第6話「入口」
盗難事件の噂は瞬く間に広がっていた。
その証拠に、講義開始前の教場の空気は、わずかに変質していた。
嘲笑も憐憫もなく、ただ距離だけが残った。
言うなれば、視線は値踏みから観察へと変わっていた。
俺はそれを受け流して席に着くと、朝倉が机を指で叩く。
「ねえ、資源くん。あのロジック、どうやって思いついたの?」
朝倉の声色は軽いが、以前より角が取れている。
「思いつきじゃなく、可能性を消去しただけだ。」
「消去?」
「機会と動線。持ち出せる者は限られる。あとは客体の処分についてだ。」
「へえ。理系っぽい。」
話を聞いていたのか、干川が露骨に身体を寄せてくる。
「でもさあ、ああいうの危なくない? 上級生相手に。」
「ここの入校生なのに、侵入窃盗をする輩だ。危険性を考慮して教官に報告した。」
「国家資源様なのに冷静だよね。」
これは褒め言葉等ではなく、世界観の確認だ。
近くにいた姫野は何も言わずに、視線だけそっと向けてきた。
最上は資料から目を上げずに一言だけ落とす。
「机上の分析は、現場では通用しないんじゃない。」
その言葉に俺は反論はしない。
実務を支えるのは法の理解と判断だ、等と今説いても仕方がない。
それどころか、生意気な国家資源としてのレッテルを貼られるだけだ。
俺たちの会話に入ってこなかった横峯は、隣の席に座って黙って聞いていた。
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今日の講義が終了し、自由時間を迎えた。
身体を鍛える者、余暇を楽しむ者、勉学に励む者と様々だ。
俺が学習室に足を踏み入れると、中は静まり返り、鉛筆が机を叩く音とページをめくる音だけが響いていた。
入口付近に座っていた女生徒が俺に一瞥くれるも、すぐに視線をそらし、机に向き直った。
俺は人目に付きにくい奥の机を選び、刑法逐条解説を開いた。
しばらく六法を眺めていると、対面の椅子が引かれた音がする。
俺が視線を上げると、横峯が微笑みを浮かべていた。
「居てくれてよかった。少し、いい?」
俺が頷くと、横峯は座ってノートを開く。
そこには俺の盗難事件のあらましが記載されていた。
「私が関教官から聞いて、分からなかったのはここ。」
赤線が引かれている箇所を見ると、侵入と窃盗の成立要否について記載されていた。
「佐藤は関教官に話した時、住居侵入+窃盗だと断じたって聞いたよ。でも、警察大学校の寮っていう特殊な空間で、構成要件の整理が出来なくて。」
「なるほど、具体的に何を考えたのかがここか。」
俺が指で指示した箇所には、横峯の適用する罪の種類が書かれていた。
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佐藤事案、検討案
①被疑者は建造物侵入、住居侵入、窃盗の牽連犯?
②被疑者は住居侵入、窃盗の牽連犯?
③被疑者は窃盗のみ?
④被疑者の目的次第では使用窃盗のため、窃盗に当たらず?
