004
◆
「飴子ちゃん、起きてー」
「んがっ」
目を開けると外からはオレンジ色が車窓に差し込んでいた。どうやら佐藤さんの膝枕が心地よすぎていつの間にか微睡みの世界に落ちてしまったようだった。
身体を起こして寝惚け眼で佐藤さんを見ていると、ガスマスクをつけている。
「……ここ、どこ」
錆びれた看板には見慣れない駅名が書かれていた。
ぼろぼろのコンクリートに風化しそうな木製のベンチが一つだけ。
見渡す限りの鬱蒼と茂る草木と山々は、異世界に迷い込んだようだ。
「終点だって」
「降りなきゃいかんやつか」
まだ覚醒しきらない頭でふらふらと駅に降りた。
プシュウッと音を立てて、扉が閉まる。
そして、そのまま――
「……ねぇ、佐藤さん」
「ん?」
「電車行っちゃったけど」
「そうだね」
「これ帰れんのかな」
「帰れると思う?」
「思わない」
「じゃ、帰れないかな」
「なるほど、了解しました」
携帯を取り出して時刻を確認する。
午後六時を回った所だった。五時間近く電車に揺られてたのか。いやいや、それより……
「ねぇ、佐藤さん」
「ん?」
「携帯、圏外なんだけど」
「そうなんだ」
「これ、帰れないよね」
「帰れると思う?」
「思わない」
「じゃ、帰れないね」
「なるほど、了解しました」
おいおい、なんて魔境に来ちまったんだ。
てか、何処だよここ。駅降りて圏外とか秘境としか思えない。いやいや、確かに民家もなにもないけどさ、この駅誰が利用してんの?
「飴子ちゃん不安?」
「正直言っていい?」
「うん」
「おら、めちゃくちゃワクワクすっぞ」
「さすが、でたらめ子さん」
くすくすと笑う佐藤さん。
いやぁ、なんだろう。こういう場所はとても冒険心をくすぐられる。
「えーと、あれ、お金ってどこで払うの?」
「多分、切符をここに入れるんだと思う」
ぼろぼろの木箱を指指す佐藤さん。
「え、でも私達ICカードで乗ってきたから切符持ってないよね」
「ないね」
……静寂。
くそ、現代っ子舐めんなよ!
「ぴっ!!」
「……なにやってんの飴子ちゃん」
木箱にICカードを押し付ける私に訝しげに訪ねる佐藤さん。若干引いてる気がするのは気のせいだ。
「ほら、佐藤さんも精算して!」
「……はい」
おずおずと木箱にICカードをつける。
「ぴっ!! はい、精算しました!!」
「……でたらめだね」
「でたらめ子さんだからね。さて、行きますか」
「あ、ちょっと待って」
そう言うと佐藤さんはガスマスクを脱いでしまう。
「え、大丈夫なの?」
そして、スクールバッグにガスマスクを引っ掛けて、代わりに折り畳みの黒い傘を出した。
「うん、大丈夫だよ。日焼け止めも塗ってるし、元々ガスマスクなくても顔が痛くなるだけで平気だしね。一応、日傘もさすから」
「そっか」
ほえほえ、なるほど。
後は私が佐藤さんの匂いに興奮しないかという問題だけですね。頑張ります。
「じゃあ、気を取り直してれっつごー!」
「どこいくの?」
「うーん、とりあえずこの砂利道進もっか。むしろ砂利道以外山と草原だし」
「わかった」
「お、手頃な木の棒みっけ!」
「でたらめ子さん、小学生みたいだね 」
「うむ、良い木の棒だ。エクスカリバーと名付けよう」
「強そう」
「攻撃力は百億。斬られた相手は死ぬ」
「強い!」
「わはは、私つえー!」
ぶんぶんと振り回してみると、これが何とも小気味よい音を出して空を裂く。
気分は異世界に転生した勇者だ。
砂利道を進んでいくと、すぐに二手に道が別れた。
山を登る方と、森に進む方。
「佐藤さん、どっちがいい?」
「飴子ちゃんは?」
「うーん」
……ああ、そっか!
「我が道を切り拓け! エクスカリバァアッ!!」
ぽいっと空中に投げる。
エクスカリバーが土に落下すると、先端が森の方を指した。
「じゃあ、森!」
「えいっ」
佐藤さんはエクスカリバーを蹴って、山へ先端を向けた。
「エクスカリバーが山だって」
「ほほほ、なかなか大胆ね佐藤さん」
「さて、何の事でしょ?」
とぼける佐藤さんもふつくしい。
別段断る理由もないので山に進む事にした。
ハイキングという割には道は悪く、大きな石や木がたくさん転がっている土の道だ。
幸い、山はそんなに高くないので三十分もしないうちに登ってしまえるだろう。
そう言えば、森の方はやけに道が綺麗に出来てるな。森にハイキングコースでもあるのかな?
