第91話:「『神罰』が下ります」
2度目の休憩を終え、幾分体調が良くなってきたサーシャと入れ替わる形で御者席に座ると、ドルチェが恨めしそうな目を向けてくる。
これ以上ドルチェと2人っきりでいるとお互い歯止めが利かなくなってしまいそうだったので、ここはひとつ距離を取っておいた方が良さそうだ。
「では、今度は手綱をシュンさんが握ってくださいね」
いきなり手綱を渡されたのでテンパっていると、セリーヌさんが俺の手に自分の手を重ね合わせながら丁寧に指導してくれる事になった。
セリーヌさんの手の感触に俺の心臓が高鳴る。
「や、野盗とか出るかと思いましたけど、魔物1匹見当たらないですね」
念の為にずっと探知スキルを使って周囲の警戒を怠らないようにしていたのだが、魔物どころかここまで人の気配を感じたのは一度乗合馬車とすれ違ったきりだ。
「野盗ですか? 一人旅でなければその心配は必要ないと思います。旅で怖いのはやはり魔物ですね」
当然とばかりに話しているセリーヌさんだったが、俺がそういったこの世界にとっての常識に疎い事を思い出したのか、密着したままこれまた丁寧に教えてくれた。
「シュンさんはきっと今まで犯罪に手を染めた事が無かったのでしょうね。この世界にとって有益な行いをした者に対して『経験値』と言う名の『恩恵』がある事はご存知だと思いますが、その逆に犯罪者に対しては文字通り『神罰』が下ります」
「『神罰』ですか?」
目を丸くして聞き返す俺にセリーヌさんが頷く。
「はい、軽度の犯罪では今まで使っていたスキルのレベルが下がるだけで済みますが、殺人等の重罪を犯した場合はスキルそのものが消滅したりするみたいですね。それを私達は『神罰』と呼んでいます」
地道に積み重ねた努力の結晶が無くなる。
もし、やっとの事で取得したスキルが消えてしまったら……。
考えただけでも背筋がゾッとしてしまう。
「それでも完全に武器の扱い等ができなくなるわけではありませんので、かなり少数ですが旅人を襲う野盗も確かに存在します。ですが、戦闘スキルを持つ探索者がこうして一緒に居れば安全です」
そういってセリーヌさんが俺を見てニコリと微笑む。
重ねられた手から伝わってくるセリーヌさんの体温に俺の身体も熱くなった。
夕日が沈みかける頃、俺達は無事に山の麓にあるトゥエルクという街に到着した。
ダーレンの街と違って外壁が丸太を地面に打ちつけただけの簡素な造りになっているので、魔物が襲ってきた時にちゃんと防御の役割を果たすのか心配になっていると、同じように外壁を見ていたサーシャが感嘆の声を上げた。
「すげぇ! これがリメイアの『結界』か!」
瞳を輝かせているサーシャにつられて改めて外壁を見るが、俺にはさっぱり分からなかった。
門での確認を済ませて街中に入ると、サーシャのテンションがどんどんおかしくなっていく。
魔法使いにとっては憧れの地であるリメイアにこうして足を踏み入れる事ができて、自分でも気持ちが高ぶってどうにもならないらしい。
これでは王都マーメリアに着いたら興奮で倒れてしまうのではないだろうかと心配になる。
「そういえば、リメイアの街には『風呂屋』があるんですよね?」
毎日身体を拭いてはいるが、元日本人の俺としては風呂に入れないのはかなり辛かったので否が応にも期待が高まってしまう。
ドルチェも隣でそわそわしているが、そんな俺達を見てセリーヌさんが気の毒そうに声を掛けてきた。
「確かに『風呂屋』はリメイアに存在していますが、……あいにくこの街にはありませんので、次の街に行きませんと……」
次の街までお預けと聞かされてドルチェと一緒にがっくりうな垂れてしまったが、明日には念願の風呂に入る事ができそうなのでそれまでの辛抱だ。
気を取り直して街の様子を見てみると、夕方という事を差し引いてもかなり閑散としている印象を受けるが、これはこの街の迷宮が今現在休眠期に入っていて探索者の姿が見当たらないからかもしれない。
この時期の客は珍しいのか宿屋で大歓迎を受けたのだが、部屋割りで少々揉めてしまった。
