薔薇と梅と
『出ていけ!!貴様らは今後一切花園家を名乗るな!!』
伯爵の歳を重ねても失われない玲瓏とした顔立ちに、あらゆる不浄なモノを見せ付けられたかのような嫌悪が浮かぶ。
彼の目の前には、無様にも汚れた石畳に平伏した二人の女性がいた。
『そんな……!!何故なの!?旦那様の為を思って……あたくしは!!』
お世辞でも美しいとは言えない顔を更に歪め、伯爵の正妻だった糸敷侯爵の長女である蘭子は、喉が潰れたような悲鳴を上げた。その哀れな姿は、伯爵の同情を誘うことが出来ず、その場を白けさせただけだった。
『私がいつ玉座を願った!?つくづく頭の悪い女だ……よくも百合子を……』
今は亡き伯爵の最愛の女性の忘れ形見である百合子が、蘭子の父親である侯爵を中心としたクーデターに巻き込まれたのだ。危うく命を奪われそうになった所を、婚約者である一条蓮司が救い出したのだった。
蘭子の隣で同じく座り込んでいる少女は、百合子の異母姉でありながら彼女を憎む蘭子の娘・梅子だった。
伯爵に必死に言い募る母親とは違い、彼女はぼんやりと伯爵の後ろにいる百合子と、その婚約者である蓮司を見詰めていた。
可哀想な程震えて泣いている百合子を、優しく抱き締める蓮司……梅子は異母妹の婚約者を秘かに慕っていたのだ。結局、想いは知られることなく、蓮司には嫌われてしまったのだ。
自分を見てくれない愛しい人から目を離し、未だ母親を罵倒し続ける“父親”と言うには遠過ぎた人を見上げた。
ちっとも似ている所が見当たらず、血が繋がってないのではと何度も思った。だからどんなに乞うても愛してはくれないのだと。
梅子は愛を得たかった二人の男性の、それこそ全ての愛をもらっている異母妹の百合子を見た。
監禁されて衰弱しているにも関わらず、百合子は眩しいくらいに美しかった。自分が努力をしても手に入れる事の出来ない、圧倒的な美しさ。
『ふ、ふふふ……』
どうしようもない気持ちで、笑いが込み上げてくる。
隣にいる母親も、自分を見下ろす“父親”も、恐怖に顔を強張らせる百合子も、自分を憎むように睨む蓮司も、梅子にとってもうどうでも良くなって来た。
『あははははは!!』
『何が可笑しい!!』
狂ったように笑う梅子に、伯爵が怒りに声を荒げる。生まれて十六年。初めて自分が“父親”の感情を揺り動かしたのがこの時かと、やはり笑いが込み上げてくる。
どんなに乞うても、ただただ冷たい視線しか寄越さなかったあの“父親”が、梅子を見て顔を歪めている。
『わたしは、ただ、貴方に、愛されたかっただけなのよ』
笑っているはずなのに、頬が濡れる。胸が痛い。
百合子のように、優しく頭を撫でて欲しかった。危ない事をしたら叱って欲しかった。私を見て微笑んで欲しかった。……何より、横顔か後ろ姿しか見れないお父様に、名前を呼んで欲しかった。
『ねぇ、伯爵……わたしの名前、知っていて?』
またか。
久し振りに足を踏み入れた本館……父親や兄や百合子嬢の住まう場所で、窓から見える石畳の敷かれた噴水前の広場を見て、ふいに原作漫画のクライマックスの辺りを思い出した。
クーデターの首謀者の一人として、母親と共に連行される前に、父親に絶縁されるシーンだ。
このシーン以降梅子の出番は無くなり、後は獄中死した事が告げられるだけだ。
この伯爵との対峙のシーンで、梅子は最初で最後の問い掛けを父親にする。一度も呼ばれた事のない名前を呼んで欲しいが為に。
……まぁ、その答えが『悍ましいその名前を未来永劫思い出す事はない』だもんなー。梅子、可哀想だろ。
溜め息を零し、視線を無理矢理引き剥がしてから私は廊下を進んだ。
私が何故こんな所を歩いているかと言うと、何と父親に会う為だった。
事の発端は、先程の昼食会と言う名のテロである。飯テロは胃袋に多大なダメージを負うのに対して、これは精神力をゴリゴリ削られるハードモードなイベントであった。
あまりにも百合子嬢のお花畑な考え方にイラッとしてしまい、悪役令嬢よろしくきつーく言い放ってしまった。反省はしていない。
百合子嬢はまぁ……この二年間何を学んでいたんでしょうね?
アポなしで来るわ、使用人を甘やかし過ぎるわ、自分の立場を理解しないわで……あーはいはい、主人公補正ね。納得納得……じゃねーよ!!
