◇始まりは一通の手紙から
-----カタン。
真っ赤な可愛らしいポストに一通の手紙が音をたてて落ちた。
祐介はぼんやりと郵便屋がその家のポストに手紙を配達している様子を眺めた。
俺はこの家の住人と浅からぬ縁があり、この家の主人皐月さんとは俺が産まれた時からの付き合いだ。
母親は俺が産まれる随分前からお手伝いとしてこの家に出入りしているから俺が産まれた時は皐月さんもとても喜んでくれたらしい。自分の孫の様に可愛がってくれた。
そしてこの家に住むもう1人の住人の女の子、百合亜とは彼女が幼少の頃彼女の母親、栞さんと一緒にこの家へやって来た時からの付き合いだ。その時俺は7歳、百合亜は2歳だった。
彼女の母親、栞さんはこの家の主人皐月さんに何らかの関係がある女性らしかった。
曖昧な表現になるのは、詳しい関係がはっきり分かっていないからだ。
俺の母親は栞さんやその娘の事をとても可愛がっていたが皐月さんとの関係やどこから来たのか等は知っているのか知らないのか一切話そうとしない。
何回か皐月さんに栞さんとはどういう関係なのか聞いてみた事があったが、いつも皐月さんは微笑みながらその答えを上手くかわしてしまう。
でも俺が栞さんやその娘の百合亜の事を不審に思ったのは本当に僅かな間だけで、その後は優しく面倒見が良い栞さんや自分よりも年下で可愛らしい百合亜の事をすぐに受け入れてしまった。
百合亜は、一人っ子の俺にとって本当の妹の様に思えた。明るく無垢な笑顔で微笑まれると俺は嬉しくなったし、小さな手で必死になって俺の指を握る仕草はなんとも可愛らしい。
母親がこの家のお手伝いという事で俺も自然とこの家に寄り付き、自ら進んで百合亜の面倒をみる様になった。
それから数年後、栞さんが亡くなりこの家の住人は皐月さんと百合亜の2人だけになってしまった。
栞さんが亡くなられた時はまだ幼い百合亜に「お母様は遠くに行くことになったから」と言い聞かせると「自分もお母様と一緒に行く」と言って聞かない百合亜を宥めるのに大変だったが・・・・・。
そんな事を考えていると、その家の玄関の扉が開いて今俺が考えていた人物が出てくる。
「皐月さん、行ってきます。」
そう言ってセーラー服に身を包んだ彼女は玄関の扉を閉めた。
そして俺が居ることに気づいた彼女は、にっこりと微笑んで挨拶をする。
「祐兄様、おはようございます。兄様も今から学校ですか?」
「おはよう、百合亜。そう、これから学校。」
「それにしては遅くないですか?兄様の学校は遠いでしょう?」
「んー、講義は昼からだからまだ大丈夫なんだよ。・・・・そういえば百合亜、中学校生活もあと少しだね。」
「うん。志望校も内定いただいたし、後は思いっきり残りの中学生生活を満喫します。」
「そっか…。高校は聖蘭高校だったかな?」
「そうです。秋君とも一緒なんです。」
「あー、あのガキね。ホントあいつは百合亜の行くトコどこでもついてくよね。」
「そうかな?でも祐兄様だって秋君と仲良しでしょう?秋君はよく祐兄様と一緒に遊んでいたもの。」
「仲良しって言うか・・・・言うなればライバルかな。」
「・・・・ライバル???」
小首を傾げている百合亜を見て俺は苦笑する。
秋は苦戦しているらしいな。そう思っていると玄関の扉が再び開いた。
「あ、百合亜さん?良かった、まだそこに居るのね。これ忘れていましたよ。」
そう言って和風のお弁当包みを持って皐月さんが出てくる。
「わっ!お弁当!忘れていました・・・・。皐月さん、ありがとうございます。危うくお昼ごはん抜きになる所でした。」
そう言って百合亜は皐月さんから弁当を受け取る。
「ふふ・・・。百合亜さんはいつもはしっかりしているのに時々ぼんやりしている事もあるからそこが少し心配だわ。春から高校生になるし、ぼんやりもなくさないとね?」
皐月さんはにっこりと微笑んだ。百合亜は「頑張ります。」と照れた様に笑っている。
それから皐月さんは俺に向かって微笑んだ。
「祐介さん、おはようございます。朝早くからご苦労様。これから学校?」
「おはようございます、皐月さん。そうなんです。昨夜は久しぶりに実家に帰ったので。」
と俺が挨拶を返していると、隣から慌てる声が聞こえる。
「ぁあっ!?もうこんな時間!学校遅れちゃうわ!皐月さん、祐兄様、行ってきます!」
そう言って百合亜は走って学校へ向かった。
後に残された皐月さんと俺は少し唖然と百合亜を見送って、ふいに2人の間で笑いが漏れた。
