第9話「評価」
1月某日。
進級試験結果が張り出された掲示板の前には、独特の静けさがあった。
学校生活で規律を叩き込まれている学生は、歓声も、ため息もない。
ただ、紙に印字された順位を確認するための視線だけが、規則正しく行き交っている。
警察大学校において、成績という序列は機能であり、将来の配置予測資料に過ぎないというのが俺の考えだ。
一学年の成績、その最上段に俺の名前はあった。
総合1位。
関教場の空気が、わずかに揺れる。
「やっぱり、国家資源様が1番ね。」
最初に声を出したのは朝倉が、肩をすくめ、掲示を指し示す。
「座学はぶっちぎり、術科も文句なしの安定感。次年度の優等生枠確定じゃん!」
軽い調子だが、以前のような露骨な揶揄や嘲笑ではない。
その様子を見た干川が、距離を詰める。
「すごいよね。でもさ、守られてる環境でそれだけ取れるのって、逆に安心だよね!」
干川の声に棘はなかった。
ただ、守られている、危険を排除されている、だから集中できる、という世界の前提が透ける。
付かず離れずの距離に居た姫野は、一瞥して、短く言った。
「特別扱いなんだから、当然でしょ。」
その一言には肯定も否定もなく、恵まれている環境である以上、最低でもこの程度は取るべきだ、という合理的判断を感じた。
最上は2位という自身の順位を確認し、わずかに眉を寄せた。
「机上問題は、分析力があれば点になるから。今回の評価軸がそうだっただけ。資質や能力の優劣じゃない。」
負けを認めない声音で、俺をしっかりと睨みつけてきた。
横峯は、最後まで何も言わなかった。
そして、掲示を見つめ、視線を下げ、俺を見る。
「……おめでとう。」
そう言った横峯は自分の名前の位置を確認し、ほんの僅かに唇を引いた。
その言葉だけが、順位や属性ではなく俺個人に向いていた。
俺の口元がわずかに緩む。
「ありがとう。」
一年目年度末評価何て、スタートラインに立つ前の準備運動の一部だ。
しかし、それを伝えるほど野暮にはならなかった。
続いて、成績掲示板の隣に、面談日程が貼り出された。
一年次総括個別面談。
そこでも俺の名前は、最上段にあった。
横峯がそれを見上げながら言う。
「トップだから最初?」
「整理番号順だろ。」
「そういうことにしとく。」
朝倉が横から覗き込む。
「優等生代表君!どんな総評もらうのか気になる〜。」
それに干川が続く。
「詳細な精神安定性チェックとか医師診断があるんでしょ?資源だし。」
姫野は無言で、最上は一瞥しただけで興味を示さなかった。
「特別なことはないだろ。」
そう答えたが、俺の内心は違っていた。
常時SP護衛対象、精神状態の変化は組織リスクになる。
特別なことはない、なんてことがあるはずがない。
---
年度末総括面談の定刻前となった。
俺が立つ教官室前の廊下は無機質で、蛍光灯の白い光が均一に床を照らしている。
俺の背中から一定距離を保って、SPが立つ。
その存在は視界に入らないようでいて、常に意識の端にある。
午後のチャイムが鳴り終わったのを合図に、俺は3回扉をノックした。
「入れ。」と言う関教官の声は、いつも通り低い。
「入ります!」と返事をして入室すると、机上には分厚い評価資料が整然と並んでいた。
成績、術科、生活態度、心理検査等、この学校でやってきた全ての個人情報が集まってるのだろう。
「まず、学業成績の評価から。」
関は手元の資料を見ながら、確認するかのように指でなぞった。
条文解釈精度が高い、事例問題における演習での論点抽出が迅速かつ正確、憲法・行政法・刑法・刑事訴訟法は苦手無し。
「つまるところ、全科目優秀で総合1位だ。各教官とも、歴代で上位に入る優秀さと舌を巻いている。担当教官としても文句はない。」
「ありがとうございます。」
関は手元の資料を1枚めくった。
「だが、特記事項がある。……初の男性学生につき、慎重運用を継続。……精神安定性は継続観察対象とし、現状通り週に1度のメンタル検診が必須。……三年次以降の現場実地研修については、段階的判断が必要なため保留。」
関の言葉に感情はなく、ただ上からの指示を伝えたように聞こえた。
俺は無言でわずかに頷く。
「微塵も表情が変わらないな。……想定内か。」
「はい。」
関は、俺をじっと見た。
「本当に佐藤は動揺しないな。」
「想定を超えておりませんし、合理的な判断と思っていますので。」
「合理的か……」
そう言いながら、関が1枚の紙を取り出した。
「今回受けた心理検査結果の詳細だ。」
視線だけが俺に向く。
「知能検査、自己効力感、問題解決能力、ストレス耐性、いずれも高水準。だが特異値があるとのことだ。」
「どの項目ですか。」
「ストレス負荷時の脳波の揺らぎだ。ストレスがかかってここまで脳波がぶれないのは、異常だそうだ。それこそ、薬物によるコントロールをしているかのような。」
関は値踏みするかのような視線を俺に向ける。
そのまま数秒ほど、視線がぶつかり合った。
沈黙が重く、鼓動の音が耳元で鳴り響くような感覚があった。
同時に俺は、耐えかねたようにふっと視線を斜め下へ落とした。
すると、関の険しかった眉間の皺が、わずかに緩む。
「……薬によるコントロールや、嘘をついている人間の反応じゃないな。」
関は手元の資料を閉じ込んだ。
「佐藤はただの一般優秀学生だと、報告することにする。」
「……ありがとうございます。」
俺は、関に軽く会釈した。
しかし、『ただの一般優秀学生』というその言葉が気になった。
その報告書の中に、俺の知らない何かが書かれているような予感を感じた。




