第35話「必要不可欠」
水越からの電話が切れた瞬間、執務室の温度が、実際に数度上がったかのような錯覚に陥いった。
明らかに捜査第二課の空気が変わり、停滞していた雰囲気が一気に前に進む確信が、その場にいる全員に伝播していた。
「……浜松のフリーWi-Fi。指示役が少なくともそこに滞在したことは判明しましたね。それに、指示書のPDFも……」
俺が受話器を置くと同時に、背後で東補佐が低く笑った。
「林。」
「はい!」
「今の情報を各署に回せ!被害者若しくは被害者家族に連絡するように指示だ!被害届出させて、各署囲うぞ!」
「了解です!」
林は受話器を掴むや否や、番号を叩き始める。
東は続けて、迷いなく指示を飛ばす。
「佐藤!」
「はい。」
「お前は各署から上がってくる被疑者の人定を全部入管照会だ!飛ばれてたら実行役から話聞けん!合間を見ながら水越技官から届くデータも全部確認しろ!限界まで追いかけろ!」
「了解です!」
「私は課長に報告してくるから!」
東がそう言って関から立つのを横目に、俺は即座に端末に向き直った。
数秒後、水越から庁内メールが来る。
添付ファイルは複数有り、暗号化された通信ログ、指示書のPDF、簡易的なリストデータ、等の参考になりそうなデータが大量についていた。
「……来た」
俺はファイルを展開すると、まず指示書のPDFを開いた。
一見するとただのマニュアルだが、内容は明確に準詐欺の実行手順だった。
「……役割分担が細かい」
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【業務フロー(ホーム班)】
・事前準備(雇用契約)
→求人コンサル経由で留学生としてバイト面接
→採用後一週間はバイトとして勤務
・対象選定(バイト開始後一週間後から)
→独居からホーム入居者/家族面会が無しまたは稀
→支払い遅延等無し
・回収
→最終家族連絡日時から24時間後の散歩時間を狙う
→ホーム内で行う場合は介護主任の休憩時間帯を優先
・回収
→散歩時はチャットで現在地座標を送信
→ホーム内で実施の場合は、チャットで受信した車両番号の車のトランクへ
・注意事項
→同一ホームでの連続実施は禁止(72時間以上空ける)
→苦情が出た場合は速やかに退職(理由は国の家族が急病で帰国する等)
→家族発覚・警察通報の兆候が出た場合、すぐさま金銭返金
→その際に同情的な話(病気の家族が国に居て、手を出してしまった等)
→警察への届出前までに、家族の気持ちが収まるようにひたすら謝罪
>
「……役割分担が細かく……完全なるマニュアル化……もはや会社だ。」
俺は思わず呟く。
採用担当、接触担当、回収担当、等、完全に分業化されている。
「林さん、彼らの手順書見てください。72時間ルールがあります……」
「どれ?…………なるほど。……これならばれても同情を引いて1回で追及されて終わる可能性が高いね。……それに万が一の時は、通報と共有が回る前に逃げてる。」
「はい。それと介護職員の休憩時間帯を狙う等、準詐欺だけでなく窃盗もやっている可能性があります。……こちらは、特養の利用者側の勘違いで済まされる可能性も……」
俺は林と顔を見合わせ、林は顔をしかめた。
「どっちにしても、デザインした奴は、素人じゃないな。」
背後から唐突に東の声が聞こえた。
「東補佐……課長への報告は終わったのですか?」
林の質問に、東は深く頷いた。
「正式に捜査本部を立てるよう指示があった。……それに、佐藤が今見ている組織的な証跡。……もうこれは見逃せないだろう。」
東の言葉に、執務室の空気がさらに引き締まる。
これで結了した相談事案が、捜査すべき事件に成った。
俺は再び画面に視線を落とし、PDFの詳細情報を開く。
作成者欄、編集履歴、他に埋め込まれたメタデータを確認していく。
「……残ってる。」
「何がだ?」
俺の呟きに、東が即座に反応する。
「指示役のユーザー名です。この通りです。」
俺が画面を拡大すると、そこに残っていたのは、アルファベット表記の名前が表示された。
「……T. T. Linh……ね。ベトナム系の女なのは間違いなさそう。」
林が息を呑む。
「入管に回せ。」
「既に|Trần Thị Linh《トラン ティ リン》で照会中です。」
俺が即答した数秒後、端末の画面が更新された。
「お、来たか。早いな」
「登記が見つかったタイミングで、投げていましたので。」
