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夢喰い  作者: けせらせら
28/38

逃避・10

 エレベーターの閉じた扉を洋子は黙って見つめていた。

 屋上で待機していたエレベーターが下ってくるのが見える。

 12F、11F……。

(本当に? 本当にこのまま行ってしまっていいのだろうか)

 まだ迷う気持ちが残っている。

――あの子たちを頼む。

 そう言って死んだ修一郎の言葉。このまま逃げてしまっては、修一郎を裏切ることになってしまう。それにこのまま自分がいなくなってしまったら、あの子たちはどうなってしまうだろう。

 9F、8F……

――あいつらはあんたのいなくなることを望んでいるんじゃないか。

 頭のなかに声が囁く。

(そう、それは知ってる……でも……でも)

 チンという電子音とともにドアが開く。

 その音にハッとして顔をあげた。

 エレベーターのなかは真っ暗な光のない闇が広がっている。

 すでにドアは開かれ、洋子が一歩踏み出すのを待っている。その一歩を踏み出すことは洋子にとってこれまでの苦悩から逃れることになる。それなのに洋子にはその一歩を踏み出すことが出来ずにいた。

――あの二人はあんたがいなくたって大丈夫。何を躊躇う必要がある? さあ、エレベーターに乗り込むんだ。

(いくらしっかりしていると言っても和美ちゃんはまだ中学生。直子ちゃんだってまだあんなに小さい)

――だから? 二人ともあんたを嫌ってる。

(そんなのわかってる。だけどだからってこのまま見捨ててしまっていいの?)

――さあ、一歩を踏み出すんだ。そのエレベーターに乗り込め! そうすれば全てにカタがつく。

 催眠状態にかけられたようにゆっくりと右足が浮く。

 洋子は気づいていなかった。

 そのエレベーターのフロアを示す電数が1Fを指し示していることを。エレベーターは洋子がいる7Fを通り越し、そして、ドアだけが開いていたのだ。

 何もない暗闇が洋子の目の前に広がっている。そして、その暗闇から何本もの煙のような黒い手が洋子に向かって手を伸ばしている。

 まるで洋子を引きずり込もうとするように。

――行け!

 何本もの手が洋子の体に絡みつく。

 その闇に向かって、ふらりと洋子の身体が何かに押されるように前に出た。

 その時――。

――直子!

 突然、和美の声が聞こえてきた。

 その声が頭のなかいっぱいに広がり、洋子の身体は思わず後にひっぱられた。その瞬間、洋子の心は決まった。

(そうだ……どんなにつらくても私はあの子たちを捨てられない!)

 洋子はそう確信するとすぐに部屋に向かって駆け出していった。


   *   *   *


 怒りに燃えた目で和美を睨む直子の姿がそこにあった。

「どいつもこいつもふざけやがって!」

 その目も声も、そして表情までも、もはや七歳の少女のものではなかった。

「直子……直子の身体を返して!」

 震える声で和美は叫んだ。その心のなかは恐怖心でいっぱいだった。立っているのもやっとのほどだ。だが、直子を守りたいという気持ちだけが和美を支えていた。

「おまえらはどいつもこいつも自分の心に逆らいやがって! あの女に出ていって欲しかったんだろう。なぜ今になって心変わりする」

「違う! あたしはただ勘違いしてただけ! あの人を追い出すことがあなたを……直子を守ることになるって思ってたんだ。でも、そうじゃないことがわかった」

「ふざけるな!」

 その声は空気を震わせ、窓ガラスを大きくヒビ割れさせた。

「直子を返して!」

 流れ落ちる涙を拭うことも出来ず、和美はなおも叫んだ。

「ああ、返してやるさ。だが、その前におまえら親子もどき三人、どうしてやるかな」

 直子がギョロリと目をむいて和美を睨む。

 突然、背後でドアが開いた。

「和美ちゃん!」

 洋子が飛び込んできた。

「洋子……さん? どうして?」

「ごめんなさいね、和美ちゃん。私、やっぱりここに残りたいの。あなたたちと一緒に暮らしたいの」

 洋子はギュッと和美の手を握り締めて言った。

「洋子さん……」

 嬉しかった。なぜこんなに嬉しいのかわからないが、それでも嬉しさが心のなかからこみあげてくる。

「直子ちゃん、一緒にやっていこう」

 そう言って直子に近付こうとする洋子をあわてて和美が止めた。

「だめ! 直子、誰かに操られてるの! 危ないよ!」

「すっかり親子きどりってわけか」

 直子の幼い顔つきはすっかり変わっていた。そして、その身体全身を青白い炎が取り巻いているように見える。


   *   *   *


 夢だろうか……。

 由美はぼんやりと考える。

 自分がベッドで眠っていることははっきりとわかっている。

 そして、今、見えている光景が目から入ってくるものではなく、直接頭のなかに飛び込んできているものだということもなんとなく理解出来ている。

 キリキリと締め付けられるように頭が痛む。

 眠りのなか、激しい頭痛に耐えながら、由美は必死になってそのヴィジョンに向かっていた。

 突然、頭のなかに浮かび上がってきたその光景。現実なのか夢なのかわからないまま、由美はそこにいる洋子に声をかけていた。

(洋子さん……)

 由美には、洋子と二人の子供たちの姿がはっきりと見えていた。直子の背後にはあの〈男〉が立っている。

 今、あの男に襲われている洋子をなんとかして助けたかった。

 直子を取り巻く青白い炎が激しさを増すたび、頭痛もまた激しさを増していく。

 まるで男の力をそのまま自分が感じ取っているかのようだ。

(あの男も気がついてる)

 由美がこの光景を見ていることは、おそらくあの〈男〉も気づいていることだろう。

 洋子を助けたいと由美は強く願った。


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