第93話:「誰に会えたら嬉しいの?」
「風呂やべぇ、マジやべぇ!」
「絶対に……作る!」
俺が応接室のソファに座って死んだような目で窓から見える夕日を眺めていると、上気した顔のドルチェとサーシャが入ってきた。
どうやら今の今まで風呂を満喫していたらしい。
そんな2人とは対照的に、俺のテンションは駄々下がりだ。
念願の風呂に入れた事自体は嬉しかったが、入っている間中ずっとクリフトスさんに質問攻めにされていたので、全くと言って良いほど寛ぐ事ができなかった。
そのクリフトスさんは今はここに居ない。
まだ残っていた仕事を放り出して俺達をわざわざ門まで出迎えに来ていたらしく、風呂から上がったところを老齢の執事らしき人に仕事場に連行されていった。
それでも、仕事が終わったらまたすぐに根掘り葉掘りリンの事を聞かれそうな予感がする。
ボロが出ないうちにクリフトスさんとは距離を取りたいのだが、相手は一応この街の領主なのでそれは難しいかもしれない。
「ドルちゃんもサーちゃんもこんなところにいた~! 次はお着替えをしましょう!」
風呂に行く前とはまた違ったドレスを着ているエリーザさんが部屋に入ってきたかと思うと、またしてもドルチェとサーシャの腕を取って引き摺って行く。
「あ、あたいはヒラヒラした服は……!」
「ぼくは……お風呂の研究が……」
今度はドルチェ達が売られていく仔牛のような顔になっているが、俺はこの短時間でエリーザさんに逆らっても無駄だという事を理解したので、何も言わずに2人に手を振って見送る事にした。
残されたのは俺とセリーヌさんだけだ。
「私はギルドに顔を出してきます」
「あ、俺も行きます! 護衛ですから!」
セリーヌさんの言葉に俺は反射的に同行を申し入れていた。
ぐずぐずしていたらまたクリフトスさんに絡まれてしまう!
俺があまりにも必死な顔をしていたからか、セリーヌさんが苦笑しながらも同行を許可してくれた。
セリーヌさんと一緒に屋敷から出て探索者ギルドに向かって歩いていると、先ほど窓から見ていた夕日はもう完全に沈みそうになっている。
時間的にはもうすぐ午後3の鐘が鳴りそうだ。
「いろいろと報告する事もありますので、半鐘ほどかかると思いますが……」
「俺が聞いたら拙い話もありますよね。適当にその辺で時間を潰してますから、俺の事は気にしないで良いですよ」
「では、時間になりましたらまたここに」
そう言い残してセリーヌさんが奥へと消えていったので、半鐘……1時間ほど自由時間になった。
「さてと、どこで時間を潰そうかな?」
領主の屋敷ではきっと今頃ドルチェとサーシャが着せ替え人形状態だろう。
正直、それは凄く見てみたいのだが、それ以上に今はクリフトスさんから離れて英気を養いたい気持ちでいっぱいだった。
エミリーやドルチェと知り合ってからは、こうやって一人で街を散策する事は無くなっていたので、何だか新鮮な感じがする。
ギルドの訓練場で特訓をしようかとも思ったが、風呂で汗を流したばかりなので少し躊躇してしまう。
とりあえず、街をぶらつこうとギルドを出ようすると、この街の探索者らしき男達がゾロゾロと入ってきた。
ダーレンでも何度も見たお馴染みの光景なのだが、何だか皆不機嫌そうな顔をしている。
探索者達とギルド員の会話に耳を傾けていると、「30階層が……」「負けた!」等と興奮気味に話していた。
もう少し近付いて詳しい話を聞かせて貰おうと思っていると、不意に背後から名前を呼ばれた。
「そこに居るのは、シュンか?」
この声、それに凍えるようなこの空気は……。
恐る恐る振り返るとそこには氷の精霊、ソルが立っていた。
「ソル? 何でこの街に?」
探索者であるソルに対してあまりにも間の抜けた質問になってしまったが、てっきり彼は王都マーメリアに居ると思っていたので、頭の中が少しテンパってしまっているようだ。