セリーヌさんは1人部屋を借りる事がすでに確定しているのだが、問題は俺達だ。
俺も1人部屋を頼もうとしていたのだが、ドルチェが当然とばかりに俺との同部屋を希望してきた。
「ちょ、ドルチェ! お、男と一緒に寝るなんて……、そんなハレンチな!」
サーシャが涙目になって必死に反対してくるが、ドルチェは知らん顔を決め込んでいる。
セリーヌさんの視線がどんどん冷たくなっていっている気がするので、俺もサーシャと一緒にドルチェを説得する事になった。
最終的にドルチェが折れる形になり、当初の予定通り俺が1人部屋でドルチェとサーシャが2人部屋になる事で一件落着したのだが、ドルチェと2人きりの夜を過ごす事になって、喜ぶべきか怖がるべきか、サーシャが何とも微妙な顔をしている。
俺にお仕置きをし足りない様子のドルチェが暴走しないかちょっと心配だ。
「私はこれからギルドに顔を出してきますので、シュンさん達は気にせず夕食を済ませてください」
そういってセリーヌさんが宿屋から出て行った。
護衛の俺達が一緒に行かなくても良いのだろうか? と、心配になったがすぐ近くなので必要ないらしい。
夕食を終えると、今日はもう早めに寝る事になったのでそれぞれの部屋に戻っていったのだが、俺は内心ドルチェとサーシャのアノ声が聞こえてくるのではないかと期待半分不安半分の気持ちで落ち着かなかったので、結局寝付くのが遅くなってしまった。
翌朝目が覚めると、外はもうすっかり明るくなっていた。
昨夜はとても静かな夜だったのでドルチェは自重してくれたようなのだが、……反動が怖い。
今日も馬車の中で2人きりになったら襲われるかもしれない。
そのドルチェが迎えにきてくれたので食堂に行くと、すでにサーシャとセリーヌさんも起きていたようだ。
「シュンさん、おはようございます。昨夜は良く眠れましたか?」
「は、はい、バッチリです」
本当はドルチェとサーシャの事が気になってあまり眠れなかったのだが、そんな事をセリーヌさんに話すわけにはいかない。
サーシャも何だか少し眠そうな顔をしているが、ドルチェはたっぷり睡眠を取ったのか肌がツヤツヤしていた。
「馬車での旅は今日でおしまいだったっけ?」
隣に座って足をプラプラさせているドルチェに確認を取ると、残念そうな顔でコクリと頷く。
次のラハティアという街から先は険しい山道になるので馬車は置いていく事になる。
そこから半日程歩けばリメイアの王都マーメリアに到着だ。
「……2人きりになれない」
そういって俯くドルチェの表情が本当に寂しそうなので、知らず知らずのうちにかなり無理をさせてしまっていたのかもしれない。
昨日の『お仕置き』もドルチェなりのスキンシップだったのだろう。
ドルチェの頭を優しく撫でていると、セリーヌさんが遠慮がちに話し掛けてきた。
「……次のラハティアですが、あの街の領主様は……リン様のお父上なのです」
いきなり飛び出してきたリンの名前に驚く。
「リンの? 名家だとは聞いてましたが……」
「はい。それで、リン様がダーレンに居る事が、お父上……クリフトス様の耳に入ったらしく。その……昨日この街のギルドに連絡がありまして……」
セリーヌさんがもの凄く言い辛そうにしている。
昨日ギルドに顔を出した時に何かあったようだ。
「今夜は……領主の屋敷に泊まる?」
ドルチェの指摘にセリーヌさんが申し訳無さそうな顔で頷いていた。
「クリフトス様は情報通で有名な方ですので……、ダーレンのギルド員である私がマーメリアに向かう事も知っていたようなのです」
流石にリンが俺に好意を持っている事までは知られていないだろうが、何だかとても気まずい。
「おそらく、シュンさん達もリン様の事をいろいろと聞かれると思います……」
間違ってもリンの父親の前で「リン」と呼び捨てにしないように気を付けないと……。
「美味いもんがいっぱい食べられそうだな!」
俺とリンの間にある複雑な事情を全く知らないサーシャの陽気な声に、俺は一抹の不安を覚えた。
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