001
ニンゲンってとっても美味しい。
まろやかな味、刺激的な味、ジューシーな味……
辛い味はちょっと苦手だけど。
ニンゲンは人それぞれ色んな味がある。
先に断っておくと、私は別に食人主義者ではない。
それはやってはいけない事だから。
だから少しだけ舐めさせて欲しい。
出来ることなら噛み付かせて欲しいけど。
ニンゲンは美味しい。ある意味、私はニンゲンが好きだ。
私はおかしい。わかっている。私は異常者だ。
いや、世間曰く私は〝化け物"だったか。
まぁ、いい。とにかくだ。
私の頭の中は沢山のニンゲンでいっぱいだった。
佐藤さんに出会うまでは。
◆
あぁ、お腹が減った。とてつもなく減った。いや、お腹が減ったという表現は語弊を生むか。現に私は安売りスーパーで買ってきたパサパサの食パン四片をまとめて貪っているわけだ、お腹は驚く程に満ちていく。残りの二片はおやつでとっておきます。
ごっくん。ご馳走様でした。
それでも何故、食欲が滝のように湧き出ているかと言うと、あちらこちら良い匂いがした食べ物がうろついてるからである。わははは、頭も身体も元々狂ってます。
しかし、食べ物がうろついてるって言っても、バナナに脚が生えていたり、ステーキに羽が生えたトンデモ世界に迷い込んだわけではない。はたまた、幻覚を見ているわけでもないのです。
私はニンゲンの味がわかるのだ。
こんな事を突然他人に告白したら、不思議ちゃんを通り越して、気が触れた人か食人嗜好の狂人と捉えられるに違いない。多少、気は触れているので前者は当て嵌るかもしれない。
まぁ、そういう訳で、この“ニンゲンの味がわかる”ことは、小学生以来誰にも言わず、ひた隠しで生きてきた。
“表”の私はクラスメイトから見向きもされない村人E。“裏”の私はクラスメイト達を舐めたくて、齧り付きたくてしょうがない狂人もといキ〇ガイとも言う。
でも、裏表なんて誰にでもあるよね。
そう、ニンゲンは誰しも裏表がある。それでは、どちらが本当の自分なのだろうと考えると、考える間もなく“裏”だろう。間髪入れずに“裏”だ。
“表が嘘”で“裏が本当”とかニンゲンはややこしい。
しかし、そう騙し合いをしなければまともにコミュニケーションが取れないのがニンゲンなのだ。なんと非効率で愚か! アダム先輩とイヴパイセンが林檎なんて食べるから! 神様激おこだぞ! ぷんぷん!
まぁ、今更私がJK(笑)アピールをしても痛いだけなのは百も千も万も承知なので良しとしとこう。しておいてくれ。
とにかくだ。皆、“表の顔”っていう汚い仮面を顔面にアロンアルファで塗り付けて生活している。
でも、彼女はどうだろうか。
私と対岸の席に座る、あの子。
あの子も顔面にアロンアルファで“表の顔”を貼り付けているのだろうか?
それは否、彼女はそんなもの貼り付けてはいないし、貼る必要もない。
だって彼女は――
「ガスマスク、付けてるからねぇ」
今、クラスメイトのJK達がとち狂ったように着用しているマスクとかそういう次元じゃない。
顔の全面を覆う、その黒塗りのフォルム。
視界を確保する二つの円い硝子は、表情が見えない程の黒いスモーク硝子。
口元は三叉に別れていて、その左右には缶のようなものが取り付けられている。
つまりは、本格的な全面ガスマスク。
それも威圧感たっぷりのゴツいやつ。
しかも夏でも革製の黒手袋を着用して、黒色のパーカーのフードを深く被り、フルジップで着こなすファッションセンスの持ち主である。
それにこのクソ暑い季節でも厚い黒タイツを履いている。
故に彼女は肌を全く露出していない。
そして、極めつけはガスマスクにかかる前髪と、パーカーからはみ出しているおさげの髪の色だ。
それは白髪と呼ぶには余りに無礼と思えてしまう程の、白金のような色をしている。艶めき、輝き放っている純白に煌めくその髪。吉祥寺辺りの七三分け丸眼鏡お洒落髭カリスマ美容師にでも染めてもらってるのだろうか。彼女の頭皮へのダメージが気になり夜も眠れない。もちろん、嘘だ。
名前は確か、佐藤さん。
教師達は彼女が見えていないのか、注意も指摘もしない。まさか教師には見えていないのか。暑い日はたまに、シュコーッシュコーッとダース・ベイダー的呼吸もしているのを聞こえていないのか?
