第40話「警察大学校」
朝の空気はやけに静かで、講堂の空気は張り詰めていた。
私語一つない整列の中で、皆の息遣いだけがやけに大きく響く。
整列した講堂に、いつもと違う緊張が走っているのは、全員意識していた。
「これより、辞令交付を行う。」
壇上に立つ学校長が、手元の紙に目を落とした。
「警察大学校第196期、朝倉友理奈巡査部長ほか95名、本日より警部補を任ずる。」
警察大学校を卒業したら、まずは警部補として各都道府県警察の警察署の係長として勤務する。
今からそれぞれの配置が、辞令交付と共に伝えられる。
「朝倉友理奈。」
「はい!」
「大阪府県警察本部西成警察署勤務を命ずる。」
その後も、聞き慣れた配属先が続く中で、次の次が俺の番だ。
自分でも緊張が増していくのが分かる。
「横峯奈美。」
「はい!」
「警視庁新宿警察署勤務を命ずる。」
これで、女子生徒が朝倉から横峯まで、全員に辞令が交付された。
次は俺の番だ。
「佐藤悠真。」
「はい。」
俺が一歩前へ出る。
「警視庁刑事部捜査第一課勤務を命ずる。」
一瞬にして音が消えたが、音にならないざわめきが広がる。
その配属がどういう意味を持つのか、ここにいる全員が理解していた。
前例がなく、国家資源を捜査ど真ん中の部門へ登用する。
だからこそ、その一言は異様な重みを持っていた。
辞令を受け取ると、紙に重さはほぼ無いがはずなのに、胸にまで響く重さがあった。
紙の重さではなく、これから背負うものの重さが、そのまま掌に乗っている感覚だった。
「以上。」と短く締められ、整列が解かれる。
周囲の視線が、一斉にこちらへ向くのが分かる。
祝福、好奇、警戒、羨望、そして疑念。
俺はそれら受け流し、講堂を後にした。
廊下の角を曲がると、窓から外を眺める影があった。
「……無事、内示を受けたか。」
今まで見たことない穏やかな笑みを浮かべていた。
「卒業おめでとう。念願の刑事、しかも警視庁の捜一だな。」
「関教官の指導の賜物です。教官が色々として頂いたお陰と理解しております。改めてありがとうございます。」
俺がそう言うと、関は声を出して小さく笑った。
「そんなこと気にするな。ただ、刑事にはなれたものの、護衛付き、権限制限あり……そんなところか。」
「はい。」
関は腕を組み、こちらを見た。
「勘違いするなよ。最初から自由に捜査出来る刑事なんていない。それに……」
関の普段の様子からは想像できないほど静かな声で、しかし熱を持った言葉が続く。
「男だから失敗できないだけだ。……だから証明してこい。……佐藤は刑事という生き物なんだと。」
関のその言葉は、重かった。
「……はい。」
俺はそれ以上の言葉は出なかった。
関はその俺の反応を見て、再び微笑んだ。
「佐藤、お前は私が見て来たどの警察官より優秀だ。行ってこい。」
その言葉に俺は小さく頷き、踵を返して歩き出す。
足取りは重くはないが、軽くもなかった。
一区切りがついたという実感と、これから始まる現実が、同時に胸の中にあった。
ふと前を見ると、見慣れた背中が廊下の窓際にあった。
「……横峯。」
名前を呼ぶと、ゆっくりと振り返る。
「……終わったね。」
「いや、始まったというべきだろ。」
短いやり取り。それだけで十分だった。
横峯は、俺の顔を一度だけ見て、それから小さく頷く。
「……そっか、…そうだね。」
窓の外では、他の班員たちが移動しているのが見えた。
これから誰もが、それぞれの場所へ向かっていく。
「同じ警視庁だね。佐藤は捜一って本当に凄いよ。」
「署の係長にはさせられないって、そう判断されただけだ。」
言った瞬間、横峯の視線がわずかに止まった。
「違うよ。佐藤は組織の制度を一つ変えたんだよ。そうせざるを得ないほどの能力を、正攻法で認めさせたんだよ。」
横峯の言葉を受け、俺は何も返さなかった。
事実だからだ。
制度を変えた、という実感はない。
ただ、目の前の事件を積み上げただけだ。
その結果が、今ここにある。
「……でもさ。」
横峯が、少しだけ視線を外したまま続ける。
「多分、これからずっとそう見られるよ。」
「……だろうな。」
何かをしての評価ではなく、前提としてそういう目で見られ続ける。
