004
私は今、「何をしようとしてるの?」と問われたら間髪入れずにこう答えるだろう。「ドキドキ佐藤さん放課後おっかけツアーです」と。
説明しよう! 佐藤さんの生態を暴いてしまおうという趣旨の、このツアー。あわよくば、人気のないところに行ったならば、身ぐるみを剥いで、喋らないのをいいことに隅々まで舐め回してやろうなど、断じて思ってはいない。
断じて、思っては、いない!
……まぁ、つまりはなんだ。ストーカーと強姦を一気に犯そうと、やましい想いに支配されている訳で。後者は嘘、でありたい。否定はしません。てへっ。よし、私の可愛さ(当社比)により許された。
帰りのホームルームを終えて、やる気のなさそうな担任が教室をから出ていく。するとすぐにニンゲン達が、さも当たり前のような顔で、佐藤さんの机へ無造作にノートを積み上げていった。多くのニンゲンは無言でノートを捨てていくが、中には「よろしくね」と一言断る者もいれば、「ちゃんとやってこいよ」と上から目線で言葉を投げつける者もいる。
その様子から察するに、毎日の宿題は佐藤さんが担っているようだ。全く気付かなかった。
それもそうか、私は帰りのホームルームが始まる前にいつも帰宅しているのだから。
佐藤さんを監視するという任務さえなければ、こんなゴミ溜めにいる意味がない。病院にさえ行けば、美味しい美味しいニンゲンを食べれるのだから。じゅるるり。
ふと窓に目をやると、攻撃的な白さを誇っていた陽射しは、暖色に変わっていた。夕陽は美味しそうだ。あのオレンジ色でまん丸なフォルムが堪らない。ぺろぺろ。あぁ、夕陽食べたいなぁ、夕陽は、夕陽は、そう、夕陽で、夕陽は……
「……あっぶな」
トリップしかけた。机に垂れた涎をハンカチで拭く。一時間ほど前に喰らった精神薬が、いつもより効いているようだ。身体全体が重力という概念を失い、精神が空気中に溶けるような錯覚を覚える。一度に多量摂取した為に起こった弊害である。全く、ラリってる場合ではないのだ。そこら辺、空気を読まんかね、私の身体。
宙に拡散していく意識を手繰り寄せて、揺らぐ視界に佐藤さんをしっかりと捉える。今にも「あひゃひゃひゃぁあ!」とか突然笑いだしそうな衝動に駆られるのをぐっと堪える。話しかけてくる椅子や机が煩い。黒板がジッと私を見つめてくる。
私はフツーのニンゲンなのだ。世界の輪から外れることは、許されない。消えてくれ。
縋るように佐藤さんに集中するが、依然として動かない佐藤さん。
気付けば教室に、また二人きりになってしまっていた。
正確に言うと、“二人きり”と言うより“二人ぼっち”と言った方がぴったり合うような気がする。
教室内の淀む空気さえも肌で感じられるほどに、静か過ぎる世界は何処か不気味だ。
ここから異世界に私と佐藤さんが転生されてしまうのだろうか。そうなったらチートはいらないから、フツーのニンゲンにして欲しい。
いつからだろう、薄手のカーテンに反射する陽射しがオレンジ色からピンクがかっていた。次第に重くなる瞼に、遠のく意識は抵抗できない。
ぐるぐる巡っていた思考は、気付けば停止していた。
「んぁっ」
花の女子高生らしからぬ寝言に驚いて目が覚める。なんという間抜け。もっと「あんっあっあっあっあぁああん!」とか色っぽい寝言にしたい。嘘です。
ぼやける視界はま真っ暗だった。夏の熱気があからさまに和らいでいる。窓からは明らかな涼風がそよいでいた。
もう、夜か。何時間寝たんだろう。薬が身体から抜けきったようで、寝る前より意識が鮮明だ。
暗闇に目が慣れてくると、廊下の電灯で教室内が微かに姿を表してくる。佐藤さんだ。
佐藤さんだ!!
わぁい、佐藤さんだ!
やべぇ、忘れてた、佐藤さんの観察してたんだ。
危ない、なに寝てたんだ私の馬鹿! 低偏差値!
ニンゲンのクズ! ゴミ! 消えろ! 消えたい……
佐藤さんはもぞもぞと帰り支度をしている。
携帯を確認すると、時刻は八時ちょうどを指していた。通りで暗くて、人の気配がしないわけだ。
「…………人の気配が、しない?」
思わず小さく呟いてしまう。
待てよ。暗くて、人の気配がしない?