「ふふふ、百合亜さんたら、幾つになっても可愛らしい。」
「全く・・・・。あのどこかぼんやりしている性格は直らないでしょうね。高校生になってから大丈夫かな、少し心配ですよ。」
「祐介さんたら、本当に百合亜の事が大好きなのね。・・・確かにぼんやりしている所もあるけれど、大丈夫。あの子は栞さんの娘だもの。彼女に似て芯は通っている、心の強い子よ。」
「そうですね・・・・。」
百合亜は物心ついた時から父親も親戚もおらず、唯一の家族である母親も幼少期に先に逝ってしまった。だから本来の百合亜の性格がどうであれ幼い頃からしっかり地に足を付けて物事を考えなければならない状況に必然的になってしまった。
幼い時には我侭も言いたいだろうにそんな事栞さんが亡くなった時「自分も一緒に行きたい」と言っただけでそれ以降は全くと言っていいほど手のかからない子になってしまった。
心の強い子と言っても元から強かったわけではなく、そういった境遇によって培ったものだと言えるだろう。
2人の間に少し冷たい冬の風が吹きぬけた。だけど心はとても温かくて、そのギャップに少しだけ切なくなる。
少しの間昔を懐かしんだ後皐月さんが微笑みポストに目をやった。
「あら、ポストに手紙が入っているわね。誰からかしら。」
俺は頭を切り替え、ポストに視線を向ける皐月さんをなにげなく見た。
皐月さんはポストから手紙を取り出し、宛名が百合亜のものだと確認するとその手紙を裏返して差出人の名前がない手紙を見て呟いた。
「この封蝋は・・・・。」
皐月さんは眉間に皺をよせ、その手紙を見つめている。
俺は少し不安になって皐月さんに問いかけた。
「どうかしましたか。何か悪い知らせでも・・・・?」
皐月さんは不安げな祐介の言葉を聞き、我に返ったのか眉間の皺を取り払って微笑んだ。
「・・・・いいえ、大丈夫よ。きっと大丈夫。」
まるで自分に言い聞かせている様な言葉だった。
さっきまで冬の冷たい風も平気だったのに、今はどうしようもなく寒く感じて俺は上着の前を掻き合せる。そして百合亜が走って行った道に目を向けた。
なんだか今までの幸せな日々とは変わってしまう様な気がする・・・・俺はそんな予感がしてもう一度百合亜の消えた道へと目を向けた。
***************
「百合亜、おはよう!」
「あ、秋君おはよ。」
「今日の体育、マラソンだって。」
「ホントに?寒いから嫌だなぁ・・・・。」
「まぁ走ってたら熱くなるけどな。」
「そだね。」
そんな会話をしていると、後ろからガバッと抱きつかれた。
「百合亜、おっはよ~!!!」
「ひやぁっっ!!?」
抱きついてきたのは親友の舞島美咲だった。
美咲は明るく社交的で友達も多く、スポーツも出来るという私にはもったいないぐらいの友達だ。
高校も私と同じ聖蘭高校を受験し、内定をもらっている。
「おっまえなぁー!朝から百合亜に抱きついてんじゃねぇよ。セクハラだぞ、それ!」
「何言ってんのよ。百合亜は嫌がってないんだからセクハラになるわけないでしょ。」
「嫌に決まってんだろっ!?なっ、百合亜。今日こそハッキリ言ってやれ!」
「あんたこそ、ドサクサに紛れて百合亜の腕掴んでんじゃないわよ!百合亜が穢れる!」
「っざけんなっ!!オレはバイ菌じゃねぇーっ!!」
そんな騒がしい朝の風景もいつもの事だった。
私は2人のやり取りを微笑ましく思いながら教室へ向かう。
私はぼんやりと窓の外の風景を眺めた。
もう少ししたらまたあの季節がやってくる。
とても悲しくて、でもほんわり心が温かくなる。
(彼はあの約束を今も覚えてくれているのかな。それとも、もう忘れてしまっている・・・・?)
あれから随分と年月が過ぎているからもしかしたら彼は私の事も約束の事も覚えていないかもしれない。
(でも私は・・・・これからも会う事がなかったとしてもきっと一生彼の事を忘れることが出来ない。)
私は首から提げたチェーンに通されて先端で静かに揺れている物をそっと握った。それは私の宝物が入っている宝箱の鍵だった。
春はすぐそこまできていた。
それまで、いやそれからも変わらずにこの穏やかな日々が続いてゆくと私は思っていた。
-----私に届けられた一通の手紙-----
その手紙に書かれた内容を私が知る事になるのは数時間後・・・・
そしてこれまでの穏やかな日々がまったく別の形に変わってゆくことになるとはこの時思いもしていなかった。