「楽じゃないね。」
「入校を選んだ時から、楽な道を歩むつもりはない。」
俺がそう言うと、横峯は小さく笑った。
「うん、そういうところ……ほんと佐藤らしくて憧れるよ。」
横峯の言葉に気恥ずかしい気持ちになり、短い沈黙が落ちる。
窓の外では、まだ人の流れが続いていた。
ここにいる時間は、もう終わりに近い。
「……横峯。」
「なに?」
「今まで、助かった。」
横峯は一瞬だけ目を細め、それから肩をすくめる。
「何にもしてないけど……佐藤がそう言うなら、貸し一つ、ね。…じゃあ……ちゃんと返してよ。」
「ああ、現場でな。」
その時、廊下の奥から賑やかな声が近づいてきた。
「いたいた!」
先頭で手を振っていたのは朝倉だった。
その後ろに、姫野、最上、干川と、班員がまとまって歩いてくる。
「もう!2人で締めみたいな空気出してるじゃん。」
と言いながら、朝倉が横峯の肩を叩いた。
「まだ終わってないって。佐藤もほら、最後くらい顔合わせようよ。」
「……別に逃げたつもりはない。」
「知ってるけどさ。」
朝倉が軽口のまま、距離を詰めてくる。
その横で、姫野が腕を組んだまま俺を見る。
「警視庁の捜一、ね。特例だろうが何だろうが、新しい場所でも結果を出さなければ、佐藤の配置に意味はないから。」
「分かってる。」
「ならいい。」
それ以上のやり取りは無いが、否定の色はもうなかった。
少し遅れて、最上が口を開く。
「……正直、まだ納得してない部分はある。」
真っ直ぐな視線だった。
「でも、これまでの講義、それにあの掲示と実習の話を聞いて……能力があること自体は否定しない。」
やはり最上は、悔しそうな瞳を俺に向けて来た。
「だから、次は現場で勝つ。」
「好きにしろ。」
「ええ、そうする。」
最上とのやり取りは、それで終わりだった。
干川は少し後ろから、こちらを見ているだけだったが、小さく一歩前に出た。
「……仕事で無理、しないようにね。」
それだけ言って、すぐに視線を逸らす。
「無理はする。」
「……わかってるよ。でも、提出義務はちゃんと守って。私たちのために。」
そう言って干川が笑い、俺も困った笑みが出た。
そのやり取りを、朝倉がまとめるように割り込む。
「はいはい、終わり終わり!」
朝倉がそう言って、手を叩いて場を切り替える。
「でもさ、最後にこれだけは言わせて。」
一歩下がり、朝倉が全員を見渡してた。
「この班、普通に当たりだったよね。」
一瞬場が固まったが、誰も否定しなかった。
「……否定はしない。」と、姫野が小さく頷く。
「効率は良かった。」と、最上も短く言う。
「……楽しかったね。」と。干川が続く。
横峯は何も言わず、ただ小さく笑っていた。
俺も、特に言葉は出なかったが、同意ではあったので、小さく頷いた。
「じゃ、『またね!』ってことでいい?」
朝倉が軽く言うと、誰も異を唱えず各々の方向を向く。
同じ教場で過ごした時間は、そこで切り分けられた。
俺たちは、同じ班員ではなく同じ職業として、それぞれの場所へ向かう。
外には眩しいくらいの春の光に溢れている。
だが、その先にあるのは、綺麗なものだけじゃない。
理屈で割り切れない犯罪。
制度に縛られた現実。
それでも動かなければならない現場。
全部、分かった上で俺は行く。
刑事としての前世の記憶に、警察大学校の経験を混ぜて、それを背負って、歩き続ける。
ここからが、本当の始まりだ。
1/96 前日譚 完
(佐藤の物語は続く)
▶ 本編第1話はこちら
https://kakuyomu.jp/works/16818792438335912249/episodes/16818792438336229809
▶ 本編作品ページ(一覧)
https://kakuyomu.jp/works/16818792438335912249
なろう版:https://ncode.syosetu.com/n4869le/
【あとがき】
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
本作は本編へと続く前日譚となります。
佐藤が刑事として如何に生きるか、気になる方はぜひお読み頂けると幸甚です。