「もちろんこの街の迷宮の探索だよ。……まったくカーラの奴、この僕をこき使うとは良いご身分だ」
詳しく聞いてみると、ソルはカーラ女王に直接頼まれてこの街の迷宮探索をする事になったらしい。
「僕としてはさっさと北の街に行きたいんだけどね」
不満そうにそう言っているが、それだけカーラ女王から信頼されているという証拠なので内心は満更でもないのかもしれない。
その証拠にカーラ女王の名前を口に出す度にソルの頬が少し緩んでいた。
「って事は、ソルってこの街の『専属』探索者?」
「それは断ったよ。僕は縛られるのは好きじゃない」
でも、カーラ女王の『お願い』はしっかり聞くらしい。
「そっかぁ、ソルが居るならここの迷宮も大丈夫そうだね。オルトスと競争してるって聞いたけど……」
オルトスの名前が出た瞬間、ソルの顔が見る見るうちに不機嫌なっていってしまった。
気のせいかギルド内の空気も少し冷たくなったような気がする。
「……今日、30階層のボスが倒されたよ。やったのはオルトスの探索者だ」
中ボスが倒された事は喜ばしいのだが、リメイア側の探索者としてはやはり面白くないらしい。
ここに入ってきた探索者達が不機嫌そうな顔をしていた理由がようやく分かった。
何て言ったら良いのか迷っていると、ソルが「フン」と鼻を鳴らして俺を見上げてくる。
「関係なさそうな顔をしてるけど、倒したのは僕達と同じ『異世界人』だよ。しかも、あいつは僕と同じくソロだ」
「ソロって事は、メイラン……じゃないよね? それにしても、ソロか……」
『異世界人』の探索者と聞いて真っ先にメイランの顔が頭に浮かんだが、彼女には獣人の付き人が居たので違うだろう。
バイロン達にソルが後れを取るとも思えないので、どうやらオルトスでは会う事ができなかった『同類』がたった一人で30階層を突破したらしい。
「名前はギルベルト。白虎……虎の獣人だよ」
「白虎……。俺の居た世界では『神獣』とか『四神』って呼ばれる伝説上の存在だったけど、それの獣人かぁ」
一瞬、顔が虎の獣人を想像してしまったが、流石にそれはないだろう。
それにしても、『龍人』メイランに『白虎』ギルベルト……見事に龍と虎がこの世界に揃ってしまった。
「あんな力押ししか能の無い筋肉バカに遅れを取るとは……」
ソルが悔しそうにしているが、彼の事だからこのまま引き下がるはずがない。
もしオルトス側に負けでもしたら、カーラ女王の期待を裏切る事にもなってしまう。
「それはそうと、僕はまだシュンがここに居る理由を聞いてない」
「あ、うん、ギルドの依頼でマーメリアまで職員の護衛をしてるんだよ」
オルトスでは孤児院には一緒に行かなかったので、セリーヌさんの事は知らないはずだ。
水晶玉の事などは内緒にしなければいけないので、必要最小限の説明だけをする事にした。
「僕はてっきりアイラに会いに来たのかと思ったよ」
「う、まぁ、もちろん会えたら嬉しいけど……」
「へぇ~、誰に会えたら嬉しいの?」
「え? それはもちろんアイラに……って……ええええええ!?」
いきなり割り込んできた声に振り向くと、そこには今話題に出たばかりのアイラが……。
アイラの事を考えていたので幻覚でも見てしまったのだろうかと、思わず目の前の金髪美少女の顔をペタペタと触ってしまった。
「シュン、くすぐったいよ!」
「あ、ご、ごめん」
「あっ……、良いのに」
困ったような嬉しいような複雑な顔で俺を見つめているアイラから慌てて離れると、今度は少し寂しそうな顔になってしまった。
そんなアイラの百面相に思わず噴き出してしまうと、アイラも一緒になって笑っている。
「相変わらず仲が良いな。それに丁度良くソルもいるようだ」
ニヤリと笑っているダリアの声に顔を見合わせた俺達は今になって周りの視線に気付いた。
ギルドに居た探索者や職員が興味深そうに俺達を見ている。
特に巨乳で美少女のアイラは注目の的だ。
