薔薇と梅と 4-1★
お待たせしました。お父様のターンその①です。
例によって不快な描写を含みますのでご注意下さい。
◆お父様サイドは二話に分かれています。全て会話文のない独白のような文体です。読み難い方もいらっしゃるかもしれませんが、ご容赦下さい。
◆お父様嫌いの方は「フーン( ´_ゝ`)」程度の気持ちで、梅子ラブの方は心を鎮めて御覧下さい。
扉が閉まってから、深く息を吐いた。
いつの間にか握り締めていた掌が痺れているような気がした。
二年振りに梅子と向き合って話をした。
まず、娘の成長に驚き、そして眉を顰めた。八歳までは毒の所為で痩せ過ぎで顔色が悪かった梅子は、血色も良く背も伸びて手足も長く、小学生にしては早熟な身体つきをしていた。これでは変質者に狙われるのも解るような気がした。
話があると言われた時点で想像はついていたが、案の定百合子との通学を拒んできた。それだけなら納得したものの、これまで通り電車通学し、平民居住区の出入りする許可を求めてきた。あれだけ危険な目に遭っておきながら、無防備にも程があると怒りすら沸いてしまった。
そこまで考えて唇を歪めた。そんな“親らしい”発言など、あの子にとっては迷惑以外の何物でもないだろう。
あの子に罪などないのに、生まれた時から父親に疎まれているのだ。今すぐにもこの家と絶縁したいに違いない。十歳の娘が貴族籍を返上して平民となると考えるくらいだ。
……平民、か。嘗ての自分も考えていた。早くにこの家から出て行き、自由に生きたい……と。
自分の境遇は、長男である桜哉より梅子の方が近い。
生まれた瞬間から、自分は跡取りである兄の予備だった。
両親は跡取りの兄にだけ愛情を掛け、自分には最低限の教育しか与えられなかった。
それに疑問を抱く事もなく、貴族というものはそういうものだと、誰に教えられる訳でもなく理解していた。
空気のように扱われるのには慣れていたが、成長するにつれて病弱な兄よりも、健康で優秀になってしまった時から、両親から邪険にされるようになったのは不快に思った。
最低限の教育すら取り上げられ、身の回りの世話する使用人も付けてもらえないまでは良かったが、食事を満足に与えてもらえず、離れの一室に軟禁されてる状態までになったのには辟易した。
その当時を振り返ると、早く家から出て自由になりたいと考えてばかりだったと思う。
だから、自力で学習して知識を蓄えた。監視の目を掻い潜り、平民の居住区へと入り浸り、交流をしていた。いつか家と絶縁して暮らして行く為に。
……驚く程、自分と梅子の考えは良く似ている。
境遇が似ているなら優しくしてやればいいのにと、何処かで囁く声がするが、桃香を裏切った象徴のような存在を許すなと、違う所で囁く声もする。いっそのこと蘭子と別の男との子であれば、今よりは愛せたのかもしれない。
……そんな冷淡な気持ちが沸き上がるのは、自分が何処か欠陥があるんだろうとは理解している。
平民となって自由に生きる、その願いが永遠に叶わなくなったのは、兄が病死した時であった。
元々交流もなかった為、亡くなったと聞いても『そうか』と思っただけで何の感情も湧かず、ただこの世の終わりのように嘆く両親を、遠巻きに眺めるだけだった。
兄が亡くなり予備で終わるはずだった自分が、伯爵家の後継者となってしまった。その事に自分は酷く落胆したものだ。
早々にこの家と絶縁するつもりだったのだが、離れから本館の兄が使っていた部屋に移され、様々な教育を施されたりして、その時機を逃してしまった。
元々勉強は嫌いではないので、新しい知識は貪欲に手に入れた。逃れられない運命なら、最大限の恩恵を頂こうと思った。
相変わらず両親との関係は冷えきったままで、滅多に顔を合わせる事がなかった。兄の喪が明けてからは、あれだけ嘆いていたのにも関わらず、懇意にしている貴族たちと贅沢三昧なパーティーに参加していた。
当時、先代の神皇の御代であり、政治・経済は乱れに乱れていた。
暴君で独裁者だった先帝は、自分を支持する一部の貴族連中のみを優遇し、その他の民には重い税を課して苦しめていた。
それに加え、他国との戦争や災害も重なり、国力もかなり落ちていた。平民居住区に出入りしていた時、道端で倒れそのまま息を引き取る人や、白昼堂々略奪や暴行などをするならず者で溢れていたのだ。
民は貴族より上、三ノ宮家や神皇を憎んでいた。自分たちから巻き上げた税で贅沢三昧をして、死んで行く平民には見向きもしない非情な連中だと蔑んだ。
平民の子どもと変わらない衣服を纏い、食事を満足に与えられなかったお陰で、自分は貴族の子どもと思われる事はなかった。もし、ばれていたら、私刑は避けられなかっただろう。
戦後や災害が続いて作物や家畜が十分に育たなかった所為で、僅かに米の浮いた粥や、草木の根のように細い芋を平民が主食としてる間、両親を含め貴族連中は、肉や魚は勿論、嗜好品である菓子や酒なども大量に消費していた。
自分の両親はでっぷりと肥え、平民のお世話になった友人は餓死していく……そんな理不尽な世の中に逆らえる力など持たない、自分は無力な子どもだった。
だから、必死に勉強をした。その合間に、両親との繋がりのない良心的な貴族と協力して、災害の復興や食糧の配給、治安の維持などに奔走した。