だとすると、彼女はガスマスクの妖精さんかなにかだろう。ガスマスクの神様かもしれない。日本八百万の神と言えども、ガスマスクの神様も存在するとは。ビバ・ジャパン、神の国。
クラスメイト達の匂いは大概こっそり嗅いだけれど、彼女だけは嗅げなかった。なんというか、服に全身が覆われているから匂いがあまりしない。
正直、少し興味がある。頼めば、ぺろっとどこか舐めさせてくれないかな。くれないな。
我ながら間抜けな思考に時間を費やしいると、クラスメイト達ががやがやと教室から移動し始めた。確か、次は体育だったか。うーむ、真夏の体育。食後となると、かなり面倒くさい。
しかも汗臭くなるから、ニンゲンの匂いと汗臭さが混じり合い、具合も悪くなる。多分、普通のニンゲンには汗臭い人達で満たされた食堂に入ってると思って頂けたら、私の苦労がわかってくれるはず。
猥雑だった教室がしんと静まる。おやおや、どうやら教室には私と佐藤さんだけになってしまったようだ。
そういえば、佐藤さんは一度も体育で見かけた事がないな。佐藤さんって、いつも何してるんだ? 佐藤さんって、喋れるのか? ていうか、佐藤さんって、ニンゲンなのか?
佐藤さん。謎とガスマスクに包まれたクラスメイト。
そんな謎の佐藤さんについて、私が知っている事と言えばなんだろうか。
まず、佐藤さんは動かないよね。滅多に動かない。多分、一日の八割は電池が切れている。それか、一日の八割は変わり身の術を使って人形が椅子に座っている。
今みたいに、背筋を伸ばして真っ直ぐ黒板を見つめたまま、一日の八割を過ごしている。
じゃあ、いつ動くのかと言えば、教科書を変える時と、休み時間にクラスメイト達と何処かへ席を立つくらい。
後は、登校がいつも早い。少なくとも私よりは遥かに早い。彼女の登校姿を見かけた事がない。真夏に黒色のパーカーを着て、ガスマスクを着用した少女の登校は非常に愉快だと思うので、一度は拝見してみたいのだが。
話を戻そう。
次に下校についてだが、こればかりは私がいつも瞬速で帰宅してしまうのでよく分からない。イメージ的に帰るのも早そうだが。意外とクラスメイト達と放課後に青春を謳歌しているのかもしれない。ガスマスク付きで。
ガスマスクと言えば、四月頃クラスメイト達がガスマスクを脱がそうとした事があった。しかしながら、それは失敗に終わる。別に佐藤さんが抵抗したとか、逃げたとかではない。むしろ抵抗せずになすがままにされていた。
ガスマスクが剥げなかったのだ。
もしかするとガスマスクは呪いの仮面なのかもしれない。それか本当にアロンアルファでくっついているか、ガスマスクみたいな顔した女の子のどれかしかない。願わくばどれも嘘であって欲しい。
考えれば、考えるほど佐藤さんは謎だ。
謎が塵に積もって、積もりまくった結果、ニンゲンの形になったのが佐藤さんである。
そんな佐藤さんはどんな味がするんだろう。
もう頭は佐藤さんでいっぱいである。佐藤さんの正体を暴きたい。佐藤さんの味を知りたい。佐藤さんを舐めてみたい。佐藤さんを、食べてみたい。
……いかんいかん、涎が垂れてきた。
体育館などに行ってる場合ではない。
木製の堅い椅子に腰を据えて、依然として充電中である佐藤さんを見据えた。
私は佐藤さんを観察してみようと思う。