「登りますよ、らめ子さん」
「あ、まってよ佐藤さん~」
それからの私達は、下らない話をしたり、エクスカリバーⅡを手に入れたり、花を摘んだり、石を蹴飛ばしてサッカーをしたり、ガスマスクの仕組みを教えて貰ったりと休みもなくひたすら山を登る。
頂上に着いた頃には、すっかり空が暗くなっていた。
鳥達の声は聞こえなくなり、虫の鳴く音や蛙の合唱が小さな丘に木霊する。時にザァァッと低く木の葉が揺れる音がした。
下を見下ろしてみるが、暗くて何がなんだかよくわからなかった。
「絶景、とまでは言えないね。暗いし」
「本当は飴子ちゃんと夕日が落ちるの見たかったんだけどね」
「でも、なんかキャンプみたい! キャンプしたこと無いけど!」
「ふふっ、私もないや」
「キャンプファイヤーとか憧れるよねぇ。なんかライターとか持ってきたらよかった」
「……キャンプファイヤーやる?」
「え? ライターあるの?」
「んん……ちょっと待っててね」
「え、どこいくの?」
「待っててね?」
「いや、危ないって。私も――」
「お座り!」
ぴしゃっと言い放つ佐藤さんに思わず反応して座ってしまう。我ながら忠犬っぷりに感服した。
「いい? “待て”、ね?」
「……どこいくの?」
「すぐ帰ってくるから、待っててね? 帰ってきたら、ご褒美あげるから」
「うん……」
「元気だして? すぐ帰ってくるし、また気持ちよくしてあげるよ?」
「わんっ!」
「よーしよし、じゃあ行ってくるね」
くしゃくしゃっと私の頭を撫で付けて佐藤さんは来た道を引き返して行った。
心配だけれど、私は忠犬なので待つ事にした。
なんか、すごい心が充実している。
友達と遊んだのなんて、何年ぶりだろう。
指折り数えてみるけど、片手を全部折ったところで面倒で辞めた。
多分、友達と遊んだってことより、佐藤さんと遊べたのが何よりも楽しいんだと思う。まだ知り合って一日だけれど、私と佐藤さんには時間以上のものが築けていると思う。私だけが思っているかもしれないけれど。
佐藤さんを笑わせたいと思った。
佐藤さんは笑っているのが一番可愛い。
小さく上がる口角や、まんまるい赤いお目目が細まるのがとても、こう、心臓の辺りが、なんだろ、“きゅんっ”てなる。
むらむらだったり、きゅんっだったり、佐藤さんは私にたくさんの初めてをくれた。
私は佐藤さんに何か与えてるんだろうか。お返しがしたいけど、何か出来る事はないかな。そんなこと考えた事もないから全然思い浮かばないや。
こういう時にニンゲンなら、すぐ思い付くんだろうな。ニンゲンは私より色んな事を体験しているから。
帰ったらマドンナ先生に相談してみよう。
……そう言えば、マドンナ先生心配してるかなぁ。
ぼんやりとマドンナ先生のことを考えながら、闇を見つめる。
どれくらいぼけっとしていただろう。ふと佐藤さんの事を思い出した。やけに佐藤さん遅いな。
携帯を見てみると時刻は七時半になっていた。
もう一時間近く経つ。何かあったのかな、探しに行った方がいいかな……
「……ん、あれ?」
電波が一本立っている。電話、出来る感じ?
登録件数一件のアドレス帳から発信相手を選ぶ。
二度、三度のコールの末、マドンナ先生が出た。
「やっほー、マドンナ先生。ぶちゅっちゅっ」
『どうしたの、電話なんて珍しいわね』
「なんかねー、電車ないから今日帰れないんだよねー、だからご飯いらないや。明日の朝、帰るね」
『はぁ? あんたどこにいるの?』
「はて、何処だったかな」
『飴子、あんたね――』
「だいじょーびだよ、心配しないで」
『…………あの子と一緒なの?』
「あの子? あ、うん、佐藤さんといるよー、今はいないけど」
『迎えに行くから場所教えなさい』
「えー、うーんとね――」
その瞬間、スッと携帯を取られた。
驚いて振り向くと佐藤さんが立っている。
「わお、佐藤さん心配したよ!」
「……相手は誰?」
「マドンナ先生だよーっ、迎えにくるから場所教えてって言われたんだけど、ここ何処だっ――」
私が言い切る前に佐藤さんは携帯を操作して、電源を切った。そのまま無表情で電池パックを抜いて、本体を私に返す。
その表情は、無表情でありながら恐ろしいほどに冷たく感じてしまった。
「帰るまで、電池パック預かっとくね」
「う、うん」
そして、佐藤さんは私をぎゅっと抱き締めてきた。
「……どこにも行かないでね」
「……うん、ずっと佐藤さんの側にいるよ」
佐藤さんの温もりを感じながら、私も抱き締める。
すっぽりと収まる佐藤さんの身体は、表情とは裏腹にとても暖かくて、心までぽかぽかした。