……政治を行う上層部が腐りきっていたのだ。そんな事は付け焼き刃にしかならない。
そして月日は経ち、自分は十八になった。
その頃になると、両親の虚栄心を満たす為だけに、行きたくもない貴族のパーティーに参加させられるようになった。
生まれてから今まで一度も目を掛けて貰ったことはないが、息子が優秀なのは自分たちのお陰だと、参加者に吹聴している姿に吐き気がした。
段々と自分の両親がどういった立場の人間か理解していった。
神皇や上位貴族などに不利益になりそうな者たちを見付け、報告する。上の者に媚びへつらい、下の者には横暴に振る舞う。
―――それが、『神狗』と呼ばれる者だと、その時に知った。
そして両親が自分たちの立場をより強固にする為に、自分を上位貴族に売ったのだ。
……それが、糸敷侯爵の娘である蘭子との婚姻だった。
僅か十八で初対面の貴族の娘と結婚させられ、自由を奪われた。
蘭子がまだ共に助け合える妻だったら良かったが、甘やかされて育ったお嬢様な妻は、事ある毎に癇癪を起こし、自分を束縛した。お世辞でも美しいとは言えない容姿な上、我が儘で高慢な性格の女をどうしたら愛せよう。
初夜から強力な媚薬を使わないと抱けないほど、蘭子には嫌悪感があった。
二年後に漸く長男を授かり、蘭子との夫婦生活は形だけのものとなった時には、安堵した。
そういった経緯で生まれた、桜哉と名付けた息子にどうしても愛情を抱く事が出来ずに、乳母に世話を任せたきり見向きもしなかった。自分も同じように育った為、それが普通だと思っていた。
自分の気持ちが離れてしまい、修復不可能な所まで来てしまっているのにも気付かない蘭子からの束縛を避けるように、平民居住区へと向かい、山積みの問題に立ち向かっていた。
……そんな時、桃香と出会ったのだ。
桃香は地方の商家の娘で、数年前の水害で両親を亡くし、親戚に引き取られた。その親戚も、度重なる災害で衛生状態が悪くなった為に蔓延した疫病で命を落とした。
そして、疫病から逃れてこの帝都までやって来て、住み込みで働いていたのだ。平民なら、桃香のような境遇の者は珍しくない。それくらい劣悪な環境だった。
出会った当初から好ましい女性だと思っていた。
自分の事でも大変なのに、貧しい者や身体が弱った者に手を差し伸べていた。その事に恩を着せるわけでもなく、当然のようにしている姿は眩しいほどだった。
話す内容は洋服や化粧品の事ばかりで、贅沢するのが当たり前の蘭子とは違い、微力ながらも自分の周りで苦しんでいる人々を救おうとしている桃香に、どうしようもなく惹かれた。
桃香も自分に惹かれていると知った時は、天にも昇る気持ちになった。
そして、今まで見向きもしなかった息子である桜哉とも、桃香の計らいで歩み寄る事が出来た。今まで蔑ろにされる事しかなく、誰も愛せないだろうと思っていた自分が、一人の女性によって大きく変わった。
桃香を愛するようになり、彼女と共に生きたいと思い始めた。その為には蘭子と離婚しなければならない。貴族は基本離婚は認められず、もし別の女性を愛したなら、その女性を愛妾にするのが普通だった。しかし、最も愛する女性を愛妾などにしておく事に我慢ならなかったのだ。
何度も両親と糸敷侯爵、そして蘭子を説得したが、伯爵家の跡取りが身寄りのない平民の娘を正妻にするなど、恥以外の何物でもないと罵られた。特に糸敷侯爵の怒りは凄まじく、両親に相当の圧力を掛けたらしい。
……それで花園家が潰れたとしても構わなかった。元々、伯爵という地位にも両親にも執着はなかったからだ。寧ろ平民となって桃香と一緒になれるなら、潰れた方が良いとまで思っていた。
自分と桃香、そして桃香に懐いている桜哉と三人で暮らしていければと思っていた。
そんな中、桃香が妊娠したのだ。
桃香の妊娠を知り蘭子が発狂した。自分に見向きもしない夫と自分が生んだ息子の愛情を独り占めした挙げ句、子どもまで授かった桃香に並々ならぬ憎悪を募らせた。
その時、自分が蘭子と話し合って別れていれば良かったのだが、何度話し合っても離婚に応じない事に憤り、彼女を拒絶していた。
その事が彼女を追い詰めてしまったのだ。
ある日夕食を摂った後に、全身を襲う熱と痺れに昏倒した。
気付いたら四肢を拘束され、熱に浮かされた状態で蘭子に犯された。どうやら、新婚の時に使っていた媚薬を大量に盛られたらしい。何も出来ない愚鈍な女だと侮っていた自分の失態だった。
……そうして、蘭子も妊娠したのだ。
その事が決定的な亀裂となり、蘭子を激しく憎む事になった。勿論、生まれてくる子どもには罪はない。しかし、望んで授かった子どもでもない。寧ろ、生まれて来なくていい存在だ。
蘭子の犯行を手伝った使用人を解雇し、蘭子自身を追い出す為に画策する一方で、桃香と生まれて来る子どもを家に迎える為に、部屋を作った。
しかし、両親が桃香と桃香との子どもの命を狙ってきた。彼女の暮らしていた部屋に暴漢を送り込んで亡き者にしようとしたのだ。
蘭子には自分に咎があった。だが、両親には微塵もなかった。……自分を利用するだけだった奴らに殺意が湧いたのは、この時からだった。




