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夢喰い  作者: けせらせら
33/38

記憶・4

 伸一がて野川からの依頼を受けるようになり一ヶ月が過ぎた。

 由美の不安通り仕事が減ることはなかった。

 詳しい仕事の内容は伸一もあまり話そうとはしない。だが、決して順風満帆に事が運んでいるようには思えない。

 以前のように明るく笑うこともなくなった。何かに脅えているようにすら見える。

 夢が目の前で踊っている。少しでも小さなミスを犯しても、それがするりと消えてしまいそうに感じているのかもしれない。

(今、あの人の目の前に夢がある。今、それを掴もうとしている)

 そう思うことで由美は伸一を応援しなければいけないと思った。

 夢という言葉に自分の心の全てが引き付けられていることに気づきながらも、今の流れに抗おうとは思わなかった。

 だが、一つ気になることがあった。

 あの〈男〉のことだった。

 伸一の仕事のこととあの〈男〉とが関係しているとは思いたくはなかったが、それでもどこかあの〈男〉のことが心のなかに引っかかっている。

 由美は改めてダンボール箱から母の日記を取り出し、そこから何か読み取ろうと試みていた。


『5月23日

 由美を連れて家に帰る』


 病院で由美を出産したのが5月16日、それからちょうど一週間後に退院している。だが、この時、双子の弟である琢磨の名前はない。

 由美が琢磨の存在を知ったのは高校を卒業する時だ。

――生まれて一週間もしないうちに病気で亡くなったの。身体が弱くてね。

 母はそう説明してくれた。その話が正しいとすれば、この日記もまた正しいということが言えるだろう。

 問題なのはその後の日記だ。

 それからしばらくの間、琢磨の名前が日記に出てくることはない。だが、それから10年後――


『9月10日

 琢磨が姿を消した。お父さんは何も教えてくれない。いったい何があったのだろう』


 突如、亡くなったはずの琢磨の名前が日記のなかの登場している。

 いつもの綺麗な字ではなく書きなぐったようなもので、その字体からも母がいかに動揺していたかが伝わってくる。

 そもそも、なぜここに琢磨の名前が出てくるのだろう。ここで書かれた『琢磨』と10年前に亡くなったとされた『琢磨』とは別人なのだろうか。由美が生まれ、その7年後には弟の浩也が生まれている。だが、由美が知る限り、そのような名前の人物は親戚や近所の人のなかに存在していない。

 それとも10年前に亡くなったとしている、その事実こそが嘘なのだろうか。もし、そうだったとして、いったい何のためにそんなことをしなければいけなかったのだろう。

『琢磨』という名前はそれから一週間後の日記にも現れている。


『9月17日

 琢磨が現れたと、お父さんが言う。家の周りを捜してみるが見つけられない』


 また走り書きのような文字。

 いったいこれをどう理解すればいいのだろう。自分と双子の兄弟である琢磨は本当に亡くなっているのだろうか。

 そんなことまでも疑ってしまいそうだ。

 ふと、その日付に釘付けになった。

 9月18日は母の誕生日だ。そして、幼い頃、由美があの〈男〉と初めて会ったのはその前日、つまり9月17日だったはずだ。

――お父さんはいる?

 だが、あの〈男〉と琢磨とどんな関係があるというのだろう。


『9月20日

 お父さんが帰ってこない。琢磨のことが原因かもしれない。お父さんは全てを終わらせるために行ったに違いない』


(琢磨……)

 父が行方を消した時、親戚や近所の人の間でいろいろな噂が飛び交ったのを由美も知っている。

 借金、女……だが、どれもあの父には似つかわしい理由とは思えなかった。

「お母さん……」

 奈美の声にはっとして振り返った。

 いつのまに帰ってきたのか、奈美がドアを開けて部屋を覗いている。

「おかえり。早かったのね」

「……ううん、そんなことないよ」

 奈美の言葉に時計を見て驚いた。すでに午後6時をまわっている。

「あ……ごめんね」

 慌てて部屋を出た。「もっと早く声かけてくれれば良かったのに」

「……お母さん、なんか一生懸命だったから」

 そう言った奈美の声が、どこか寂しそうだった。

「ホント、ごめんね。今すぐにご飯の支度するから。お父さんは?」

「たぶんお部屋で仕事してると思うよ」

「……そう」

 由美はキッチンに飛び込むと、急いで夕食の支度を始めた。

 その姿を見つめる奈美の目が虚ろであることに由美は気づかなかった。


   *   *   *


 煌々とパソコンのディスプレイの灯りが目の前を照らしている。

 すでに部屋は薄闇に覆われている。

 連続ドラマの脚本。それは伸一自身が思うよりもずっとハードルの高いものだった。

 幾度となくプロットを作成し、野川にノーと言われる。

 もっと斬新なものをと、もっと視聴者が喜ぶものをという野川の要求を満たすことは決して簡単なものではなかった。

 伸一はまるで自分が毎日、自分の限界に追い詰められていくのを感じていた。

 それでも根をあげるわけにはいかない。すでに会社は辞めてしまっている。今更引き返せるはずがない。

――もう一歩ですよ。誰だって最初の作品には苦労するものです。

 野川の言葉を思い出す。

(そうだ。もう一歩だ)

 疲労のせいか、意識がぼんやりとしていた。

 キーボードを叩く指がふと止まった。

 パソコンの画面がちらつく。

 ぼんやりとその画面を見つめる伸一の目が虚ろに変わっていく。

 伸一の目にパソコン上の資料は映ってはいなかった。ぼんやりとした意識のなかでパソコンの奥を見つめていた。

 そこに誰か……黒い人の影が見える。

――おまえはどうするつもりなんだ?

 そう相手は聞いた。

 まばたきもせず、伸一はパソコンのなかに潜む影を見つめた。

(どうするって? どういうことだ?)

 無意識のうちに心が問いかけに答える。

――おまえに夢を追い続ける力があるのか? 夢を追いかけるにはそれなりのものを捨てなきゃいけない。

(捨てる? 何を……)

――誰のための夢だ? おまえのための夢だ。

(捨てる? 俺の夢を?)

 その言葉に伸一はグッと心臓を鷲づかみにされたような気がした。

 やっと巡ってきたチャンス。それを捨てるなど、考えただけででも恐ろしい。

(嫌だ……そんなのは嫌だ)

――なら、他に何を捨てる?

(え……)

――何も捨てずに、夢を得られるとでも?

(何を捨てればいいんだ?)

――わかっているだろう? おまえの夢を邪魔する者をが誰なのか?

(邪魔?)

――おまえには才能がある。その才能が押しつぶされたのはなぜだ? おまえの重荷になっている者たちの存在に早く気がつけ。

(まさか……由美たちのことか? 違う……由美たちは俺の重荷なんかじゃない)

――奇麗事を言うな。うわべだけそんなことを言ってみても仕方ない。

(う、うわべなんかじゃない)

――無理するな。おまえの心はよくわかっている。

(俺の心?)

――そうだ、おまえはおまえの心のままに動けばいい。俺が手を貸してやる。

 伸一はぼんやりと声に耳を傾けた。


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