第37話「供述自由権」
「……全員、留置完了です。」
俺が端末から顔を上げると、対面の席で林が頷いた。
「早いね。弁解録取書も全部確認できたし、よかったね。」
「ええ、事故などもなくて良かったです。」
俺と林が会話する中、東は腕を組んだまま、壁のホワイトボードに並んだ名前を見ている。
被疑者19名、その全員に、赤いチェックが入っていた。
「……で、供述は?」
林が資料をめくりながら答える。
「実行役は一部を除き、実行行為自体は認めています。また、トランの関与自体を供述する者もいます。……ただ」
「ただ?」
「指示されたからやった、で止まってますね。上は誰かって話になると、供述した者ほぼ全員が『Linhから指示を受けた』で一致してます。」
予想通りだ。
末端は崩れ供述するが、組織構造は語らない。
語れないのか、語らないのかは判別不能だが。
東は小さく「教科書通りだな。」と、鼻で笑った。
俺は端末を操作しながら口を開く。
「チャットログと突合しても、実行役の供述はほぼ裏が取れてます。時間、指示内容、移動履歴……矛盾は今のところありません。」
「よし。」
東は一歩、ホワイトボードに近づいた。
まだ線が伸びきっていないが、中央に書かれた名前を指さす。
<Trần Thị Linh>
「で、本丸は?」
林が一瞬だけ視線を落とし、そして言った。
「……黙ってます。」
「わかった。……息抜きがてら、録音録画の映像、佐藤にも見せてやれ。」
そう言われた林は、トランの取調官にすぐに架電した。
林が短く状況を伝えると、数分も経たずに内線が鳴った。
「……来た。再生できるって。」
「ありがとうございます。」
俺は席を立ち、林と並んでモニターのある端末へ向かう。
再生ボタンを押すと、無機質な取調室の固定カメラの映像が映し出された。
音声はクリアだが、空気の温度までは伝わってこない。
それでも画面の向こうにいる女が、ただならないことは分かる。
姿勢は崩れず、視線も揺れず、まるで待っているようにも見えた。
「……始まるよ。」
林が小さく言うと映像の中で、取調官が資料を机に置く。
供述自由権、つまり自己が供述したくないことを供述しなくていいと、通訳を介して伝え始めた。
これが取り調べ開始の合図だ。
トランが供述自由権を理解した旨を回答し、取調官との淡々としたやり取りが始まった。
質問、否認、証拠品の提示、否認、記憶喚起の確認、否認、その繰り返しただ。
『……知らない。』、『話したくない』という同じ言葉が、何度も繰り返される。
声のトーンは変わらず、速さも、間も、ほぼ一定。
俺は画面から目を離さず、ログとの対応を頭の中でなぞる。
提示されている資料は、俺たちが積み上げたものだ。
チャットログも、タイムラインのまとめも、トラブル時の返金指示書も、どれも逃げ場のないものばかりのはずだった。
「……反応がないですね。」
俺の口から思わず漏れた言葉に、林が頷く。
「うん。普通はどこかで崩れる。視線とか、呼吸とか……でも……トランは、微動だにしない。」
「……確かに。質問が変わっても、資料が変わっても全部、同じ返しですね。」
俺は一度だけ目を閉じ、すぐに開く。
「……こちらの提示する情報を、遮断しているように見えますね。」
林の声は静かに「だね。」と同意した。
やがて映像の中で、取調官の質問が変わる。
『トラン、お前に指示した上がいることは分かってる。誰だ?』
その質問に、ほんの一瞬だけ、トランの視線が揺れた。
俺はそのフレームで再生を止めた。
「……今、止めた?」と林が俺に目を向けてきた。
俺は「はい。ここです。」と画面を指さす。
「視線、0.2秒くらいですが、右下に落ちてます。その前後で呼吸も一拍ずれてる。」
俺の意見を聞き、林が身を乗り出す。
「……ほんとだ。」
「完全に無反応ではないです。質問内容によって、反応の質が変わってます。」
「じゃあ……上の存在は認識している可能性が高いってことだね。統制されてるか、自分で線引きしてるかはさておき。」
林はそう言って再生を戻し、再び同じ場面を流した。
『……知らない。』
林が小さく息を吐いた。
「厄介だね。」
俺は再生を止め、ログの画面を開く。
「供述は今の様な否認状態では取れないでしょう。少なくとも、このままのアプローチでは。」
「だね。崩しにいっても、時間かかるだけだね。」
悩ましい表情で林が腕を組む。
「何かアイデアある?」
林が少し冗談めかして問いかけてきたが、俺は迷わなかった。
「供述を前提にせず、客観資料を淡々と報告書化する構成に切り替えます。」
ちょうどその時、背後から東の声が落ちた。
「その通りだ。」
振り返ると、東がいつの間にか立っていた。
「見てどう思ったか言ってみろ。」
東は真っすぐ俺を見据え、俺は端的に答える。
「供述は期待できません。ですが、ログ、資金、実行役供述で、トランを各事案に結びつけることは可能です。」
東は一度だけ頷いた。
「それでいい。」
そして、ホワイトボードの前に戻る。
「供述に頼るな。……あの手の輩は、供述が出たらラッキーくらいで見とけ。まぁ佐藤は理解してたみたいだが……」
東の言葉に、林が苦笑する。
「夢ないですね。」
それを聞き流した東は、ボードに線を書き足す。
各事案からトランへ、そして、そこから先の線へ。
その線は、途中で止まる。
「……東補佐……上役への突き上げはどうします?」
林の問いに、東はチョークを置いた。
「……今回は切る。」
静かな宣言だった。
「ここから先は、別件でやる領域だ。無理して手を伸ばして事件自体を疎かには出来ない。今ある証拠で、取れるところを確実に取る。」
俺はその線を見ながら、小さく頷く。
「……はい。」
悔しさがないわけではないが、それ以上に理解している。
ここで無理に伸ばせば、全部が崩れる。
東がこちらを振り返る。
「佐藤。」
「はい。」
「送致書類を組み始めろ。トランは全件に絡める前提で構成する。抜けがあれば、そこが穴になる。」
「了解です。」
俺は席に戻り、各捜査員が仕上げてくれた報告書や供述調書を精査していく。
大量の報告書を一つずつ、事件ごとの骨格に落とし込んでいく。
林が隣で呟いた。
「でもさ……ここまでやっても、全部は見えないんだね。……組織犯罪の壁は厚いね……」
「……はい。」
俺は精査をしながら、林の問いに答える。
「ただ……見えるところまでは、完全に取れます。」
俺の言葉で、林が少しだけ笑った。
「強気だね。」
「事実ですよ。」
画面の中で、点が線になり、複数の線が重なり、面になる。
その中心には、もう確定した<Trần Thị Linh>という名前がある。
だが、その外側に、まだ影があることに思いを馳せそうになる。
俺は一瞬だけ手を止め、そしてすぐに再開した。
一斉検挙は終わり、供述も揃い始めている。
今は送致書類をまとめることが最優先だと、俺は再度気を引き締めた。




