第4話「仮説」
入校式から数日が過ぎた。
警察大学校での生活は、『特別』であることを日常の細部で突きつけてくる。
男子寮とは名ばかりで、実際には女子寮の一角をオートロックの二重扉で仕切っただけの区画だった。
廊下を歩けば視線が止まり、学習室に足を踏み入れれば会話がわずかに途切れる。
その一瞬の間が、距離を可視化する。
入浴時間は消灯時間後に指定され、洗濯は教官の立会い。
移動時は数歩後ろに必ず、SPの足音が聞こえる。
守られているが、組織の一員として扱われているわけではないことがわかる。
男が入ってきたことで、余計な管理項目が増えたと、その程度の存在なのだろう。
今日は術科の10㎞持久走の日。
整列中、朝倉が横目でこちらを見て言った。
「男の体力ってどんなもんなの?」
朝倉自身は軽口の調子だが、周囲の視線は冗談ではない。
最上は腕を組み、評価者の目で観察している。
姫野は露骨に無関心を装い、干川は興味深そうに口元を緩めていた。
関教場が全員並び終えると、号砲が鳴る。
一定のペースで、最初から無理をしないように気を付ける。
上位グループの後ろにつき、足をためていた終盤で順位を上げる。
結果は6位、42分11秒。
30分台で3人ゴールしていたことを見ると、突出はしていない。
「……こんなものか。」
声のした方に振り向くと、俺の近くに来た最上が、失望とも納得ともつかない声音で小さく呟いた。
最上は30分台でゴールしていた3人のうちの1人。
極端で無い結果は扱いにくいのだろうが、きっと優れていても妬まれ、平凡なら落胆されるのだろう。
どちらに転んでも、中心には入れない。
浮いたままの存在、それが今の自分だった。
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その夜、机の引き出しを開けた瞬間、違和感が走った。
実務法規のまとめノートとUSBメモリ、その2つだけが消えていた。
俺はモノの位置を決めて生活しているため、どこかに忘れたということはない。
部屋を落ち着いて観察すると、財布も時計もあり、衣類や寝具に乱れはなかった。
つまり、荒らされた形跡はなく、その2つを狙われただけだろう。
授業用の整理と、個人的な分析メモを。
寮内での盗難であったため、すぐさま、生活指導担当の教官室へ向かう。
「盗難?」
書類をめくる手を止めず、教官は言う。
「はい。男子区画内の私の自室です。」
「二重扉の内側だな。」
教官の視線が上がると、ひどく面倒そうな顔をしていたことが分かった。
「……前代未聞の男性入校なんだ。……余計な問題は起こさないでほしい。」
その声に感情はない。
「さて、消灯時刻が近づいている。……寮内の規律は最優先だ。」
数秒の沈黙があり、動こうとしない俺を見た教官はため息交じりで面倒そうに言う。
「……君はもう警察官の身分だ。盗まれた蓋然性が高いという客観資料を提示しなさい。……それともう1つ、まず自分で解決する方法を考えたらどうだ。」
そういって教官は、俺に対して目で退室を促した。
手元のメモ等から報告は受理されたと考えていいんだろうが、それ以上は期待できない。
守られているが、守られない状況ならば、言われた通り、自分で処理するしかないだろう。
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居室に戻った俺は、まず侵入可能性を整理する。
男子区画は二重扉で隔離されている。
夜間はカードキー管理がされており、外部からの侵入は現実的ではない。
必然的に、犯行時間は日中の可能性が高くなる。
今日は術科の持久走があり、関教場全員が校庭に出ていた時間帯がある。
移動の動線も、居室から更衣室に行き、そのままグラウンドの流れが多いだろう。
帰りは、グラウンドからシャワー室を経由して、更衣室で着替え、そのまま自教場に動いたものが多いはず。
そこまで考えた俺は、不意に今日が清掃と点検のため、区画の扉は一時的に開放されていたことを思い出した。
そのタイミングなら、関教場以外の内部の人間が怪しくなる。
しかし、そうなると犯意は何だろうか。
金目の物や衣類はそのままで、ノートとUSBだけ持っていくということは、金銭目的や色情盗ではないことがわかる。
男子区画は1人分しかなく、居室の特定は容易だ。
清掃点検で扉が開いていた時間帯に入り、必要なものだけを持ち出すことは十分可能。
犯意が曖昧なら、目的ではなく『客体の処分経路』から逆算する方が早い。
USBはデータコピー、ノートは読むだけなら、いずれ返すか、あるいは処分する。
整頓された部屋を見て、窃取が発覚する可能性は無視できないだろう。
つまり、被疑者の心理として、保持し続ければ発覚の危険があると考えるのが道理。
それなら隠すより、消すほうが合理的だ。
寮内で最も確実に証拠を消す方法とは何だろうか。
俺は頭の中で、校内の施設を思い描きながら時計を見る。
「……あそこで、朝から張るしかないか。……必要なのは、管理側の目か。」
この学校は、男性が守られる場所ではなく、俺の職務的性を測る場所だ。
ならば、こちらはそれを利用する。
翌朝、俺は関の教官室へ向かった。




