。梅子の存在が桃香にとっては裏切りの証で、耐え難い苦痛なのだろう。
その上、桃香と百合子には常に命の危険が付き纏った。両親に蘭子、そして蘭子の父親である糸敷侯爵に敵視されていたからだ。
百合子を殺そうとする一方で、梅子に愛情を注ぐ奴らに、怒りと憎しみしか沸かない。梅子に花を贈らなかったのもそれが理由だった。贈らなかった自分に代わり父親が贈った梅の木を残らず抜いて、代わりに桃と百合の花を庭いっぱいに植えた。いつか必ず自分の元で暮らせるように願っての事だった。
春先から桃、桜が咲き乱れ、少し遅れて薔薇と百合が咲く。それを見ていると、一緒に暮らせない二人と居るようで、とても心が和んだ。
桃香と生まれたばかりの百合子を守る為、そして二人との時間を大切にする為に、家には殆ど帰らずに桃香たちのいる別邸で過ごした。家に帰る事があっても桜哉に会うだけで、両親たちには会いたくもなかった。
二人と桜哉と暮らす為には、両親と糸敷侯爵の権力を削り、こちらに手出し出来ない程の弱味を握らなければならないと思っていた。
しかし、侯爵も父親も神皇のお気に入りだ。他の有力な貴族もそちらの派閥に入っているか、余計な争いに巻き込まれないようにする者かだった。
……このまま、権力に屈してしまうのかと思っていた矢先だった。
一人の青年と出会ったのだ。
青年は漸く少年期を脱したばかりの若者だったが、纏う空気は王者のそれだった。
皇族らしい端正な顔立ちに、今時珍しい和服で身を包んでいて、一見にして隙のない佇まいだった。
その頃は、三ノ宮直系の男子の名を妄りに呼んではいけない風習が根付いていた為、彼は『牡丹の君』と呼ばれていた。彼の十歳下の弟君も『睡蓮の君』と呼ばれていた。
自分でさえ若輩者であるパーティーで、更に若くその上洋装ではなく和装で参加していた彼は、酷く目立っていた。
蘇芳色の生地に漆黒の牡丹が描かれた着物は、他の人間が着ると下品に見えるのだが、彼が纏うと不思議と艶が出るだけに留まっている。普通ならそんな奇抜な格好は嘲笑の的なのだが、皇族の嫡子だからか、それとも年齢の割りに鋭く研ぎ澄まされた野生の獣のような雰囲気だからか、遠巻きにされるだけだった。
やんごとない立場なのだが、護衛として連れているのは、二十歳そこそこの優男一人だけだったのにも驚いた。
末席に名を連ねていただけの自分に、彼は話し掛けてきた。
……その内容は、酷く危うく、酷く魅力的なものだった。
彼の話は至極簡単だが、成し遂げる確率は限り無く零に近い数字だった。失敗したらまず命はない。
牡丹の君は、神皇を弑逆し、新たな政権を打ち立てようとしていた。その為に神皇や支持する上位貴族の息の掛かっていない、特に若い貴族に声を掛けていたのだ。
ある程度の年齢の者は、派閥に取り込まれているか怯えて関わりを持たないようにしてる者ばかりだった。その点、後継者である若者は、まだ派閥に取り込まれていない。牡丹の君はそこを重視して、正義感の強い決して途中で裏切らない同志を吟味していた。
そして彼から我が伯爵家の現状を聞いた。
元々の浪費癖に加え、商才がなく部下に経営を任せていた為、横領が蔓延している状態であり、かなりの借金があるらしい。
通りで部下が自分に経営を任せないはずだ。甘い蜜が吸えなくなるばかりか、横領が明るみに出て責任を取らされるのを避けた為だったのか。
あまりにも杜撰な経営状態に頭が痛くなる。両親の会社に手出しできなかったのもあるが、継ぎたくなかった為に自分で事業を興していたので、気付きもしなかった。
糸敷侯爵にもかなりの援助を頼む代わりに、神狗の立場を悪用して、神皇に取り次ぎをしたりしていたようだ。
伯爵家の惨状を事細かに伝えた牡丹の君は、黒曜石のような鋭い瞳で、こう問うた。『国の為に親を殺せるか』―――と。
返事は応だった。愛したことも愛されたこともない、他人より遠い血の繋がりがあるだけの存在であった。最近は、最愛の存在を脅かす排除すべき存在だとも思っていた。
即座に親を切り捨てた答えを、牡丹の君はいたく気に入ってくれた。端正な顔に浮かぶ表情は、血に飢えた獣ように獰猛な哄笑だった。
―――そうして自分は、彼の狗となったのだ。
その日から怒濤の連続だった。
まず、神皇に擦り寄る貴族共の暗殺から始まった。下位の貴族は問答無用で殺し、上位貴族への脅しとした。勿論警察や軍も動いたが、どちらにも狗を入り込ませ間諜とし、貴族連中と癒着している上層部を摘発し大量に粛清した為に、残った下層の人間では抑止力にはならなかった。
上位貴族の中心メンバーとなっていた糸敷侯爵には、伯爵であり神狗であった父親と母親を、事故に装って殺した事で権力を削いで没落させた。
この事で逆上して、両親と同じく何度も桃香たちを殺そうとした侯爵が、いつまた彼女らを狙うのを牽制する為に、娘である蘭子を人質として伯爵家に監禁しておいた。蘭子の監視役として、牡丹の君が連れていた護衛の青年……青柳を執事に据えた。
そして、自分たち貴族の手の出せない領域……皇族の粛清は全て牡丹の君の手で行われた。
神皇と同じく政を私物化して享楽に耽っていた皇族は全て、神皇と共に牡丹の君と彼の狗の中の精鋭によって虐殺された。自分は暗躍するのが主だった為、宮中に上がったのは全て終わった後だった。
