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咲花既採  作者: ソナチネ
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凪面 美水都 - なぎのめ みずと

花挽 瑜里逢 - はなびき ゆりあ


凪面家 初香-はつか 紗琶果-さわか

花挽家 舞結ーまゆ  万桜 ーまを

 今年はお雛祭りが済んだ頃から、春が香り始めた。この季節の香りは朝から昼、夕方手前までとちょっと陽に当てすぎた布団のようだ。暖かくて、まだなんとなくかさつきのある空気。甘い香りの柔軟剤でふわふわの洗濯物のように繊細で、包まれたくなるような春はこのあとにやってくる。草木・花々・川や海の水・小石や砂・が存分にとけあう春の、馥郁たる香りもいいけれど、まだ夜には凛とした冬の面影が残るこの季節の空気が彼女は好きなのだ。春になり切れていないのではない。これも、春なのだ。

 しかし何を着ていけば困るというのも、やはり春だった。今日も彼女は洋服をとっかえひっかえしていた。そんなこと朝にやってしまえばいいのだといつも思う。何も、出ていく二十分前にわざわざやらなくたっていいのだ。ましてや起きたのは二時間半も前なのに。

 「お前なんでそんな間際なんいつも。」

 苦笑いしながらあがり込んできた美水都みずとは胡坐をかき、浅葱色の丸テーブルに頬杖をついた。

 「ごめんごめん。昨日の『二つ隣のなんとかさん』見てたらこんな時間やってん。そやけどさ、ちょっと連絡くらいしてくれたってええやない」

 「はいはい。そやな、瑜里逢ゆりあもとりあえずは『大人の女性』やもんな。準備が色々あるんやった。」

 そんな優しい笑顔で言われると、失礼な、と返す前にたじろいでしまう。そんな気持ちを取り払いたくて、瑜里逢はクロ―ゼットを開けて、服のかかったハンガーを右に左に勢いづけて引っかき回した。

 「あれおもろいん?誰やっけ、あの若い人。久井尚人やっけ?」

 「そうそう、あの人主演でヒロインが高西綾子ちゃんのやつ」

 「刑事モンよな?俺向こうテレビないし本間全然見いひんわ。」

 化粧だけしておいて正解だった、と瑜里逢は内心胸をなでおろしていた。いくら幼馴染とはいえ、お互い22や20ともなれば見せてはいけないものだってある。朝っぱらから「どすっぴん」を見せるのも見るのも、多少なりとも辛いものはあるだろう。下地を敷くのは必須。もともと肌の色は白い方だが、白いCCクリームをまず塗るのは必須だった。目元は微量のラメの入った茶色いシャドウをさして、睫毛はワンカール。頬には紅色のチークをほんのり載せる、最後にヌーディ―な色付きリップを塗る。ここまでやっているのに着替えへと気持ちが移らないのはなぜなのか、いささか疑問に思うところだった。

 「トイレ借りんで。」

 「うん、好きに使って。」

美水都がトイレの引き戸を引いた音が聞こえてから、改めて考え直した。久しぶりにおろした深い紺色のショートパンツ。足したり引いたり、なぜ幼馴染と出かけるだけなのにこうも悩まなければならないのか。妙に焦る気持ちはなんなのだろう。その焦る気持ちに、今の瑜里逢はまた焦ってしまう。

 「もうええか?」

 「あかん。まだ向こう向いといて。」

 「はいはい。」

 白地に、淡いオレンジの片鱗の舞うカットソー。華のようなこの絵は、いったいだれが描いたのだろう、と着ながらふと考えた。仕上げにロングカーディガンを羽織る。袖口についていた埃をはらって、ガラス張りの本棚に全身を映した。幼い頃見上げるようにしていた本達は、今はもう瑜里逢の胸のところにあった。

少し奥まっていた数々の本は手が届く位置にもなければ、せっかく背伸びしてとれたとしても背表紙のタイトルさえ読めなかった。拾える文字だけ拾って読もうとしてみても、その拾える文字はひらがなか少しばかりの感じだったから、首を傾げるしかなかった。遊びに来た美水都が読もうとしたこともあった。ただ、「かしてみ」といって本を片手に考えこむ瑜里逢からパッととった割には眉をひそめて黙り込んでしまい、普段見せないそんな美水都の姿が面白くて声をあげて笑っていた記憶がある。

 「ゆり、」

ドア越しに美水都の声が響いた。

 「綺麗に花挿してんな。ゆりやろ?今日の分あれしたん。」

 「そうそう。ようわかったね。母さんやと思わんかったん?」

 「そう、最初おばちゃんかなって思ってんけどおばちゃんとは違うなって思って。おばちゃんは大きい花びらの花をよう挿してやったし。瑜里逢のは瑜里逢ので、きれいやんか」

 「え、美水都そんなんいうてくれんの?ありがとう。」

 「もう、素直ちゃうなあ」

 「ありがとう、いうてるやんか」

 久しぶりだった、こんなに顔がほころんだのは。誕生日ケーキを買ってきてもらった時のような、眩しい喜びにきゅっと包まれるのを瑜里逢は感じて、目頭が熱くなった。花挽はなびき家のトイレの壁掛け棚にはいつも瑜里逢の母が季節の花を生けた花器を飾っていた。半年前に母親が体調を崩してからは、水を差し換えたり花々を生けたりするのを瑜里逢がすることもしばしばだった。

 「出れる?瑜里逢」

 「うん、行けるよ。」

 妹の舞結と弟の万桜が麦わら帽子をかぶって抱き合っている写真立て、もう一つ白いワンピースを着た女性が砂浜に足を伸ばして座っている写真。写真に映る三人とも、天真爛漫に笑っている。今にも笑う声が聞こえてきそうなその写真に、瑜里逢も美水都もふとした時に息をのみそうになっていた。それら二つをそっと瑜里逢はなでた。続けて美水都も骨ばった大きな手でそれらを包み込んだ。砂浜の女性は、美水都の姉の初香だった。

 「いまからいくな。」

 二人の声が重なった。階段を下りていく美水都の後姿は肩幅と背中が広くて、少し細いくらいなのに思わずりかかってしまいたくなるような、凛々しいものだった。瑜里逢はかぶりをふった。

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