あんなに打たれ弱くて大丈夫なのか?私がちょっと注意しただけですぐに泣いてしまうんだったら、学園じゃやって行けないよ!!
原作漫画じゃ梅子が人を使ってイジメている描写しかなかったけど、この世界はそれより遥かにシビアだ。
生粋の貴族である梅子にでさえ、学園内の高位貴族の子女やその取り巻きの視線は厳しい。花園家の人間であるだけで、彼らは気に食わないのだ。私は無難に流しているが、結構ヒドイ事を平気で言うヤツがいる。……そんな状況下で、あんな豆腐メンタルではやってはいけないだろう。
花園家は伯爵という地位にしては、高位貴族よりも経済界にかなりの影響力がある。主人公補正かと思ったが、どうやら父親が凄かったらしい。
先代の花園伯爵(私らの祖父)は、典型的な道楽貴族だったらしく、父親が伯爵位を継承した時にはかなりの借金があったらしい。それを一代で完済した後、更に事業を拡大して貴族から平民まで広く名前を知られるようになる程の、莫大な利益を手に入れたらしい。
まぁ、その背後にはかなりキナ臭い、貴族特有の黒い噂があるのだが、もう一人の張本人である先代伯爵の祖父は、私が小さい頃に祖母と共に事故で他界しているので、真実を確かめようがない。
……先程から『らしい』ばかりなのは、私がこの世界でちょこちょこ見聞きしただけで、直接父親に聞いた訳ではないからだ。他の人に聞こうにも、皆が皆それ以上の話を口にする事はないし、多分知られてはいないのだろう。それ程、この件が貴族社会においてかなりの禁句である事が理解できた。……何コレ、ウチのお父様怖いんだけど。
うーん……。父親、ねぇ……。
ぶっちゃけ原作漫画の父親はモブ程度の扱いだった。
百合子が困ると手助けしてくれる……便利アイテムのような扱いで、ヤツが輝くのは梅子と梅子ママに対しての時だけなんで、非常に小者臭いのだが……。
ところがどっこい、我がお父様は有能な経済界のドン的な存在だ。何か違う……雑魚かと思っていたらラスボスだったみたいな、何かこう……ヤバイ感じだ。語彙力ないな!!
そのラスボスに今喧嘩を売りに行こうとする、ステータスが雑魚な悪役令嬢……。
無謀だと解ってるよ?だけどね、これ以上百合子嬢に関わると私のメンタル削られるし、原作漫画通りに嫌がらせしそうな気がするのよ。それって、原作ルートまっしぐらで死亡フラグ立ちまくりになるんだよ!!……今までの努力が水の泡!!それは避けたいのよ!!
結果、ラスボス……父親の決定である百合子嬢との登下校を取り消してもらおうと、直談判しに敵地に乗り込むのだ。
……正直、何の切り札も持ってない私の負け戦になりそうなんだけどね。はぁ~……。
実は前世の記憶が戻ってから初めて、父親と一対一で対峙するのだ。
過去の記憶からかなり嫌われているのは確かだが、さて……どうするか。
どっかの脳内お花畑な主人公とは違い、青柳に事前に連絡を入れてもらった。アポなしで『お父様っ☆来ちゃった♡テヘペロッ☆ミ』なんぞ仕出かしたら殺されそうだ。……その前に自分のメンタルが死にそうだが。
青柳か……。
コイツも訳わからん存在だよなぁ……原作漫画でも特にバックボーンが記されていないキャラだ。花園家にいる糸敷侯爵の娘である母親の監視として、神皇直々の命令で執事をしている……設定だけだ。
多分、この世界のラスボス的な父親は、青柳が神皇直々の狗である事に気付いていそうだ……敢えてそれには触れずに好きにさせているような気がしている。青柳も、父親が気付いていることを知っていそうだ。……何コレ怖いんだけど。
色んな事をつらつら考えながら、私はついにラスボスの間……じゃなかった父親の執務室の前まで来ていた。
扉の前には青柳がいて、私の到着を待っていた。……迎えに来いや!!
「旦那様がお待ちです」
「……ありがとう」
さて、切り札も武器もない完全な丸腰状態で挑むのだが、現在の父親の反応を知るいい機会だろう。
緊張で乾く唇を舐めて、私は扉をノックした。
―――さぁ、闘いの始まりだ。
次回、遂に直接対決!!(笑)
◆お知らせ◆
沢山頂いている感想へのお返事は、このお父様との対決の後、お父様サイド終了後にさせて頂きます。
思いの丈がびっしり詰まった、長文コメントありがとうございます(笑)全部に目を通させてもらっています。
では、次回もよろしくお願いします。




