◇あなたとの出会い
そこには、大きな桜の木があった。
しかも、目の前が見えなくなるほどの満開の桜の花たち。まるで僕に目隠しをしているみたい。
ふと桜を見上げていた顔を前に向ける。何かふわふわとした物が目に付いた。
足を一歩踏み出したら、大きな桜の木の根に躓いて転んでしまった。
「ぅわぁっ!・・・・いたっっ!!」
思いっきり転んでしまった僕は暫くして起き上がり、擦り剥いた膝小僧を見る。そんなに重傷でもなかったが、少し血が滲んでいてそれを見るとどんどん痛みが増してきて、僕の瞳に涙が溜まる。
「大丈夫・・・・?」
顔を上げると、さっき見つけたふわふわが目の前にあった。
「・・・・・・。」
僕はびっくりしてさっきまでの痛みを忘れてしまい、そのふわふわを見つめていた。
太陽の光に照らされて少し金色に輝くウェーブがかった物がふわふわ揺れていた。
それが人の髪の毛だと気づき、そこで初めて持ち主の顔を見る。女の子だった。瞳の色も色素が薄く、肌は陶器の様に真っ白だった。
僕は女の子だと認識したけれど、本当に人なのか少し不安に思った。
その女の子は大きな桜の木から風に乗って舞っている桜の花がとてもよく良く似合っていて、まるで桜の花の妖精みたいだと思った。
「大丈夫?」
妖精がもう一度僕に問いかけた。
「えっ!?・・・・ぃつっ!!。」
そこで僕は自分が転んで怪我をしていた事を思い出した。でも、その子の前でなぜか弱音を吐きたくなかったから、僕は強がって「平気。」と言った。
「でも、血が出ていてすごく痛そう・・・。」
そう言ってその妖精は僕の膝小僧に手を翳した。すると、ほんのり膝小僧が熱くなって痛みが引いた気がした。
「・・・これでもう大丈夫。」
そう言って妖精は僕の膝小僧から手を離す。すると、さっきまで擦り剥いて血が滲んでいた膝小僧は転ぶ前と同じ状態に戻っていた。つまり、転んで出来た怪我が治っていたのだ。
「!!!っっすごい!どうやったの!?」
僕はびっくりして妖精に勢い込んで聞いてみた。
妖精は僕のその勢いに少しびっくりした様子だったけど、「あっ・・・・。」と呟いて僕から目を逸らした。
「どうしたの?僕、何か変なこと聞いた?」
妖精が少し困った顔をしていたから、僕は何か悪いことをしたのかと思って聞いてみた。
すると妖精はふるふると首を振り、小さな声で答えた。
「違うの・・・・。あの、この力は誰にも見せてダメよってお母様にも皐月さんにも言われていたのに・・・・・私、つい使ってしまったわ。」
どうしてそんなすごい事を見せてはいけないのか不思議だったけれど、僕のせいで優しい妖精が困るのはすごく嫌だった。
僕の怪我を治してくれた良い妖精なのに、その為に怒られてしまうのはとても可愛そうに見えた。
「どうして内緒なのかは分からないけれど・・・・。
でも、転んだ時は血が出ていてすごく痛かったのに、今は全然痛くない。
本当にありがとう!・・・・僕はすごく助かったんだよ?
だからその事で君が困っているなら、僕は絶対誰にも言ったりしない!本当だよ!だから・・・そんなに悲しそうな顔しないで?」
僕は必死になって妖精に今の気持ちを伝えてみた。
すると妖精は顔を上げてしばらく僕を窺っていた。
そして、ふんわりと微笑んで「ありがとう。」と言ってくれた。
その笑顔が目に焼き付く。なんて可愛いんだろう・・・・。
暫く僕は妖精の笑顔に見惚れてしまった。
それから、2人で大きな桜の木の下でぼんやりと桜の花びらが舞っていく様子を眺めていた。
風に乗って舞っていく桜の花びらはとても綺麗だった。それに、隣には可愛らしい桜の妖精がいる。言葉は交わさなくてもその場の雰囲気はやわらかくて温かく、とても居心地が良かった。
ふと、隣にいる妖精の顔を見てみる。すると妖精は何かを必死に我慢している様な表情をしていた。でもその表情は一瞬だけで、次の瞬間には何かに負けない様に強い意志を持った瞳をしていた。
それは一瞬だったけれど、僕はひどく惹かれてしまった。
なんてきれいな瞳をしているんだろぅ・・・・。とても強い光を持った瞳。
また僕は暫くその瞳に見惚れて、そして気が付いた。
そういえば、この桜の木の下に来てからずいぶんと時間が経っている気がする。
母親に連れられて稜汰と一緒にこの地へ来た。
自分は少し用事があるからここの庭の散策をしておいで。と母親に薦められて悠斗は稜汰と一緒に散策をしていたのだ。
散策する間に稜汰と逸れてしまい、大きな桜の木の下へ迷い込んだ。
そして桜の妖精と出合って一緒に桜の木を眺めていた。
でもかなりの時間が過ぎていて、母親も稜汰も心配しているかもしれない。もうそろそろ2人の所へ帰らないといけない。
悠斗はそう思ったが、さっきの妖精の瞳が気になった。だから思い切って妖精に尋ねてみた。
「・・・ねぇ。君、何か悲しい事でもあったの?」