これってチャンスか? 押し倒せば、イケる?
待て、待つんだ、私。犯罪者になっていいのか?
佐藤さんを舐めて、犯すように貪って、少年院に送られる覚悟はあるのか?
ぐぅ、と小さく腹の虫が疼いた。
……難しい事は襲ってから考えても遅くはない。
そうだ、間違いかどうかは私が決める。
犯罪かどうかも私が決める! 私がルールだ、ここには法も秩序もない! 世は世紀末である! 世紀末ガール爆誕!!
椅子からゆっくりと音が出ないように立ち上がる。
サバンナに放たれた飢えたライオンは、抵抗しそうにない獲物にギラリと視線を送った。息を潜めて近づく。気配を撲殺して、足音を絞殺する。
刹那、佐藤さんが椅子を引いて静寂を崩壊させる。闇に紛れる黒のパーカーを軽く正して、ガスマスクがズレているのか小さく位置を調整し直した。
思わず息を呑む。
あとほんの数歩まで背後に接近した私に一瞥をくれることも無く、佐藤さんは前の扉から教室を去っていった。
「バレたかと思った……」
どうやら、微動だにせず前だけを見続けていた佐藤さんは最後まで私に気付かなかったようだ。ガスマスクの視界の狭さたるや。
そして、間を置くことなく、冷や水をかけられたように思考が冷静になる。
犯罪者になるまで、あと数歩だった。柄にもなく冷や汗が額を濡らす。佐藤さんに助けられた。
佐藤さんを追わなくては。決してまた襲うチャンスを狙ってるわけではない。そう、このお礼を言わなくては。暗闇で人気のない場所辺りで、お礼を言わなくては私の気が済まない!
あくまで暗闇で、人気のない場所で!
自分に言い訳をすると、すぐに佐藤さんの後を追った。後ろから見ると、佐藤さんは酷く華奢に見える。身長こそ女子高生の平均くらいだろうが、スカートから伸びる黒タイツを履いた脚なんか、今にも折れてしまいそうだ。
だからと言って、ししゃも脚のような気味の悪い形ではない。細いながらもしっかりと肉がついていて、美味しそうだ。しゃぶりたい。じゅるるり。
昼の佐藤さんの匂いが、未だに脳裏から離れない。思い返す度に、舌が、脳が、細胞が、佐藤さんを欲する。一人のニンゲンに執着するのは、初めてだった。
もう引き返せないよと、ニンゲンのふりをした私が涎を垂らしながら心に問いかけてくる。止める気もない癖に、しゃしゃり出てくるな。
ほぼクラスメイトのニンゲン達全員分のノートが入ったスクールバッグを重そうに抱えて、佐藤さんは階段を降っていく。
いま後ろからバーンと突き落としたら……
いや、それは駄目だ。ニンゲンは死ぬと不味くなる。祖母の死体を舐めた時の教訓は忘れてはいけない。あくまで生け捕りにしなくては。
あぁ、まただ。簡単に人を殺すような思考をしてしまった。マドンナ先生に怒られる。とりあえず、佐藤さんを舐め終えたら、病院に行こう。
佐藤さんの匂いを嗅いでからの私は、化け物じみてきている。
いつからか握り締めていた手は、汗でじんわりと掌を濡らしていた。スカートのポケットから薬をフリスクのように平らげる。ごくん。よし、これで少しの間はニンゲンのふりを出来る。その間に勝負を決めよう。そして薬の効果が最大限に出てしまう前に、マドンナ先生に会いに行く。
ちょっと舐めて、すぐ逃げる。
よし、私は正常なニンゲンだ。大丈夫。
佐藤さんは下駄箱に履いていたスリッパを丁寧に下駄箱へ入れて――
そこでピタリと佐藤さんが止まった。
数秒硬直した佐藤さんは、来客用のペラペラなスリッパを履き直して、そのまま学校の外へと出ていってしまった。どうしたのか。
してはいけないと分かっていながら、佐藤さんの下駄箱を開けてみる。得体の知れないゴミで下駄箱がいっぱいだった。これも虐めの一貫なのか。無駄な事をする。
でも、佐藤さんの匂いがどれかのゴミに付着している可能性もある。私は昼食のとき食べた食パンが入っていたスーパーのレジ袋へゴミを全て投げ入れた。後で佐藤さんを舐めた後、一つ一つゴミを検証しようと思う。変態ではない。
そして、いつの間にか校門近くまで歩いていた佐藤さんに追いつくために私も足早に学校というゴミ溜めを後にした。