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夢喰い  作者: けせらせら
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逃避・7

 奈美にとっても〈男〉の存在は大きな影を落としていた。

 得体の知れない者が自分達の周辺に存在していることは奈美も気づいていた。

 自分に特別な力があるのではないかと思うようになったのは二年くらい前からだった。

 夏休みのある夜、奈美は比較的仲の良かったクラスメートの夢を見た。ずぶ濡れで泣いている夢だった。そして、翌朝のニュースではそのクラスメートが海で溺れ死んだことを報じていた。

 あれ以来、奈美は自分が他人の死を感じ取ることが出来ることに気づいた。それは俗に言う予言というのとは違っている。ただ、他人の命の危険が何となく感じられるという程度のものだ。それでもいつのまにか人間には常に『死』というものがつきまとっているということを憶えた。

 もちろん、そのことを他の誰かに話したことはなかった。そんなことを言ったところで世の中の半分の人が嘘と思うだけだし、残り半分の人だって自分を気味悪がるだけだということを奈美は知っていた。だから、どんなに身近な人間が死を迎え、どれほど悲しくても決して誰にも告げず一人で耐えてきた。

――奈美、お母さんを助けてあげてくれ! あいつ、今度はお母さんを狙うだろう。お母さんにも子供の頃は奈美のような力があった。けれど、今はもう忘れてしまっている。奈美ならお母さんを助けてあげられる。頼む! 助けてあげてくれ!

 あの声、そしてあの言葉。胸が熱く、苦しく、どうしようもなく悲しくなった。

(あれはどういう意味?)

 奈美にとって母の由美は誰よりもかけがえのない存在だったし、父の伸一も同じように思っていた。その父と母が最近あまり仲が良くないということは奈美にとって心を悩ませる問題だった。そして、その原因が特に母の絵だということに奈美は気づいていた。なぜ、父がそれほどまで母の絵を嫌うのかそれはわからない。けれど、奈美も父とは違った意味で最近の母の絵には気になるものを感じるようになってきていた。

 以前の母の絵は透明感のある澄み切ったイメージの絵が多かった。だが、最近のものはその透明感の向こう側に暗く重々しいものが隠れているように感じられる。そして、奈美にはその原因がうっすらと見えていた。

(あのおじさんが関わってる)

 昨夜、夢のなかで見たのは祖父だけではなかった。必死に奈美に訴える祖父を嘲笑っている一人の〈男〉。

 その〈男〉を初めて夢に見たのはもう半年も前のことだ。

――もうすぐだ。もうすぐ俺は自由になれる。その時はおまえを迎えに行ってやる。

 〈男〉はそう奈美に語り掛けてきた。

 その姿に奈美はただならぬ恐怖を感じた。

 あの男が母にとってどんな意味を持つのかそれはわからない。しかし、母の絵がおかしくなりはじめたのはあの男が現われてからだ。いつあの男が現われたのか、それは奈美には容易に想像出来た。なぜならその日の夜、さっそくあの男は奈美の夢のなかに現われたからだ。その夢のなかで〈男〉は大きな鎌を持ち、母とその友達を眺め気味の悪い笑顔を浮かべていた。

――さあ、迎えにきたぞ

 それはあまりに不気味な光景で、誰にも話すことが出来なかった。

 奈美が夢のなかで見るようになったのは〈男〉の姿だけではなかった。

 いつの頃からか、一人の見たことのない少年が夢に現れるようになった。

 少年は古い病院の一室に入院しているらしく、いつも青白い顔で病室の窓から遠くを見つめている。

――ボク、いつになったら退院できるの?

 少年は悲しげな声でそう訴えていた。

 あの少年とあの〈男〉、いったいどんな関係があるのだろう。

(どうしたらいいの?)

 奈美は、自分が何をどうすれば母を助けられるのかずっと悩んでいた。

 夕陽が落ちようとしている。

 奈美は足を早めながら、ふと道路をはさんだ歩道に目をやった。

(あれは……)

 奈美は思わず立ち止まった。

 あの〈男〉がいる。あの〈男〉が二人の子供に挟まれながらゆっくりと歩いてゆく。その二人のことは奈美もマンションで見たことがあった。


   *   *   *


「べつにあの人に謝る必要はないわ。でも、もう直子はあんなことしちゃ駄目だからね」

 和美は改めて直子に言った。

 今日も二人は公園で待ち合わせ、一緒に帰ってきたところだった。

「うん」

 直子は和美の言葉に素直に頷いた。母が生きている頃、直子は和美にとってそれほど可愛いと思える存在ではなかった。直子は決して和美の言うことを聞こうとはしなかったし、和美も直子を守ってあげたいなどと思ったこともなかった。だが、母が死に直子は和美に母の面影を求めるようになった。それと同時に和美も直子を守ってあげたいと思うようになった。

「ひょっとしたら、今夜はあの人何か言ってくるかもしれない。でも、言い返したりしたら駄目だからね」

 今朝の情況を思い出しながら和美は言った。いくら大人しい洋子でも、あんなことをされて黙っていられるはずがない。

「叩かれる?」

 不安そうな表情で直子が訊く。

「ううん、大丈夫。その時はお姉ちゃんが守ってあげるから」

 そんなことさせるものか。もしそんなことをされたら――

――殺してしまえ。

(え?)

 それが誰の声なのか和美にはわからなかった。

「どうしたの?」

 和美の様子に不思議そうに直子が問い掛ける。

「ううん、なんでもない……」

 今のが直子の声のはずがない。それなら……

 と、和美は直子に不振に思われないように気をつけながら辺りをうかがった。誰の姿も見えない。

――邪魔なんだろ。

 また、声が頭のなかに響く。

(いったい、なんなの?)

――早く追い出してしまわないとおまえの大切な妹がどうなってしまうかわからないぜ。大切なんだろ。守ってあげるって約束したんだろ。

(約束)

 約束という言葉一つが和美の心を捕らえた。

――約束よ。

 亡き母の最後の言葉。

(お母さん……)

 そうだ、お母さんのためにもあたしはこの子を守ってあげないと……。


   *   *   *


 足が震えている。

 奈美がその〈男〉の姿を実際に見るのは初めてのことだ。これまで何度か夢のなかで見たことはあったが、どこか遠くぼんやりと霞んだ姿だった。

 今、〈男〉が堂々と目の前を歩いていく。

(あれは人間じゃない)

 奈美にはそれがはっきりとわかった。だが、〈男〉のすぐ隣を歩く和美も直子も、〈男〉の存在にまったく気づいていない。

 気づいているのは――

(私だけだ)

 それがなぜなのかはわからないが、自分と母だけがあの男の存在を捕らえることが出来るらしいことに奈美は気づいていた。

 男は和美たちの肩に手をかけ、まるで父親が子供に付き添うかのように歩いていく。そこに『死』の影が見えている。

(声をかけなきゃ)

 そう思い追いかけようと試みたが、足が言うことをきかない。足がガクガクと震えだし、ついには立っていられずしゃがみこんでしまうほどだった。

(怖い……)

 それが素直な印象だった。

 奈美は追いかけることも、声をかけることも出来ず、ただ男が和美たちと歩いて行くのを見送ることしか出来なかった。


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