硝子の華 1
注意!!
『硝子の華』は梅子の過去になります。
前々から伝えていた通り、不愉快な描写があります。以下の描写に嫌悪感がある方は、読むのを控えて下さい。
【精神的虐待・暴力・流血・精神病患者・人格否定・崩壊から逃避、等】
『硝子の華』の次話の前書きに簡単な粗筋を載せますので、読まなくても話が分かるようにします。
一番古い記憶は、優しい手だった。
私が生まれた当初は、母も普通の母親のように可愛がってくれていたらしいが、父の関心を誘えず、挙げ句に日増しに自分に似てくる娘に嫌気が差し、乳母に丸投げした。
乳母の名前は菊乃と言った。
母よりも若く、凡庸な顔立ちではあったが気立てが良く優しい人であった。
菊乃は私が生まれる半年程前に実子を亡くしており、その子の分まで私を可愛がってくれていた。
私が両親を恋しがって泣いていた夜も、傍らに寄り添って一晩中付いていてくれたりと、本当の親よりも愛情を注いでくれた菊乃に、私は次第に依存していった。
何をするにも菊乃と一緒でなければ嫌だと、駄々を捏ねる私に、菊乃は優しく諭してくれていた。
『お嬢様、大丈夫ですよ。菊乃が居なくとも、貴女にはお父様とお母様、お兄様がおられます』
『……でも、みんなわたしのそばにはいないじゃない!!きくのだけ、わたしのことをみてくれてるのは』
『……大丈夫です。今は側に居られなくても、きっと一緒に居られる時が来ます。私も協力しますので、お嬢様も頑張りましょう』
『うん。わかった。わたしがんばるね!!』
そうして私は、何度も両親や兄に何処かに行こうとか何が欲しいとか、積極的に話し掛けたのだが、私と同じ年に生まれた妾の娘を溺愛していた父は無視をし、興味を失っていた母は邪険に追い払った。兄は勉強が忙しい、お前もそんな事ばかり言ってないで勉強しろと、眉を顰めるばかりだった。
私以上に必死だった菊乃は、何度も両親に掛け合ってくれていた。
その甲斐もあって、何回か家族全員で食事をした。
その時の私は舞い上がって、両親や兄に話し掛けていたが反応は薄く、次第に口数は減って行った。
何度も何度も話し掛けても、両親や兄には響かないストレスで、私は体調を崩す事が多くなった。
菊乃は甲斐甲斐しく私の看病をしていたけど、両親は数分顔を出す程度で、兄に至っては伝染る病だといけないからと、両親から私に近付くなと言われていたらしい。
子どもらしくふっくらとしていた私は、みるみる痩せて行き骨と皮だけになって行った。
医師に見せても原因が解らず、不治の病として私は死を待つだけになっていた。
『きくの……わたし、しぬの?こわいよ。しにたくない』
『大丈夫ですよ、お嬢様。今日もお父様とお母様が来て下さったではないですか。きっと直ぐに良くなりますよ』
すると、次の日本当に体調が良くなり、私も菊乃も喜んだ。
病気をしていた時に、両親は私の所へ来てくれていた、だからこれからは仲良く出来ると思っていたのだ。
しかし、私が回復すると同時に、両親は義理でも私の側には寄らなくなった。そこで初めて、私を心配して来てくれていた訳ではなく、体裁を気にしての嫌々の行動だった事を知った。
どうして、わたしをみてくれないの?
いいこにするよ?もう、わがままもいわない。
ねぇ、だから、こっちをみてよ。
わたしはここにいるよ?
折角回復していた体調もまた直ぐに悪くなり、私はベッドから出られなくなった。
そうしたらまた両親が来てくれるようになり、私は嬉しかった。
けれど、回復したらまた来なくなり、また体調を崩す。
何度も何度も続けば、周囲は怪しむのは当たり前だった。
『いい加減にしろ。お前の仮病に付き合っている暇などない。』
ある日、ベッドに横たわる私に向け、父苛立たしげに声を荒らげた。後から聞いた話では、その日は丁度妾の娘の誕生日だったらしい。
『ちがうよ……うそじゃないよ。ほんとにくるしいよ……』
『……ふん。顔だけでなく性根の悪さも母親似か。その媚びた態度が腹立たしい』
『ちがうよ……うそじゃないよ。しんじてよ……』
『また同じ事を繰り返すようなら、この屋敷には居られないと思え』
私の訴えなどまるで響かず、忌々しげに顔を歪める父に、菊乃は追い縋った。
『旦那様あんまりです!!お嬢様は間違いなく旦那様と奥様の子。何故にそんなに邪険にされるのです!!何故に妾の子ばかり可愛がるのです!!』
『……使用人の分際で私に意見するか。お前には聞きたい事がある』
菊乃が縋っていた腕を振り払い、父はきつく睨み付ける。
その剣幕に菊乃が後退りするのを見た私は、身体が辛いのを我慢して起き上がった。
『やめて!!きくのにひどいことしないで!!きくのはわたしにやさしくしてくれたの!!ひどいこといわないで!!』
ゼェゼェと肩で息をする私を見て、父は唇を歪めて笑う―――嘲笑、と呼べるような笑みを浮かべていた。
『優しい?……どうだろうな』
意味深な言葉を残して、父は私の部屋を後にした。
『お嬢様、お嬢様、大丈夫ですよ。落ち着いて下さい』
『きくの、もうわたし、きくのだけいればいい。おとうさまもおかあさまもだいきらい!!』
自分も相当ショックを受けているのに、菊乃は私を優しく抱き締めてくれた。
嗚呼、私の最初の記憶の優しい手は、菊乃だ。
母の温もりも、父の力強さも知らなくていい。
菊乃さえいてくれれば……―――。
なのに。
父は無情にも、私から菊乃を離したのだ。