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夢喰い  作者: けせらせら
36/38

記憶・7

 由美は実家に戻ると、すぐに奈美を連れて家を出た。

 浩也は慌てたような由美の様子に驚いていたが、それでも二人を駅まで車で送ってくれた。

 急がなければならない。

 今回のことにはきっとあの〈男〉が関わっている。

 午後1番の新幹線に乗り東京へ向かう。新幹線のなかで、どう伸一に話せばいいかをずっと考え続けた。伸一を説得する言葉はなかなか見つからなかった。今はただ自分の知っている事実を全て正直に話すしかないのだろう。きっと伸一ならばわかってくれる。そう信じたかった。

(琢磨……)

 由美はポケットに入っている小さな緑色の石をギュッと握り締めた。それは帰り際に浦辺が渡してくれたものだった。

――これは琢磨君が消えた時、ベッドに残されていたものだ。以前、一度だけご両親が彼を散歩に連れ出したことがある。その時、川原で拾ってきたものだ。彼が行方を消すまで、いつも肌身離さず大切にしていたものだ。

 病室から出ることを許されなかった琢磨にとって、川原の小さな石までも大切な宝物だったのだろう。

 家に着いたのは日が落ち、薄闇が街を包み始めた頃だった。

 リビングのソファに座りコーヒーを飲んでいた伸一は、まるで信じられないものでも見るように由美を見つめた。

「急にいなくなったと思ったら、いったいどうしたんだ?」

 伸一は露骨に嫌な顔をし、冷たい口調で言った。目の下にははっきりとした隈が出来、以前よりもやつれたようにも見える。たった1日の間にずいぶんと人相までも変わってしまったように感じる。

「ちゃんと話したいと思って」

「もう話すことなんてない。おまえが出て行かないなら俺が出て行くだけだ」

 伸一はぶっきらぼうに言うと、由美を無視するように立ち上がった。

「待って! あなたは利用されてるだけなのよ!」

 行く手を遮るようにして由美は伸一の前に立った。

「利用? 俺が誰に利用されてるっていうんだ?」

「あの男よ」

「男? 誰のことを言ってるんだ?」

 そう言って伸一はフンと鼻で笑った。

「ちゃんと話すわ。だから座って」

「必要ない。そこをどけ。俺は忙しいんだ」

「座って!」

 強い由美の口調に伸一は一瞬、ビクリと身を竦めた。眉間に深い皺を寄せて由美を睨む。そして、渋々といった様子で再びソファに腰を降ろした。

「……それで? 話ってなんだ」

 伸一はぶっきらぼうに言った。わざと視線を合わせないようにするように、窓のほうに顔を向けている。

 由美は奈美とともに伸一の向かいに座ると――

「仕事を辞めて欲しいの」

「何だって?」

 驚いたように伸一は由美のことを険しい目で見た。

「今の仕事を辞めてちょうだい」

 由美はもう一度言った。

「俺に夢を諦めろっていうのか?」

 そう言った伸一の唇が怒りで微かに震えている。

「そんなこと言ってないわ」

「仕事を辞めろと言ってるじゃないか!」

 伸一は威嚇しようとするかのように、部屋中に響き渡るような大声を出した。その声に驚いて奈美がそっと由美の左手にしがみつく。

 だが、そんなことで退くわけにはいかない。由美はさらに言った。

「今やってる仕事があなたの夢なの?」

 その言葉に伸一の顔が歪む。

「な……」

「思い出して! あなたはそんな人じゃなかったはずよ!」

「おまえに俺の何がわかるっていうんだ?」

「わかるわ。知り合った時のことを憶えてる? 私はまだ高校生だった。あなたはそんな私に自分の夢について毎日のように話してくれた。あれからもう10年以上、私はずっとあなたの傍にいたのよ。あなたのこと、私はあなた以上にわかってるわ!」

 自分の気持ちが少しでも伝わって欲しい。そんな願いを込めて由美は叫んだ。

 その瞬間、由美の言葉に押されるように、伸一は突然苦しそうに小さく呻き、左手で頭を押さえた。由美はその伸一の反応に、浦辺の言葉を思い出した。

――君のお父さんはこう言っていた。『念じることで人を操り、呪うことで人を殺すことも出来る』と

 その力は自分の中にもあるのかもしれない。

「俺は……」

「思い出して、あなたの大切なものを。あなたは確かに若い頃から脚本家になるのを夢見てた。それは私もよく知ってるわ。でも、それだけがあなたの夢じゃなかったはずよ」

 語りかけるように由美は言った。

「ち、違う……これが俺の道なんだ。おまえたちは俺の邪魔を――」

「どうして私たちが邪魔なの? 私だって夢があったわ。あなただって知ってるでしょう? でも、あなたや奈美が邪魔なんて思ったことなんてない。むしろあなたや奈美がいるからこそ頑張れる。違う?」