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「パターン分けするのは良いじゃないか。パターン漏れさえなければ、個別検討するだけで答えが出る。」
「私もそう思ったけど、どうやっても結論が出なくて……思考のプロセスが知りたいんだよ。」
横峯の声音はどこか淡々としており、好奇でも称賛ではなく純粋な疑問から来ていると、俺は理解した。
俺は、机の上にあった逐条解説を開く。
「一度に全部を処理しようとすると混乱する。細分化して検討するのが近道だよ。」
「細分化?」
「そのための逐条解説だ。一つの単語が何を指すのか、事細かに説明されているからこれを使う。」
俺の説明に、横峯は黙って聞いている。
「まず侵入の罪。内部犯なら寮共用部分へ正当な立ち入り権限があるため、建造物侵入にはならない。だが、他人の居室は管理権が個人に帰属しているため、そこへの侵入は『住居侵入罪』を構成する。」
「……なるほどね、これが分解か。」
「そう、次に窃盗。ここに書いてある通り、使用窃盗か否かは不法領得の意思で決まる。横峯が迷っているのは、USBやノートが単に中身を知りたいから、中を見たら返すつもりだったが通用するかって話だろ?」
そう言いながら、逐条解説の不法領得の意思部分を指で指し示す。
「中身が知りたいっていうのは、今回の客体の経済的価値を享受する行為だ。さらに、他人の占有を住居侵入してまで侵害するっていうのは、不法領得の意思の発意以外の何物でもない。」
俺は、横峯のノートの②を指さした。
「こうやって分解すれば、②の構成の牽連犯以外ありえないだろ?」
俺の話俺の説明を、横峯は遮らず最後までメモを走らせながら聞いていた。
「……すっごい分かりやすい。」
横峯は素直にそう言った。
だが、すぐに視線をノートから上げる。
「でも、どうして、そこまで冷静でいられるの?」
横峯が少しだけ首を傾げる。
「…どういう意味だ?」
「自分の物を盗られたんだよ?しかも居室に無断で入られて……普通、もっとこう怒りとか恐怖とかの感情が先に来ない?」
俺は逐条解説を閉じる。
「この職業に限っては、感情は最後でいい。」
「最後?」
「怒りも恐怖も判断を鈍らせる。先に事実の構造を固め、出来ることを整理して事にあたる。そうすれば結論は自然に出る。」
俺の言葉に横峯は「……慣れてるみたい。」とこぼした。
俺は確かに慣れている部分があるだろう。
取り調べ室の空気、被疑者の目線、机の上の証拠品、目覚めた時に持っていた俺の記憶だ。
「……仮想訓練だ。」
俺は咄嗟にそう答えた。
「常に最悪を想定する。感情に揺さぶられて動いた影響を考える。それだけだ。」
横峯はじっとこちらを見る。
「気になったんだけど……、どうして、そこまで警察になりたいの?」
唐突に核心をついてきた質問に、胸が騒いだ。
「だって…、そう、守られる側なのに。」
教場で何度も聞いた言葉だったが、それとは違い、横峯の声音には揶揄がない。
俺は少しだけ視線を落とす。
「きっと今この瞬間も、救いの手が届かない人がいる。」
ゆっくり言う。
「警察が扱う事案は男女関係無いのに、救う側に男が居ないのは取りこぼしが必ず生まれる。」
俺の言葉に横峯の瞳がわずかに揺れた。
それを見ながら俺はさらに言葉を続ける。
「男を守るのは合理的だが、守るしか選択肢がないのは合理的じゃない。」
静かな沈黙が戻り、学習室の奥でページをめくる音がする。
横峯は小さく息を吐いた。
「……佐藤ってさ。」
「何だ。」
「国家資源って感じ、しないよね。」
そう言った横峯が少しだけ笑う。
「なんていうか、言葉悪いけど、『異物』って感じ。」
俺はその言葉を否定はしない。
「そうかもしれないな。」
「怖くない?」
「何がだ。」
「女ばっかで、環境から浮いてること。」
俺は「慣れている。」と、即答した。
入校式の日から、ずっと浮いているのは事実だったからだ。
横峯はメモが終わったノートを閉じる。
「……そっか。教えてくれてありがと。」
そう言って立ち上がりかけて、止まる。
「ねえ。」
「何だ。」
「私、もっと考える力がほしいって思ったよ。」
その言葉には、努力型であろう横峯の焦燥が滲んでいた。
「暗記だけじゃなく、論理を組み立てる力、それを実行プランに落とせる力。」
そう言いながら切なそうに微笑む横峯に俺は答える。
「……なら、一緒にやるか。」
横峯の動きが止まる。
「いいの?」
「拒む理由はない。」
俺の答えを受け、横峯は小さく笑った。
「じゃあ、遠慮なく盗むね。思考法。」
「合法の範囲でな。」
「法的には、アイデアや手法は著作物に非ず、でしょ?」
横峯は去り際、振り返らずに小声で呟いた。
「使われない優秀さって、……もったいない。」
聞こえるか聞こえないかのその言葉が、静かに俺の耳に残った。
学習室に残された俺は、孤立である教場も、制度も変わっていないことを改めて思い返した。
しかし、初めて、対等な目線があった。
観察でも測定でもなく、同じ高さの視線だった。
一年目は、まだ続く。




