硝子の華 4
その後の事はあんまり覚えていない。
多分、座り込んだ私を使用人が立ち上がらせて、この部屋に連れてきて服を着替えさせてくれたのだと思う。
ベッドに座り込んでいた私は、ふと顔を上げた。
正面にある鏡台に映る自分。
長年の服毒の所為で痩せ細った、醜い身体。
髪はパサパサで、肌はガサガサ。
落ち窪んだ濁った瞳に、頬に散らばる無数のソバカス。
醜い……醜い化け物が其処に居た。
『菊乃……お前がこうしたのではないか』
私は喉が破れるような叫び声を上げ、目の前の鏡台の鏡に椅子を投げつけた。
ありとあらゆる鏡を壊し、菊乃が贈ってくれた数々の品物も壊した。
『お前たちが私を化け物にしたのではないか!!お前たちが私を醜くしたのではないか!!』
偽りのものを全て壊し尽くした後には、何も残らなかった。
当然だ。――――何も与えては貰えなかったのだから。
この頃から、私は考えるようになった事がある。
私のいるこの世界が実は夢物語で、目を覚ましたら優しい両親がいて、沢山の信頼できる友達がいるのだ。
特別裕福な家庭ではないけど、のんびりとした父に怒ると怖い母がいて、時には喧嘩もするけど、仲の良い家族で。
毎日朝と晩は家族揃って食事をして、誕生日だったら母がケーキを焼いてくれる。休みの日は何処かに遊びに行って、夏休みは旅行に行ったりするのだ。
そう。この世界は悪い悪い夢なのだ。
早く目を覚まして、そして母に抱き締めてもらいたい。
『そうか。どうせ醒める夢なら、あんな奴らの事などどうでもいいじゃないか』
この世界にいる人間は、所詮私の夢が造り出したキャラクターだ。実在しない虚構なのだ。
そう考えると、一々奴らの言動にも傷付かないようになり、自分の境遇を嘆かなくなった。
―――そうして私は、心の平穏を手に入れたのだ。
数ヵ月後、季節は冬から春へと変わろうとしていた。
季節の変わり目の大雨が続き、この日は朝から大雨だった。
昼過ぎくらいに、父親役の奴が慌ただしく出掛けるのを見掛けた。奴があんなに慌てているのは初めて見た。
どうやら奴が大事にしていた妾が、土砂崩れに巻き込まれ亡くなったらしい。
使用人たちは嘆き悲しみ、母親役の女は嬉しそうに笑っていた。
私は……嗚呼、そう言う筋書きなのかと思っただけで、別に何の感情も沸かなかった。
そんな事より、私には予感があった。
もうすぐ、この悪夢から醒めるような予感するのだ。
だから、誰が死のうが生きようが、夢から醒めたらもう二度と見ることもない奴らなど、どうでもいい。
翌日、使用人たちが慌ただしくしていた。
どうやら亡くなった妾の娘が、此処に来るらしい。
この屋敷で一番陽当たりの良い快適な部屋に、その娘の部屋が造られるらしい。
造ると言っても、前々から用意していた部屋なので、そんなに時間は掛からない。
昔、綺麗なその部屋に無断で入り、ベッドで居眠りしてしまった事があった。その後父親役に酷く叱られて、あの部屋付近に近寄る事を禁止されたのだ。
……今となってはどうでもいい事だが。
そして、次の日。
早春の冷たい空気の中、目を覚ました。
薄暗い部屋の中を、半身を起こして見渡した。
父親役を傷付けてから、隔離される目的で入れられた、簡素で寒々しい部屋。
最低限の家具と数枚の衣服。貴族の令嬢にしてはあまりにも粗末な部屋だ。
ふと、私が元いた部屋はどうなったのかと思った。
それなりに華美な部屋だった。
……もしかしたら、もう片付けられているかもしれないが。
ひんやりする床に、スリッパも履かずに足を降ろす。
そのまま机の横にある窓を開け放った。
癖の強い私の髪を、春にしては冷たい風が巻き上げた。
外はまだ闇色で、だけど東の空が暁色に染まりつつあるので、もうじき夜は明けるだろう。
私は夜が明けるまで、色が移り変わる美しい空を眺めていた。
―――まるで、見納めるような気持ちで。
暫く話す事もなかった執事が、私と母親役を呼びに来た。どうやら妾の娘と会わしたいらしい。
私の横で、不機嫌に顔を歪ませている女と共に、応接間に通される。
そのままぼんやりとしていると、ドアが開いた。
そこから現れた父親役と見知らぬ少女。
……成程、これが“妾の娘”役の子どもか。
愛されて育ったと一目で分かる、可憐な顔立ちを不安を滲ませ、少女は私の前に立っている。
―――この子役の夢だったなら、こんなにも苦しまなかったのかもな。
先程から、視界が淡くなって来ている。
嗚呼、もうすぐ、この悪夢が終わるのか。
目の前の少女が桜色の小さな唇を動かした。
「花園百合子です。よろしくお願いします」
二話目に続く……となります。
私的にはかなりの鬱展開でした。
読んで下さってありがとうございました。
これ以上悲惨な話はもう無いと思うので、ご安心下さい。
次からは前世の記憶持ちの梅子のターンです。




