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咲花既採  作者: ソナチネ
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四か月前の昨日のお昼間だった。

まだこんなに暖かいことはなくて。寒い寒い風が人と人の間を縫うようにして、町々をかける電車のごとく吹いていった。マフラーで包まれた首筋の右側に手をそっとやると、思い出したかのように指先がじんわり温まりだした。ほうっと息をつくと、それを待っていたかのように反対側の首筋に冷たさが走った。

 「ほら、あったかい。」

 「ほらあったかいちゃうわ。びっくりするやんいきなり。」

 その手は束の間で離れた。知らん顔して美水都は歩き続ける。心なしかその足は速く感じて、瑜里逢も足を速めた。七センチヒールのブーツの響く音が、大きくなった。押している自転車が、少しだけ左によろけた。拍子にペダルが向うずねにあたって声にならない声が漏れたことを、少し手前を歩く美水都は気づいていない。

 「もうすぐクリスマスやなあ。」

 もともとそんなやつだ、美水都は。瑜里逢も瑜里逢でそんなことをわかっているのに、ちょっと期待してしまうのだ。

 「ほんまやね。はやいわぁ。」

 相槌は打ったけれど、今年はなぜだかいつもみたいに言えなかった。毎年口からさらっと放り出せていたあの言葉を。

 「お前彼氏おらんの?」

そうやって言われる前に言いたかったのだ。今年も一緒にどっかいこうって。

 「あんたこそおらんの?彼女。」

 「おったらお前のマフラーに手突っ込んで首触った時点でアウトやろ」

 それもそうか。ずっと一緒にいると許される距離感というのが人より外れてくるのかもしれない、と妙に納得した。ただ、さっきの手が離れた後の寂しさはなんだったのか。これはよくわからない。

 「そろそろつくりいな。」

 「そんなに言うんやったら美水都。あんた先つくってよ。あんたの彼女さんがどんな人なんか見てからにしたいわ。」

 そうだろうか?本当に?そんな問いが浮かぶと瑜里逢の胸は氷水をかけられたように、きゅっと締まった。掻き消そうと、「あのさ」と口を開きかけたとき

 「ほな今年も瑜里逢連れまわしても俺はだれにも怒られへんねやな」

美水都の声が重なった。

 「え?」

 「せやろ?」

 そうやけど。確かに嬉しくて。嬉しくて本当にほっとしている。それなのにいつから私はそれを素直に言葉にできなくなったのだろうか。瑜里逢はぽーっと美水都を見つめることしかできなかった。

 田舎の道は長い。美水都の後ろに伸びている夕暮れの道は、遠くの陽の色しかもう明かりはない。それでもこの距離の近さだと透き通るような肌だとわかる。

 「ゆり。」

 いつもより少し低くて小さな声だった。聞き返した瑜里逢の声はそれよりももっと小さくて、いつもよりも少し高い、かすれた声だった。静かな風の音さえ遮ってしまいたくなるくらい、美水都の言葉が聞きたかった。

 ただ、それは叶わなかった。瑜里逢のケータイが震え鳴いた。放っておきたかったのだけど、ブー、ブーというこの音がずっと続くということはおそらく電話。

 「出たらええよ、電話。」

 「ごめんな。」

 状況を蹴破られて内心苛立ちを覚えながら、ケータイの画面を見た。

 「よねちゃんのおばちゃんからやねんけど。」

 「え?なんでなんやろな。」

 俺押すわ、といって美水都は自転車のハンドルから瑜里逢の手を放した。

 「あ、ごめん自転車ありがとう。ほんまなんでやろね?」

 首をかしげながら通話ボタンを押すと、甲高い声が耳に突き刺さった。

 「ゆりちゃん、みずちゃんはどうしたんっ?」

 「え?隣にいますけど。美水都のほうにも電話されたんですか?」

 ただならぬ様子に、瑜里逢は耳からケータイを外し、スピーカーホンに設定して美水都にまで聞こえるようにした。

 「したんやけどあの子出やらんのよ。やからあんたに電話してん。ええから今すぐ帰っといで」

 「待っておばちゃん。ほんまにどういうこと?」

 「あたしもわからへん。とりあえず病院と警察に電話したんよ。こういうときってそうしたらええんよね?!」

 「警察と病院?」二人の声が重なった。

 「はよ来てとにかく。はぁちゃんと舞結ちゃんが」

 よねちゃんのおばちゃんが言い終わらないうちに、後ろ乗れっ、という怒声のような鋭い声がつんざいた。よろめいて走り出した自転車は、たちまち夜に突っ込んでいく。紐の巻かれた荷台に跨らせた体は、風を受けすぎてあまりにも冷え冷えしている。脚と、今日に限って手袋をしていない手は今にも凍えそうだった。その手で必死にケータイを握り締め、最後に問う。あいにく電波が悪くなってきた。

 「おばちゃんどこ?いま」

 「来瞳拾くるみびろいの空き地。はやく」

 まだ何か言いたそうなのを遮って、ケータイをすぐに切った。伝えてくれたのに申し訳ないけれど、今は最低限必要な情報以外を耳に入れるのは怖すぎた。「はやく」なんて、そんなの私たちが一番思ってるし分かっている。焦る気持ちのやり場がわからなくて、思わず瑜里逢はケータイを地面に叩きつけたくなった。

 どうしよう、どうしよう。ほんまにほんまに、どうしよう?

 「もうとにかく行くしかない。とにかくそれだけや。それだけしか考えたらあかん。」

 瑜里逢の心情を読み取ったかのような言葉だった。その返事は、ぎゅうっと巻き付くように美水都の腰元に回している手を強くし直すことでしか、瑜里逢は返せなかった。

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