妖精は突然の問いに少し驚いた様子を見せたが、少し俯いて小さな声で答えた。
「今日は、お母様とお別れの日なの・・・。
お母様はとても遠くに行かれるから、私とはもう会えないって、皐月さんに言われたの。」
彼女は大好きなお母様とお別れをしなければならないみたいだ。
でもお母様と一緒に居たかった彼女は皐月さんに自分も一緒に付いて行きたいと言ったらしい。
「でも、皐月さんはすごく困った顔をして、”それは出来ないの”って言ったの。
・・・・私、どうしてだめなのか分からなかったけれど、皐月さんがとても悲しそうな顔をしていたからそれ以上お願い出来なかった・・・・。」
「皐月さんが悲しい顔をするの、私は嫌だから・・・。」と彼女は最後に呟いた。
僕はなんだか悲しくなった。目の前の桜の妖精は妖精じゃなく、人間の女の子で。
その女の子は小柄な僕なんかよりもっと小さくて、頼りなく見えた。
だけど大好きなお母様と離れ離れになるという現実をなんとかその小さな体で受け止めようとしていた。
そんな目の前の女の子を僕はどうにかしてその悲しみから救い出してあげたかった。
-----僕が守ってあげたい-----。
その時初めて人を”守りたい”と思った。
いつも僕は稜汰や両親、周りの大人たちに守ってもらってばかりいる。
・・・・でも、この子は僕が守ってあげたい。そう強く思った。
「君はお母様のこと大好きなんだよね?」
「・・・うん。お母様はいつも優しくて、あったかくて大好き。」
「そっか。・・・僕、そんな優しい君のお母様が君の悲しむ様な事を進んでするとは思えないよ。
きっと何かじじょうがあったんだよ。どうしても遠くに行かなくちゃいけない用事が出来たんだ。
・・・僕もお母様と一緒にここへ来たけれどお母様はご用があるから、今は僕一人なんだ。それに、お父様はいつも家にいない。お仕事がすごく忙しいんだって。」
本当は途中まで稜汰と一緒だったし、お父様が家にいないのは本当だけどその代りいつもはずっと誰かが周りにいる環境で生活している。1人になる事はほとんどない。
けれどここへ来てから稜汰とは逸れてしまって”今は”1人だし、この子の前ではいつも誰かが一緒だという事をなぜだか言いたくなかった。大切な人と離れ離れになってしまうこの子を何とか元気づけてあげたいと思った。
「・・・・だから君のお母様も何か大切なご用があるから本当は君と離れたくはないけど、どうしても君とお別れしなくちゃいけなくなったんだよ。きっとそう。
・・・・でも君のお母様は遠い所からでも君の事いつも思ってるよ。君がお母様の事大好きな様に、君のお母様も君の事大好きだと思うな。だから側にいないけどいつも気持ちは一緒だと思う。」
僕は彼女と出会った時の事を思い出した。
ぜんぜん知らない見ず知らずの僕に、「血が出ていてすごく痛そうだから」と、大好きなお母様に見せてはいけないと言われていた力を使って治してくれた、とても優しい女の子。
そんな彼女のお母様だって、優しい彼女の事をきっと大好きに違いないと思った。
「それに、僕も君の味方だよ?会ったばかりだけど、僕達はもう友達でしょう?だって君は僕が困っていた時助けてくれた、僕の恩人だもの。
だから次は僕の番。君が何か困っていたら、今度は僕がきっと君を助ける。君が寂しくなって我慢出来なくなったら会いに行くし。約束するよ。」
必死な顔で言っていた僕に「ほんと?」と女の子は少しはにかみながら僕を見つめ、呟いた。
「ほんとだよ。今はまだ頼りないかもしれないけどきっと君を守れる男になるって約束する。」
そして僕は右手の小指を彼女に差し出した。彼女も右手の小指を差し出して僕の小指と重ねた。
2、3回上下に振ってゆびきりをして、2人で笑いあった。
「あ、そうだ!」
僕は首から提げていたチェーンに通されていた2つの指輪の内の小さい方の指輪を抜き取った。
それは僕が産まれた時に作られた物らしく、僕に大切な人が出来たらその人にあげなさいと両親に言われていた指輪だった。
「これを約束のしるしに君にあげるよ。」
僕は彼女の左手の薬指にその指輪をはめた。僕の両親も左手の薬指に指輪をはめていた。
2人の約束のしるしだと言っていた。
だからきっとこれで大丈夫。・・・・でも、彼女の指にはかなり大きい指輪でぶかぶかだった。
「ありがとう!すごく嬉しい・・・・。」
彼女は、はにかんで嬉しそうにその指輪を撫でる。
ふと彼女は何かを思いついたみたいにポケットに手を突っ込んだ。
彼女はポケットからビーズで出来た指輪を僕に差し出した。
「お母様と一緒に作ったの。2つあるから、1つはあなたに。お礼と約束のしるし。」
「・・・いいの?お母様と一緒に作った大切な物でしょ?」
「いいの。・・・私、今すごくうれしいもの。あなたのおかげだよ?