「うう……」

 伸一は俯き、苦しそうに両手で頭を押さえ込んだ。

「今、気づかなきゃいけないのは私たち3人の夢が何かってことよ!」

「俺たちの夢……」

「思い出して」

「うるさい!」

 伸一は大声を出して立ち上がった。咄嗟に由美はその腕を掴んだ。

「夢は成長するの! あなたの今の夢は何? 思い出して!」

 その瞬間、伸一の表情が歪み、大きくうめき声をあげた。苦しげに、悲しげにその声が部屋のなかに響く。

 そして……

 伸一の体がドサリと倒れた。

「伸一さん!」

「お父さん!」

 奈美が伸一の体にすがりついた。由美も慌ててその体を抱き起こした。

「伸一さん! 伸一さん! しっかりして!」

 その声に伸一の瞼がゆっくりと開いた。

「由美……」

 表情が変わっている。瞳からはさっきまでの濁りがさっぱりと消えている。

「大丈夫?」

「俺は……どうしちまったんだ? わからないんだ。いったいどうすればいいのかわからないんだ」

 その瞳から涙が零れる。

「大丈夫よ。私たちがいるわ」

「苦しかった……ずっと苦しかった」

 伸一はゆっくりと体を起こすと、床に膝をつき俯いた。ポロポロと零れた涙が膝の上でギュッと握る拳の上に落ちる。

「伸一さん……」

「俺には夢を追うだけの力がない……そのことに気づくのが怖かったんだ」

「違うわ。あなたには力がある」

 由美は涙に濡れる伸一の手を握り締めた。

「だが……」

「今度のは罠なの」

「罠? どういうことだ?」

 伸一は顔をあげて由美の顔を見つめた。

(信じてもらえるだろうか)

 それでも話すしかない。それに今の伸一ならば、受け入れてくれると信じたかった。

「信じられないと思うけど、これは本当のことなの」

 不安はあったが、由美はこれまでの出来事を一気に伸一に説明した。田川寿美のこと、杉原麻里のこと、川辺洋子のこと。そして、その事件の全てに〈男〉が関わっていることを由美は全て話した。

 伸一は驚いた表情をしながらも由美の話に真剣に耳を傾けた。

「そんな……」

 全ての話しが終わった時、伸一は困ったように額を押さえた。「そんなことってあるのか……?」

「嘘じゃない! 私も見たの!」

 奈美も声をあげた。

「確かに信じられないような話かもしれない。でもあの〈男〉は今、奈美を狙ってる。あいつは人の姿をしているけれど人じゃない。私たちの心の弱さにつけこんで、私たちの心を捕まえようとしているの。それだけじゃないわ。私の父や琢磨も……」

「ま、待てよ! そんなに先走らないでくれ。俺にはまだよくわからないんだ。もう少しわかるように話してくれないか?」

 由美は双子の兄弟、琢磨のことを話すため口を開いた。


   *   *   *


 事務所はいつものように慌ただしかった。

 野川は伸一を会議室に通すと、怪訝そうな眼差しで伸一のほうを見ながらテーブルの向こう側へ座った。

「今日はどうかしましたか?」

 野川は笑顔を作り伸一に言った。「確か打ち合わせは明日だったはずですが……」

「大変申し訳ないんですが、もう仕事はお受けしないことにしました」

 伸一はすっくと立ち上がると、そう言って深々と頭を下げた。心のなかではまだ由美の話を全て信じ切れてはいない。だが、今の自分が間違っていることははっきりと感じている。全てをもとに戻さなければいけない。

「……」

 野川は相変わらず笑みを浮かべていた。だが、その目は冷たく伸一を見つめている。

「せっかくいただいた仕事ですが――」

「チャンスを捨てるんですか?」

 その冷たい声に伸一は頭を上げ、どう答えるか迷った。

「……」

「夢だったんでしょう?」

「まあ、そうですけど――」

「急にどうしてしまったんですか?」

 野川は手で伸一に座るように促した。

「冷静になって考えてみた結果です。すいません」

 伸一は再び腰を降ろしてから言った。

「夢を捨てるんですか?」

「いえ――」

「けれど、仕事を辞めるというのはそういうことでしょう?」

「それは……」

「今、夢を掴まないでどうするんですか! あなたは――」

「違うんです!」

 慌てて伸一は野川を制した。

「何が違うって言うんです?」

 怪訝そうな目で野川は伸一を見た。

「夢を捨てるわけじゃありません。ただ――」

「ただ? なんです?」

「家族を犠牲にしたくないんです」

 膝の上に置いた拳をぎゅっと握った。

(強くならなければいけない)

 気持ちを奮い立たせた。

「犠牲ですか……確かにあなたの気持ちはわからなくもありません。ですが、何一つ失う事無く夢を叶えるなんて不可能ですよ。あなたの夢に対する思いというのはそんなものだったんですか」

 まるで軽蔑するような口調で野川は言った。

「そうでしょうか?」

「当たり前でしょう。世の中のどこに全てを手に入れる人間がいます? 脚本家なりたいんでしょ。そのためには何かを犠牲にしなきゃ」

 伸一は気持ちが折れそうになるのをグッと堪えた。

「私はただ闇雲に脚本家になりたいと思っていたわけではありません」

「なんですって?」

 野川の表情が変わった。

「確かに脚本家になることは私の若い頃からの夢でした。ですが、今はもっと大切なものがあります。家族です。家族と幸せな家庭を築くこと。それが今の私の大きな夢なんです。もちろんプロの脚本家になれればそんな嬉しいことはありません。けれど、そのために家族を失いたくはありません。そんなのは私にとって本当の夢じゃないんです」

 伸一の言葉に野川はますます表情を険しくした。その目の奥が怪しく光っている。

「自分が何を言っているのかわかっているんですか?」

「はい――」

「もう一度言います。あなたは二度と掴めないチャンスを逃そうとしているんですよ。いいんですか?」

 まるで脅すかのような口ぶりで野川は言った。

「これはチャンスなんかじゃありません。私が夢を忘れなければきっと夢は叶うはずだと信じています」

 そう言って伸一は立ち上がった。

 もう何も言うことはなかった。

 伸一が立ち去るのを野川は冷ややかな目でその後姿を見送っていた。


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