初めて入った宮中で一際豪奢な部屋にある玉座は、神皇と皇族の血に塗れ、嘗て牡丹の君が着ていた蘇芳色の着物ように鮮やかに彩られていた。
噎せ返る程の血の臭いの中、蘇芳色の玉座に座った牡丹の君の顔は、生涯忘れないだろう。
美しい顔に返り血を浴び、伯父であった神皇の首のない遺体を見下ろし、鮮やかに哄笑ったのだ。
牡丹の君の大胆で残虐な改革はこうして幕を下ろし、現在彼が賢帝と呼ばれる所以となった政治の抜本的改革の幕を開けたのだ。
彼は自分たちを神皇の弑逆の為だけに集めたのではなかった。彼の狗としてありとあらゆる場所に根を張り、円滑に政治・経済を回す為の監視役として選ばれていたのだ。だから、牡丹の君は執拗に能力や性格で仲間を吟味していたのだ。自分も経済界を監視しながら円滑に回す役目を任されている。大変だが非常にやり甲斐のある仕事だ。
両親を事故に見せかけて殺し、侯爵と蘭子を押さえ込んだ今、桃香と百合子への脅威は去った。後は彼女たちを家に迎え入れるだけだった。
しかし、桃香は頑なに伯爵家へ移ろうとはしなかった。
即位した牡丹の君との契約で、この度の改革については口を閉ざさなければならなかった。だから、未だに蘭子と婚姻関係を続ける理由も告げる事が出来なかったのだ。それが桃香には理解出来なかったのだろう。あんなに離婚すると言っていたのに、それを覆した事が。
話せない代わりに、桃香や百合子には目一杯の愛情を捧げた。それくらいでしか償えなかったのだ。
だから、子どもの可愛い我が儘だと解っていても、梅子が自分に甘えて来るのが煩わしかった。
採用した乳母が狂ってしまっている事にも早くに気付けず、梅子は勝手な大人たちの都合で翻弄されていた。
信じていた人に毒を盛られ、両親からは疎まれ、あの子が壊れたのは当たり前だった。
『自分が何のために生まれて来たのか』
鋏で刺された肩よりも、その言葉が痛かった。自分もそうして生きていたのに、実の娘にも同じことを強いているのだ。
一度だけ、梅子の頭を撫でた事があった。
両親の愛情を受ける事なく寂しく眠る姿に、憎いはずなのに手が伸びた。
桜哉にも百合子にも遺伝しなかった、自分譲りの癖毛。
柔らかな髪は、撫でていて不思議と安らげた。掌から伝わる梅子の暖かい体温は、百合子を抱いていて感じる安らぎと同じで愕然とした。梅子を憎まなければならない自分に、有ってはならない感情だ。
その感情を消すように、梅子には二度と触れないと誓った。触れてしまえばそれが、桃香に対する最大の裏切りのような気がしたからだ。
新しい神皇が即位し、古い体制を壊し革新的な体制が機能し始めた頃、桃香の乗った馬車が土砂災害に巻き込まれた。そして、百合子を遺して逝ってしまった。……最期まで溝が埋まらないまま。
母親を亡くし壊れ掛けた百合子を、必死に癒した。自分も狂いそうな喪失感が身体を満たしていたが、色々なしがらみがある自分は狂えなかったのだ。……つくづく自分は神皇の狗なのだと自嘲した。
桃香が亡くなり、百合子を伯爵家に入れて漸く落ち着いた今、ずっと避け続けていた梅子との問題に、目を向ける時が来たのだ。
変な情を出さず泣いて嫌がる蘭子を振り切り、産まれて直ぐに養子に出した方が、あの子にとっては良かったのかもしれない。そうすれば、母親に飽きられて放置される事もなく、里親の元で幸せに暮らせただろう。
それから長年先送りにしていたのは、やはり少しでも情があったのか。
皮肉な事に、兄妹で一番自分と似た性質を持って生まれてきた、憎くて愛しい娘。それが梅子という存在。
恐らく、一生あの子の敵であり続ける事が、自分への罰なのだろう。決して相容れない存在で、最も憎むべき相手、梅子は自分をそう思う事で、この家から完全に離れられるだろう。
……今まだ弱い火種だが、何れこの国を揺るがす大きな災禍になる出来事に巻き込まれないように、“父親”として出来る限りの事をしよう。それが、あの子への精一杯の“情”だ。
まずは青柳の提案に乗ってみよう。
蘭子と梅子の監視が奴の仕事だ。何か策でもあるのだろう。
貴族嫌いの執事の珍しい発言を思い出し、冷めてしまった紅茶を飲み干した。
因みに梅子はこの事は知りません。全て原作の外での出来事なので。
◆お父様サイドの話は、連載を始めてから徐々に考えていた設定を入れています。
感想欄で皆様から指摘されて来た事の補填が、粗方出来たんじゃないかな?と思います。
感想欄のお返事で「原作設定だから」と逃げていた部分全てに理由を付けれなかったのですが、大体の部分には付けれたかと思います。…矛盾結構ありそうかなぁ…大丈夫かなぁ…(びくびく)。
◆この二話に、後々の伏線っぽいものを入れているのですが、もし解ったとしても感想欄や活動報告などでのコメントはしないで下さい。正解でも不正解でも答えようがないので、もしどうしても私に言いたいのでしたら、直接メッセージを送って下さい。よろしくお願いいたします。
……お父様サイド書くの楽しかったですが、疲れました(笑)
次回は梅子と青柳のウキウキウォッチング(違)です。お楽しみに!!