「炎姫?」と言う呟きも耳に入ってきたので、すっかりリメイアでは有名人なのかもしれない。
「こ、ここじゃなんだし、ゆっくり話せる所に行こうよ!」
「僕はアイテムを売ってくる」
注目されて居心地が悪そうなアイラはすぐにこの場を立ち去りたいようだが、ソルはそんな事は関係ないとばかりにスタスタと買取室へと歩いていった。
「うぅ……、やっぱりシュン以外の男の人の視線は嫌だよ~……」
涙目のアイラが俺の背後に回り込んで服を掴んでくる。
男達の刺すような視線が痛いが、俺もこうやってアイラがジロジロ見られるのは良い気分はしないので徹底ガードだ。
「そ、それにしても、シュンが居るなんてビックリしたよ! もしかしてシュンはギルド員の護衛でマーメリアに?」
何かを期待している眼差しのアイラに「そうだよ」と頷くと、パァッと笑顔になった。
「やっぱり! アタシ達はカーラ様の命令で迎えにきたんだよ!」
「それと、ソルの様子見」
ヘルガがぼそりと付け足す。
相変わらずの巨体に圧倒されそうになるが、その視線はどこまでも優しさで満ち溢れていた。
そこで俺は、ヘルガの陰に隠れてずっと無言で落ち着き無くそわそわしているシーナの存在に気付いた。
「シーナ、久しぶり。ダーレンでリンに会ったよ。凄くシーナに会いたがってた」
「り、リンにですか? あの子は元気ですか?」
それまでとは一転、シーナが俺の両肩を掴んで興奮気味に顔を寄せてきた。
それを見たアイラが慌てて間に割って入る。
「ちょ、ちょっとシーナ落ち着いて!」
キスしそうなくらい顔が近い事に気付いたシーナが、真っ赤な顔になっておずおずと離れた。
「すみません。取り乱しました」
「リンってシーナが言ってた妹だよね? シュンと知り合いなんだ~」
アイラが探るような視線を向けてくるので、俺は背中に冷や汗を掻いてしまった。
「戻ってみれば、随分賑やかですね」
戻ってきたセリーヌさんが少し呆れた顔をしている。
予定よりずっと早いお帰りなので、もしかしたら俺の事を気にして早く戻ってきてくれたのかもしれない。
そんな俺が、端から見たらとびっきりの美女、美少女達に囲まれているのだから呆れるのも当然だ。
「ギルド員はセリーヌだったのか。我々はカーラ様のご命令でマーメリアまで護衛する事になった」
「そうですか。カーラ女王陛下のご好意、感謝します」
ダリア達に向かって深々と頭を下げるセリーヌさん。
公私の区別はをしっかり付けようとしているのだろうが、旧知の友人にまたこうして再会できて、その瞳はとても嬉しそうだ。
「ほ、ほら、ソルも戻ってきたし、シュン達が泊まってる宿屋に行こうよ! 探索の進行状況も聞きたいからソルもだよ!」
「……何で僕まで」
「それなのですが……」
セリーヌさんが言い辛そうにシーナの事を見ている。
リンの話ではシーナはお見合い話が嫌で家に寄り付かなくなっているらしいので、彼女にとってはこの街に居る事自体気まずいのかもしれない。
セリーヌさんもその辺の事情は重々承知なのだろう。
「えっと?」
セリーヌさんの様子にアイラがきょとんとした顔で俺を見る。
「俺達が今日泊まるのはここの領主の屋敷。つまりシーナの実家なんだよ」
「やはり、そうでしたか……」
シーナががっくりとうな垂れてしまった。
だが、すぐに顔を上げてにっこり微笑む。
無理をしてるのが丸分かりの笑顔だが、今の彼女ではこれが精一杯といった感じだ。
「良い機会です。お母様にご挨拶してきましょう」
そういってスタスタと館に向かって歩き出す。
わざと省かれたとしか思えない「お父様」……クリフトスさんと会ったらどうなるのか心配だ。
そんな事を考えていると、アイラが俺の腕にしがみ付いてきた。
「シュン、リメイアへようこそ! この国に居る間は離さないから……覚悟してねッ!」
読んでくださりありがとうございました。
アイラ、再再登場。




