第92話:「『エリーちゃん』と呼んでくださいね!」
俺達を乗せた馬車が緩やかな坂道を登っていく。
大陸のど真ん中を縦断している大河に架けられた橋を渡ると、広大な山脈の西側にあるリンやシーナの父親が治める街……ラハティアが遠くに見えてきた。
今夜はラハティアに一泊して、明日は徒歩で山道を登る予定だ。
街を挟むように北と南に祝福の森が広がっている。
ぼんやりと段々近付いてくるラハティアの街を見ていると、一緒に御者席に座っているセリーヌさんが話し掛けてきた。
「リメイアは迷宮の攻略に最も力を入れている国なので、祝福の森の数も一番多いです。壮観ですね」
「オルトスよりもですか?」
「はい、リメイアの現女王カーラ様は森がとてもお好きな方ですので、いつかこの山脈を祝福の森で埋め尽くすのが夢だとおっしゃってました。オルトスは迷宮を攻略するというより迷宮を利用する事に力を入れているように感じられますね。祝福の森から与えられる恩恵よりも迷宮の魔物から手に入る素材の方が『戦士』にとっては貴重なのかもしれません」
淡々と話しているが、探索者ギルドの職員としては複雑な心境なのかもしれない。
「ですが、流石のアルヴィン王もカロの街の一件はかなり堪えたようですので、これからはオルトスも迷宮の攻略に本腰を入れてくると思います。ドゥーハンは良くも悪くも成り行き任せですね」
もしこの世界の迷宮が全て攻略されたら『探索者』はどうなってしまうのだろうか?
迷宮は自然発生するので完全に消滅してしまうという事はないだろうが、神様から能力を貰った俺達『異世界人』の存在は近い将来この世界のバランスを崩してしまうのではと心配になってしまった。
神様は俺達による住人の能力の底上げを期待しているようだが、すでにバイロン達は暴走気味だ。
あの2人ならそれ程脅威でも無いが、もし俺達異世界人の中でも『別格』だと思われるソルやメイランが暴走してしまったら……。
『神罰』が俺達にも有効なのかどうか分からないので、もしもの場合には異世界人同士での戦いが起こってしまう可能性も捨てきれない。
「……シュンさん?」
黙り込んでしまった俺をセリーヌさんが心配そうに見つめている。
「いえ、何でもないですよ。あ、もうラハティアに到着しますね」
誤魔化すように視線を上げると、後1、2分程で門に到着しそうだった。
外壁はトゥエルクと同じく丸太を打ち付けただけだが、きっとこの街にも結界が張られているのだろう。
街全体の規模はダーレンと同じくらいありそうだ。
「ラハティアはオルトスとも道が繋がっていますのでとても賑やかな街です。活気はもしかしたら王都マーメリアよりもあるかもしれません」
「迷宮はあるんですか?」
「ちょうどオルトスの最北端の街アスペルとの中間地点にありますので、両国の探索者が競い合って探索しています。ある意味一番注目されている迷宮ですね」
セリーヌさんの話では、どちらの国の探索者が迷宮を攻略するか公然と賭けが行われているらしい。
「私はリメイア、シアさんはオルトスに賭けています」
そういって悪戯っぽくニコリと微笑んだ。
門に到着した俺達が水晶玉でのチェックをしていると、エルフの青年がこちらに歩み寄ってきた。
ピシッとした身なりでなかなかの美形だ。
そのすぐ後ろには執事服姿の人族の男が付き従っている。
「やぁ、君がセリーヌかな? ラハティアへようこそ!」
「クリフトス様!? ご領主自らこのような所まで……」
どうやら領主自ら街の門まで出迎えに来てくれたようだ。
いつもクールなセリーヌさんが珍しく狼狽している。
リンやシーナの父親という事はそれなりの年齢のはずだが、青年期が長い世界なので20歳前後にしか見えなかった。
「それで……、君がシュン君かな? 話は……いろいろと聞いているよ」
差し出された手を軽く握ると、もの凄い力で握り返された。
思わず顔をしかめてクリフトスさんの顔を見ると、ニコニコしているが目が笑ってない。
まさか、リンとの関係がバレているのだろうか?
