職人の町 2
乾いた血液を優しく手拭いで拭われる。一応、すぐに砂を落としていたのだが、完璧には落ちてなかったらしく、赤黒い汚れと共に砂粒が手拭いに付着していた。
……この一連の作業を、出会ったばかりの同じ年頃の少年にしてもらうのは、もの凄く恥ずかしい事だった。
あれから笹森君のお母さんは、二階に上がって行った。私と笹森君は、此処で汚れを落としてから行く予定だ。
「両膝ともそんなに酷くないね。……これなら傷は残らないと思うよ」
桶に張った水が赤味を帯びてきた頃、漸く私の両膝は綺麗になった。
「俺水捨てるから、先に上に行ってて。母ちゃんが薬用意してくれてるはずだから」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えてお邪魔させてもらいます」
本当、何から何までありがとうございます。笹森君、ホンマ紳士や。ブサイクに優しい男子なんて、多分学校じゃモテモテじゃないだろうか。
ガラス戸の中に入ると、やっぱりそこは台所になっていた。土間もありそこには古い竈が二口あるが、現在は使ってないらしく、小上がりの板間に流しとガスコンロが置かれている。コンロの上の鉄製の鍋には……うん。間違いなくカレーだった。その板間を突っ切って行くと、ちゃぶ台が置かれている六畳ほどの和室があり、そこで小さなお婆ちゃんが座ってお茶を飲んでいた。
いきなり現れた私に嫌な顔もせず、にこにこと笑顔を向けてくる。その笑顔にヘラリと笑った私は、軽くお辞儀をした。
多分、此処が笹森君の家のお茶の間なんだろうな。……しかし、町家っぽい造りの家だけど随分広いな……お茶の間の向こうが店舗兼作業場だろうし……
お茶の間を出た廊下にある、古い家特有の急勾配な階段を昇る。うわ……コレ、パンツ見えるだろうな……ブサイクのパンチラ……誰得だろうか。
ギシギシと鳴る板を踏み昇ると、廊下を挟んで二つの入口がある。ちょっと黄ばんだ襖がそれなりに年月が経っている事を窺わせた。
さて、どちらに入るべきか……。
「ああ、アンタか!!こっちだよ!!」
悩む必要無かった!!階段を上がる音で気付いた笹森君のお母さんが、左側の襖を開けて手招きする。
おずおずと中に入ると、六畳の部屋が二間あった。恐らく反対側も同じ造りだろう。前世の感覚で言うと4DKって所だろうか。大きな家だな。
「そんな所に突っ立ってないで、ほら!!こっちに座って足を出しとくれ!!」
部屋を見渡していた私に、笹森君のお母さんは自分の向かい側に置いた座布団を叩きながら急かした。夕食時の主婦の一番忙しい時間を割いてもらってるのだ。私は、座布団に足を伸ばした状態で座る。
笹森君のお母さんは私の膝を見ながら、傍らに置いていた薬箱をガチャガチャと漁り、テキパキと消毒をしてガーゼを当てた。うーん、流石職人の妻。手際がめっちゃいい。
「これで、よしっ!!……他に痛い所はあるかい?……あらあら、おでこも擦りむいているねぇ」
私の前髪を払って額を見た彼女は、またテキパキと消毒をした。目立つのとあまり酷くないからとガーゼを付けなかった事は有り難かった。
「あ、手当て終わったみたいだね」
笹森君のお母さんにお礼を言っていると、桶の片付けをしていた笹森君が部屋に入ってきた。彼と一緒に小さな子どもが三人、バタバタと入ってきた。
「にいちゃんがおじょーさまがいるって!!」
「おじょーさまっておまえ?」
「うわっ!?ブサイクだ!!」
「ブース!!ブース!!」
三人各々に喋っていたかと思うと、最後には三人揃ってブスコール。……チビッ子は残酷だ。久々に傷付いた。
三人は幼稚園くらいから小学校低学年くらいの年齢で、皆どことなく笹森君に似ているから、兄弟なんだろう。
しかし、男ばかりの四兄弟……お母さんお疲れ様です。
「コラッ!!お前ら!!何て事を!!」
ブサイクにも優しい笹森君が、三人の頭にゲンコツを落とす。
笹森君、見た目ヒョロッとした文学少年ぽいけど、降り下ろされた拳は重そうだった。そう言えば掌も子どもにしてはゴツゴツしてたな……。
「いてぇよ~にいちゃん」
「だってホントにブスじゃん!!」
「おじょーさまってカワイイんじゃないの?コイツとだったらあかねのほうがカワイイぞ!!」
心抉られるわー。あのガチムチ変態親父に襲われた時より心抉られるわー。
私は遠い目をした。そりゃブサイクの自覚はあるけど、やっぱ私、女の子だもん!!ブサイク連呼は地味に傷付く。
私の前で黙っていた笹森君のお母さんが、突然大声で笑った。
「アッハッハッハッ!!アンタたちもまだまだだねぇ!!顔の造作なんか此処じゃなーんの役にも立たないよ!!此処じゃ働き者が一番の美人だよ!!」
「だってぇ~」
「職人の嫁はね、まず、一日中働いても苦じゃない奴にしか勤まらないし、夫となる男は気難しい奴等が多い。だから愛嬌や気配りの出来る女じゃないとね。それに、顔の造作に自信のある女は、夫以外の男にちやほやされるのが好きな奴が多いから、浮気しやすいしね!!」
……後半はエライ偏見入ってますが。
「だからね、お嬢さん!!こんなガキ共に何言われてもしゃんと前を向きなさいな!!アンタが絶えず笑顔でしっかり自分を持っていれば、必ずアンタを認める奴もいるさ!!」
また豪快に笑いながら背中をバシバシ叩かれる。おうふ。痛いです。
何だかめっちゃフォローされた気がする。
……待てよ。先程の笹森君のお母さんの発言からすると、職人は顔の美醜に拘らないって事だよね?
「……闇の中に一筋の光が……!!」
よっしゃ!!将来は職人の町の何処かの店舗に就職して、事務か経理をしながら結婚相手を見付けるってどーよ!!
私が将来の野望を打ち立てている間、笹森君は呆れた顔で自分の母親を見ていた。
「……母ちゃん、あの子絶対職人の嫁になるって思ってるよ……貴族のお嬢様に何言ってんの?」
「アハハッ!!良いことじゃないか!!それに不可能じゃないだろ?……普通のお嬢様がこんな薄汚い所になんか来るものか!!きちんと挨拶が出来て、お礼が言える……とっても良い子じゃないか」
「……まぁ、出会った時から規格外だとは思ってたけど……」
……もしかして私、珍獣扱いですか?
終わらなかった……orz
笹森ファミリー編、もう一話お付き合い下さい。