夏休み
さて、今日で僕らの通うこの高校も夏休みだ。生徒は部活動に意識を集中させ、時にはお祭りや花火など、夏の定番行事に参加するのだろう。
そして毎年のように、八月の末頃に宿題を急いで始め出す。終わるかどうかは別として、そうやって夏休みは終わるのだ。
そんな風に青春を謳歌する者達とは逆に、僕はといえば、いつもと同じように図書室にいた。
「なあ葉一よ」
正面に座っている瞬が僕に話しかける。
「何?」
「どうしてこんな暑苦しい中、俺達は熱気のこもった図書室にいるんだ?」
「それを人は《愚問》という。まず瞬は毎年の夏休みの過ごし方を考え直した方がいいよ」
僕達が今日、何故図書室にいるのか。その理由は、先ほど語った夏休みの過ごし方にある。
「毎年夏休みは走ってるな」
「それは毎年じゃなくて毎日でしょ。毎年夏休みの最後はどうなってる?」
「お前に助けを求めてる」
「それが僕は嫌なんだよ」
ようするに、僕達が図書室にいる理由は夏休みの宿題の為である。僕は毎日図書室に来て資料を読むついでに宿題をやっているため、困ることはない。むしろ困るのは瞬が僕に宿題を手伝えと言い縋ってくることである。
「そもそも毎年同じような宿題出されてるんだからいい加減僕なしでできないの?」
「考えることを放棄した俺にそれはできん」
「胸張って情けないこと言うなよ!」
ダメだ。瞬に勉強を自分でやれと言うのは無駄と言っていい。でもそうなると僕にまた変な負担がかかる。だから今ここで負担を軽くして徐々に終わらせないと。
「とにかく、今のうちに少しずつでもいいからやっていくぞ」
「わかったよ」
ぶつぶつと文句を言いながらも、宿題を始める瞬。
宿題のために図書室に瞬を連れてくるには多少の難しさがあった。なにしろ去年は、宿題をやろうと声をかける前にどこかへ走りに行ってしまったのだ。
今年はそれを阻止するために、夏休み前日に図書室に来るようにと言っておいたのだ。
だが、事前に言っておいても瞬は来ないと予想していたため、知り合いみんなに瞬を見かけたらちゃんと図書室に来るように伝えてほしいと頼み回ったのだ。結果、何とか瞬は図書室に来たが、聞くと下駄箱で声をかけられて思い出したのだという。
かなりギリギリだった。下駄箱で声をかけたという人には大変感謝している。
できればこうやって宿題をやるのもこれで最後にしたいものだ。
「何ニヤついてんだ…?」
「え?」
「何かいいことでもあったのか?」
「い…いや、別に…」
正直、瞬の言う通り、確かにいいことはあった。それはもちろん先日水夏さんと会ったこと。更に白状すると、ここ数日は毎日水夏さんと会っている。だから僕は、毎日が楽しくてしょうがない。
そして今夜も水夏さんと会う約束をしている。そのせいで頬が少し緩んでしまったようだ。
「ホントに何もないのか?」
まったく瞬は疑り深い。いや、この場合は友達に隠しごとをしている僕の方が悪い。
ならば僕は正直に話そう。
「実は、新しい資料を見つけてさ、これなんてすごい興味深いと……」
「えっとこの数式はっと…」
資料の話を始めた途端、瞬は宿題に意識を集中させた。そこまで嫌わないでほしいのだが。
あと、やっぱり本当のことを話すのは抵抗がある。抵抗と言うよりも、ただ単に恥ずかしいだけだ。
そして、夜。
僕はいつものように、校庭のすぐそばにある花壇に腰を下ろして水夏さんを待っている。
チラリと先ほどまでいた図書室を見る。そこはもう真っ暗で、人の気配など一切感じない。
この学校の周辺には街灯などはなく、とても暗い。そのため、真夜中に電気の点いていない学校はどこでも共通だろうが、不気味で仕方ない。
いつもそんなことは思わないのだが、何しろ夕方頃に怪談の本を興味本位で読んでしまったのだ。怖いとは言わないが、不気味なものは不気味なのだ。
「どうかしたの?」
そう問いかけながら、僕の顔をのぞき込むようにひょこっと水夏さんは僕の目の前に顔を出す。相変わらず、急に目の前に顔を出すため、いつもドキリとさせられる。
「どうって、どうもしないけど?」
「そう?何か妙に校舎を気にしてるみたいだったけど」
ここ数日水夏さんについてわかったこと。どうやら水夏さんはやたら勘がいい。勘がいい。と言うよりも、鋭い。
僕のちょっとした表情の変化に敏感に気づくのだ。どのような環境で生きればそんなに鋭くなるのだろう。それとも女性は皆それが普通なのだろうか?女の勘というものだろうか?
「それは、今日は校舎内を散歩しながら話そうかと思ってたからだよ」
「あら、葉一はいつから女の子をイジメる趣味を持ったのかしら?」
そして水夏さんはたまにこうやって根も葉もない冗談を言う。口調が本気なので僕はいつも焦ってしまう。
「べ、別にそんなつもりはないよ!ただ、気分転換にいつもと場所を変えてみようかなって思っただけで」
「そう。それでも私は嫌よ」
あれ?水夏さんひょっとして、本気で嫌がってる?
「もしかして水夏さん、怖いの?」
「そんなことはないわよ。むしろワクワクするじゃない。こうして誰にも知られずに二人だけで楽しく会話ができる。まるでどこかの物語の主人公のようでおもしろいじゃない」
「いや、僕は今のことじゃなくて、夜の学校に入るのが怖いのかなって訊いてるんだけど」
「葉一、私だって女の子なのよ?そういうことを怖がらないわけないでしょ?」
これは意外だ。いつも水夏さんはこんな夜遅くにここまで来るから、暗い所とかは別に平気なのかと思っていた。けど、やっぱり水夏さんも女の子なんだ。お化け屋敷みたいな暗い場所は怖いのだろう。
そういう意外な一面を可愛いと思ってしまうのは、僕が水夏さんに惹かれているからだろうか?正直、よくわからない。これが《恋》と云う感情なのか、恋を知らない僕にはわからない。
「けど、せっかくなんだからさ、学校の中入りたくない?」
「……そうね。どうせなら楽しみましょうか」
先ほどから、水夏さんの言葉に妙な違和感を感じるのは考え過ぎだろうか?
「それじゃあ、案内してくれる?葉一」
スッと水夏さんは手を差し出す。
僕は少し躊躇ったが、水夏さんの手をそっと握る。
「十分楽しめるようにがんばるよ」
実はこの時、僕は水夏さんにちょっとしたドッキリを準備していたことは、水夏さんには秘密だ。




