005
「それで、どこ行ってたの?」
「じゃーん」
「え?」
佐藤さんはポケットから小さい長方形の小物を取り出す。暗くてよく分からない。
そんな私の表情を見かねたのか、したり顔で佐藤さんは長方形のものに親指を滑らせた。
シュボッと音がなって、ゆらゆらと炎が蠢いた。
「ライターだ!?」
「ふふっ、キャンプファイヤーやろ?」
「え、どこから持ってきたの?」
「来る途中に落ちてたんだ」
「え、あったっけ?」
今までの道は土と木に草しか無かった。人工物のゴミすら見当たらなかったけど……
「らめ子さん、エクスカリバー振り回して歩いてたから気付かなかったんじゃない?」
「えぇ?」
そんなのあったら私がいの一番で拾うんだけど。
うーん、でも確かに地面はあまり見てなかったな。
「ほらほら、枝とか集めよう?」
訝しげな表情で見つめる私を急かすように佐藤さんは立ち上がった。
色々と疑問はあるけど、佐藤さんは教えてくれそうにないので私も立ち上がって準備に取り掛かることにする。
キャンプファイヤーと言えども、大きな木なんか集められないし、消化も行えない。
手頃な小さい小枝を組み合わせて、四角形に上手く形を整えた。
「思ったより綺麗に出来たね」
佐藤さんもご満悦な出来である。灯篭くらいのサイズだけど、ミニキャンプファイヤーの準備は整った。
あとは着火剤だけど……
七月初旬、青々とした草に葉しか無いわけで。
枯葉も、何もない。今日、授業を受ける気のなかった私のスクールバッグで着火剤になりそうなのはポケットティッシュくらいだ。
「ポケットティッシュじゃ、小枝に火つく前に消えちゃうよね」
「ふふふ、飴子ちゃん。私持ってるんだよね」
佐藤さんは笑顔でスクールバッグの中からたくさんのノートを取り出す。
それはクラスメイト達に押し付けられたノートだった。
「それ燃やすの?」
「駄目かな?」
「わはは、最高じゃん!」
笑いが止まらなかった。
佐藤さんも声を出して笑っていた。
ノートの一冊にライターで火を着けて、組んだ小枝の中に投入する。火が絶えないように、三十冊近くのノートを逐次継ぎ足していった。
全部投入し終える頃には、枝に火がついて小さなキャンプファイヤーが完成した。
パチパチと枝が火で弾ける音がする。
達成感が沸沸と湧いてきた。
「まじでキャンプファイヤーだ……」
揺らめく炎は大きくて、火花が蛍みたいに飛び散って闇に消えていく。
隣に座る佐藤さんを見ると、何ともいえない表情で残りのノートを数冊抱えていた。
「これが、初めてなの」
「え?」
じっと炎を見つめて、佐藤さんはノートを投げ捨てた。めらっと火がノートにつき、炎に侵食されるようにノートが消えていく。
「今まで、何も変わらないと思ってた。私は神様に嫌われてて、皆も私のことを嫌ってて。それが一生続くって」
「……うん」
「だからそれに抗いもしないで、私はずっと耐えてきた。でも、こうやってあいつらのノートを燃やせた。……こうやって、飴子ちゃんと楽しい思い出を作れた」
そして、佐藤さんは私を真紅の目で見据える。
「私達、少しは人間らしくなれたかな?」
「……わはっ、当たり前じゃん。今の私達は世界で一番ニンゲンやってるよ!」
「……そうだよね!」
佐藤さんが笑ってくれた。柔らかい火に照らされた佐藤さんは、この世で一番美しいニンゲンだった。
宇宙で一番、輝いている。
空を見上げると、宝箱がひっくり返ったようにキラキラと宝石が散らばっていた。
「めっちゃ綺麗」
「本当だ……」
「星って、美味しいのかな」
「ふふ、飴子ちゃんは食べる事ばっかりだね」
「えー、佐藤さんは食べたくないの?」
「んー、食べるかどうかは別として……」
佐藤さんは空に手を伸ばす。
「欲しいかな」
「わはっ」
「変かな?」
「んーん!じゃあ、いつか星をプレゼントするね」
「ふふっ、本当に? 約束だよ?」
「もちろん、あそこらへんの星、ぜーんぶ佐藤さんにあげる」
指で大きく丸を描いて、一番きらきらしている塊を指し示す。佐藤さんはでたらめだと思っているのか、くすくすと笑っていた。
「飴子ちゃん、ずっと私の側にいてくれるって言ったよね」
「うん!」
「私も、ずっと側にいるよ」
ぎゅっと私を抱き締めてくれる。
「だから、今日のこと絶対忘れないで」
「もちろん」
「これも約束だからね」
「約束」
「じゃあ、ご褒美あげる」
刹那、身体を離したと思いきや、佐藤さんの顔が目の前にあって――――
ふわりと香った彼女の匂いに、わたあめみたいな軽い感触が唇をくすぐった。しっとりとして、マシュマロのような感触で、甘くて、痺れて、溶けてしまいそうな、そんな口づけをされる。
たった数秒にも満たないその行為は、永遠に忘れられない数秒だろう。
唇を離した佐藤さんは、照れるように笑った。
仄暗く照らす炎のせいか、頬は上気している様にも見える。
そんな彼女が、とても愛おしく思えた。
どんな綺麗な宝石も、あまつさえ星さえも彼女の美しさには適うはずがない。白色に光り輝く佐藤さんは、きっと宇宙人なんだろう。こんな今にも消えてしまいそうな、儚くも存在感を放つ美しい少女がニンゲンなわけがないのだ。
闇に消え入りそうな白色を、手放さないように抱き締めて、もう一度、今度は私から唇を重ねる。
この瞬間だけ、世界は私達二人きりだった。
◆
空は青かった。雲は真っ白だった。
「ねむ……」
「さすがに疲れたねぇ」
「お腹も減った……」
「グミ美味しかったね」
「喉も乾いた……」
「飴子ちゃん走り回ってたしね」
「暑い……」
「夏だからねぇ」
ベンチに二人で身を寄せてから、何時間が経過したんだろうか。少なくとも太陽が顔を出してすぐに私達はここへ座っていた。蝉が野外でフェスでもやっているのかというくらい轟々と絶叫を上げる中、私達はただ太陽に焼かれるしかない。
佐藤さんは黒い手袋に黒いパーカー、そして黒いガスマスクに黒い日傘という完全防備の中、身動きもせずジッとしている。熱中症が心配だけれど、こんなのは慣れっこらしい。
「はやく電車きてー死んじゃうよー」
「もうちょっとで来るよ」
「はー、死ぬ。もう死ぬ。てか死んでる」
「らめ子さん、頑張って。もうちょっとだから」
「佐藤さん時刻表知ってるの?」
「んー、知らないけど……あ、ほら来たよ」
謀ったかのようなタイミングで、遠くから電車が見えた。佐藤さんは電車が来るか分かる超能力でもあるんだろうか。
電車の中では再びぐっすりと佐藤さんの超高級膝枕で快眠した。家に着いた頃には昼過ぎで、仕事から帰ってきたマドンナ先生にこっ酷く叱られたのは言うまでもない。