「うちのリンがお世話になっているようだね。報告を聞いて、君には是非会いたいと思っていたんだ」
「報告ですか?」
「うん。あのリンが探索者の男と仲良く迷宮に通っていると聞いてね……」
ギリギリと万力のように手を締め付けてくる。
いい加減離して欲しいのだが、とても俺の方から言い出せる雰囲気ではない。
「そしたらギルド員の護衛として君がこの国に来るという報告が入ってね」
護衛任務を受けてからまだ数日しか経っていないのにもうその情報を掴んでいた事に驚いた。
セリーヌさんが『情報通』といっていたが、まさかこれ程とは……。
どうやらクリフトスさんの狙いはセリーヌさんではなく、最初から俺だったようだ。
可愛い愛娘に近付く男をこの機会に直接見定めたかったのだろう。
「お風呂……ある?」
空気を読んだのか読まなかったのか、いつでもどこでもマイペースなドルチェが口を挟んできた。
一瞬きょとんとしたクリフトスさんがようやく手を離してドルチェに向き直る。
「お風呂かい? もちろんあるとも! お嬢さん達には是非とも我が家の自慢のお風呂を堪能して貰いたいね!」
自慢したくて仕方ないのかクリフトスさんが子供のような顔になってはしゃいでいる。
領主という事で厳格なイメージを想像していたが、どうやらかなり子供っぽい性格のようだ。
「さぁさぁ! 旅の疲れを我が家のお風呂で癒してくれ!」
そういってずんずんと歩き出したので俺達も後を付いて行く事にした。
「お風呂……楽しみ」
「あ、洗いっこしようぜ!」
ドルチェとサーシャはとても楽しそうだが、俺は先程から胃がキリキリしていてちょっと痛い。
もし『胃薬』をドロップする魔物が居たら乱獲してしまうかもしれない。
「すみません、セリーヌさん。どうやら俺の方がセリーヌさんを巻き込んじゃったみたいですね」
「お気になさらずに。シュンさんが居なかったとしても、結局はリン様の事で呼ばれていたでしょうから」
今の俺にはセリーヌさんだけが癒しだ。
「まぁまぁ! ようこそいらっしゃいました! エリーザです。気軽に『エリーちゃん』と呼んでくださいね!」
ダーレンにある王宮よりも立派な建物の扉が開くと、リンにそっくりな顔の少女が飛び出してきた。
「リンの……妹?」
リンよりも活発で子供っぽい雰囲気を漂わせていたので、思わずそんな言葉が零れてしまった。
シーナ以外に姉や妹が居るとは聞いていなかったが、リンと血の繋がりがある事は確かだろう。
「まぁまぁまぁまぁ! 妹だなんて照れてしまいます!」
エリーザさんが頬を赤らめてバシバシと俺の肩を叩いていると、クリフトスさんが大切な玩具を奪われた子供のような顔をして割り込んできた。
「は、離れなさい! エリーは僕の妻だ!」
「うふふ、妹じゃなくてごめんなさいね」
茶目っ気たっぷりにウインクしてくるエリーザさん。
ドルチェとサーシャもまさか彼女がリンの母親だとは思わなかったのか、目を丸くしてエリーザさんの顔をまじまじと見つめていた。
俺だけではなくこの世界で生まれ育った2人から見てもエリーザさんの年齢は分からないようだった。
どう見ても子供を2人も産んだ人だとは思えない。
改めて自己紹介をすると、ニコニコ嬉しそうに俺達一人一人に笑顔を向けていたエリーザさんがポンと手を叩く。
「挨拶も済んだ事ですし、お風呂にしましょう!」
そういってドルチェとサーシャの手を掴んで引き摺っていってしまった。
セリーヌさんが苦笑しながらその後を追い掛けていったので、残されたのは俺とクリフトスさんの2人だけだ。
正確には執事やメイドが周りに居るのだが、とても助けてくれそうにない。
「では、僕達もお風呂に行こうか! いろいろ話を聞かせて貰うよ!」
どうやら贅沢にもちゃんと男性用と女性用の風呂があるようだ。
そんな事よりも、一人でのんびり入ろうと思っていたのに、まさかリンの父親……この街の領主と一緒に入る事になってしまうとは思ってもみなかった。
がっちりと腕を掴まれて引き摺られていく俺は、きっと売られていく仔牛の様な顔をしていた事だろう。
俺の頭の中ではドナドナの曲が流れていた。
読んでくださりありがとうございました。