お母様と離れ離れになるのはとてもさみしいけれど、きっとお母様も私のこと思って下さっている。・・・・その言葉がすごくうれしかったから。
それに、あなたが私のお友達になってくれたもの。私はもうさみしくない。
だからこれは約束のしるしにあなたにもらって欲しいの。」
僕は嬉しくなった。
彼女の大切なものを彼女は僕に預けてくれる。僕のおかげで寂しくないと言ってくれた。
さっきまで悲しそうな顔をしていた彼女は今はとても明るい表情だ。笑って「さみしくない」と言ってくれている。
だからきっと僕は約束を守ってみせる。この笑顔をなくしたくない。彼女は僕が守ってあげるんだ。
そう思っていると、遠くから僕を呼ぶ声が聞こえた。
「悠斗様、どちらですかー!?」
稜汰だ。僕を探しに来たみたいだ。もしかしたらお母様のご用も終わったのかもしれない。
僕は彼女からもらったビーズの指輪を首から提げていたチェーンに通した。
僕は彼女をもう一度見た。
「大切な指輪、ありがとう。大切にするね。
迎えが来たみたいだからもう行かなくちゃ。・・・・でもやくそく忘れないでね?」
彼女は微笑んで、「うん、ちゃんと覚えてる。忘れないよ。」と呟いた。
僕は彼女と少し離れ難かったけど、手を振って彼女と別れた。
彼女も手を振っている。その向こう側から彼女を呼ぶ女の人の声が聞こえた。
「百合亜ちゃん?そこにいるの?」
・・・・百合亜ちゃん。彼女の名前だった。やっぱり彼女は桜の妖精なんかじゃない。人間の女の子だ。
いつかきっとまた会いに来る。そう決意して僕は稜汰の所に向かった。
それが彼女と僕との出会い。再会するにはそれから数年かかったけれど、2人はきっと再会する。
だってそういう運命だから・・・・。
***************
「悠斗様、どちらにいらしたんですかっ!?ずいぶん探しました!」
「稜汰、ごめん。大きな桜の木を見つけたんだ。とても綺麗だったから、見惚れていた・・・・。」
「そうですか・・・・。心配しました。奥様のご用も終わったみたいです。」
「そう・・・・。お母様は?」
「お車でお待ちです。」
「そうか、急ごう。」
「はい!」
その後僕は車に乗ってお母様と稜汰と一緒に家に向かった。
車で僕を待っていたお母様は少し目が赤くなっていて、元気がなかった。いつも明るく笑顔が絶えない人だからなんだか心配になって、僕はどうしたのか聞いてみた。
するとお母様は「大切なお友達とお別れをしてきたの。」と言った。とても大好きな人で一番のお友達だったと。
ふと僕は大きな桜の木の下で出会った少女の事を思った。
お母様とお別れすると言っていた。
もしかしたら、僕のお母様の大切なお友達は彼女のお母様の事かもしれない。
そう思うと余計に悲しくなり、彼女と交わした約束の事が頭に焼き付いてしまった。
首から提がっているチェーンの先の物を服の上からぎゅっと握った。
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それから数年の月日が流れた・・・・。
結局僕はその後あの女の子に会う機会がなく、年月が僕をどんどん成長させていった。
あの桜の木の下で出会った女の子の名前も忘れてしまった。でも、あの時約束した彼女への気持ちと首から提がっているチェーンに通された指輪だけは変わらず僕の手元にある。
服の中からそれを取り出してぎゅっと握る。
-----彼女は約束を覚えてくれているだろうか。-----
僕はそっと手のひらを開き、彼女にもらったビーズで出来た可愛らしいお礼の指輪とそれに重なるようにチェーンに通されているもう一つの誓いの指輪を見つめた。




