002
◆
「あぁ〜、木原マジむかつくわ」
「まぁまぁ、体育教師なんてみんなああでしょ」
「でも、石塚先生はカッコイイしイケメンだよね。木原はデブだし、セクハラしてきてキモイんだよね、っと!」
鈍痛な痛みがお腹に響く。今の蹴りで、多分十五回目。お腹は痺れて、感覚が鈍くなっている。
意識は辛うじて保てる。皮肉にも殴られたり、蹴られる衝撃で。
今日の化け物達はすこぶる機嫌が悪い。
いつもならすぐ飽きるのに、体育教師の愚痴を肴に、ついでと言わんばかりで暴力をかざしてくる。
「キモイと言えば、田中。体育の時、めっちゃジロジロ見てきてキモくない?」
「あー、あいつ絶対童貞だわ」
「じゃあさ、佐藤さんが田中の童貞貰ってあげたら?」
「やば、それまじウケるんだけど!」
トイレに嫌らしい笑い声が響き渡る。
明るい髪の毛の化け物が、私の頭をパンパンと叩く。
「お前、明日田中とヤッてこいよ。こっちでセッティングしてやるからよ。証拠にゴム持ってこい」
気持ち悪い。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
吐き気が込み上げる。
世界の“毒”が、私の中にずるりと流れ込んだ。
「童貞だけじゃ不安だから、クラスメイトの男子全員に声掛けてあげるね。心配しないで佐藤さん」
「やべぇって、優しい友達持って良かったな佐藤」
ドンッと鳩尾に化け物の拳がめり込んだ。
思わずトイレの床に膝から崩れ落ちる。
吐瀉物が喉元までせり上がった。
「おい、返事しろよ、なぁ!?」
瞬間、頭から冷たい水をかけられる。
空になったバケツを投げつけられた。
ずしりと服が吸い込んだ水分で身体が重くなる。
「あー、面白かった」
「帰ろうぜ、授業始まるわ」
「佐藤さん、濡らした床。ちゃんと掃除してから教室おいでね」
「じゃーなー、佐藤」
悪意で、精神が爆ぜそうだ。
どうして神様は私に罰を与えるんだろう。
私は何か、悪い事をしたのかな。
じゃあ、もう神様が殺してよ。
なんで私だけこんな目に合わなきゃならないの。
ふざけるな。何が神様だ。死ね。
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。
無力な私は、ただ世界を呪う事しか出来ない。
死んじゃえよ、私。
◆
“先天性××皮症”
これが神様が私に与えた“罰”。
俗に、アルビノとも呼ばれるこの罰。
生まれた頃から私はメラニンが作れない。
だから、私には“色”がない。
髪の毛も××色。
体毛も××色。
肌も××色。
瞳は毛細血管が透過して、真紅の色をしている。
メラニンが作れないので、太陽に当たると火傷をしてしまう。だから、いつでも長袖だし、日焼け止めを身体中に塗っている。
併せて視力にも影響がある。
乱視だ。まぁ、これは眼鏡やコンタクトさえすれば少しは改善される。現に私はコンタクトをつけているし……
その他にも、色々と他の症状もある。
もう慣れてしまったけれど。
差別や、虐めだって、もう慣れっこだ。
慣れっこだから、大丈夫。
大丈夫、私は、大丈夫。
毎日、神様を恨みながら、堪え忍ぶのだって、もう慣れてしまっているから。
オレンジ色の光が窓から差し込んでいた。
静かになった教室は、今だけは私の味方。
オレンジ色は終わりの少し前の色だ。
もうじき、終わりの黒色が世界を包む。
私は夜が好きだ。
暗い世界は、私みたい存在でも少し馴染める。
でも、一番好きなのは夜と朝の境目。
黒が光で和らぐ時。
誰もいない世界が私を歓迎してくれる。
世界の全員が死んじゃって、私だけが生きている。
そんな錯覚を出来る瞬間がたまらない。
ただの錯覚、ただの気の所為なんだけれど。
でも夜になれば、夜と朝の狭間まで、私はこの黒い衣装も、ガスマスクも、外して外へ出れる。
少しだけ、私の“罪”が許されるのだ。
気付くと、私は涙を流していた。
涙が、止まらなかった。
私は、なんで生きているんだろう。
私は、なんで死ぬのが怖いんだろう。
それは、きっとまだ希望を持ってるからだ。
ある筈のない希望に、しがみついている。
私は、理解して欲しいのだ。
私は、普通の人間だって。
ただ皆と笑って、遊んで、喧嘩して、仲直りして、太陽に当たりたい。それだけでいいんだ。
私は見せ物じゃない。
私は××色お化けじゃない。
私は化け物じゃない。
私は、皆と同じ、人間なんだ。
思えば思う程、ぼろぼろと零れる涙。
このままガスマスクに涙が溜まって、私は悲しみで溺死してしまいたい。
いつも私は泣いてばかりだ。
泣いたって、罪は許されないのに。
目を瞑る。溢れた悲しみが、少しだけ頬を濡らした。
それから涙が止まったのは、すっかり世界が黒に包まれてからだった。
廊下の電灯に照らされた教室の時計を見るも、視界が異常にぼやけている。
なんだこれは。
ガスマスクの黒いスモークガラスも手伝って、視界はほぼ暗くてぼんやりとしている。
コンタクトが涙で流れちゃったかな。
……帰るだけなら、大丈夫か。
机に積まれたノートを鞄に押し込んで、教室を出る。階段は少し怖いけれど、一歩一歩確実に降りた。灯りがあれば、多少の段差は大丈夫みたい。
よくよく目を凝らして、自分の下駄箱を探り当てる。
靴を脱ごうとした時に、履いていたスリッパの存在を思い出す。そうだ、私の上履き。隠されたままだった。まぁ、いいか。明日、探そう。
どうせトイレか、ゴミ箱の中だ。
スリッパは下駄箱に入れておこ――
あぁ、外履きも隠されちゃってる。
どうしよう。スリッパ、で帰るしかないか。
靴を隠された程度じゃ動じなくなってきたのは、私の感覚が相当麻痺している証拠だ。
……帰ろう。