俺は結果を読み上げる。
「|Trần Thị Linh《トラン ティ リン》。ベトナム国籍。技能実習名目で入国、その後在留資格を変更……現在は特定活動扱い。届出住所は愛知県内にで、直近の出入国履歴無し。」
東が低く笑う。
「偽装してないのか。警察を舐めてるな……」
林が腕を組む。
「準詐欺ですから、発覚しても捜査しないと思ってるかもしれませんね。……発覚パターンの指示もありますし。」
「林、トランの情報洗え。それと届出住所には管轄交番から様子見に行かせろ。」
「了解。」
東の指示を聞きながら、俺はログの別ウィンドウを開いた。
「東補佐、トランと設楽署の被疑者との間でやりとりされた中に、トランよりさらに上がいるようなメッセージが残ってます。翻訳結果がこれです。」
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Me「この間の家族が警察に連絡していると施設から聞きました。どうしたいいですか?」16:48:17
T. T. Linh「確認するから待て。」17:02:54
T. T. Linh「金を返還して、ひたすら謝れ。理由を聞かれたら、国に残っている家族が心血管系の病気にかかっていて治療費がと説明しろ。」18:35:41
>
「……供述メモの裏が取れたな。しかも、指示役がさらに上にいる。トランは中間管理職か。そこまで視野に入れるにしても材料が少なすぎるな。」
「はい、残っているデータから追跡可能なものが少なすぎます。トランの身柄を押さえて、所持品を解析するしか無いのでは……」
俺の意見に、林が頷いた。
「そうだね。……これまで明らかになったことを報告書化すれば、トランは逮捕状取れるよ。……身分の隠蔽も行わずに警察を舐めてるんだったら、そのまま検挙しなきゃ!」
林の熱を受け、俺もすぐに応える。
「Linhを軸に叩き、そこから芋づる式に…ですね。……東補佐は各署課長への対応をお願いします。」
東が「ああ。」と短く応じたが、次の言葉は、俺の予想とは違っていた。
「……今は行かない。」
「え?」
東の反応を受け、林が思わず顔を上げる。
「トラン、押さえないんですか?」
東は首を横に振りながら、「今押さえたら、終わりだ」と言った。
一瞬、執務室の空気が止まる。
「どういうことです?」
俺の質問を受け、東は俺の画面を顎で示した。
「見えてるだろ。……これは単発じゃない。連続準詐欺事案だ。今トランの身柄を取ったら、残りが全部散る。検挙できる被疑者数に天地の差がある。」
東の言葉に、林が息を飲む。
「……相談で上がっていて、被害届が取れれば、関連被疑者軒並み一斉にいくってことですか。」
東は「そうだ」と、即答した。
「各署で結了になってる相談、全部事件化する。被害届を起こさせて、全て立件対象にし、トランが持つ犯罪収益を根こそぎ国庫にぶち込んでやる。」
「……数、かなりいきますよ。」
「各署単発の山はむしろ相談時点でかなりの証跡がある。……エコに行けるだろ。そして、トランの検挙には数が武器になる。共犯関係を一斉に行くことで、逃亡や罪証隠滅の防止にもつながる。」
東の目は完全に切り替わっていた。
「それに、課長から共同捜査本部の許可まで得てるんだ。うちが元立ちで進めないとダメだろ。」
その一言で、部屋の温度が変わる。
林が低く呟く。
「各署の統制を取って、全部まとめて、同時に叩く……」
東は机に手を置き、ゆっくりと頷いた。
「各署から1名ずつ専従員を出させる。そして全件同時進行で、トランは指示役として全件に絡める。これで行かないと意味がない。」
俺は思わず口を開く。
「……その分、時間がかかります。国籍が日本で無いなら、飛ばれる危険性も……」
「そんなことは分かってる。最低でも数か月……下手すりゃ一年だ……だが、一日に使える時間を全て捜査に当てればその分早く行ける。………だから…」
言いかけた東の視線が、俺に真っ直ぐに突き刺さる。
「……佐藤、……お前、メンタルが心配なら今ここで離脱しろ。」
これは心配なのか覚悟を試されているのか。
俺は一瞬だけ息を止め、そして、静かに吐いた。
「問題ありません。」
「根拠は?」
東が即答を許さない問いを投げてきたが、俺には迷う理由はなかった。
「私は刑事になるため、警察大学校に入ったので。自分が可愛くて被疑者から逃げるなんてありえません。」
東の口角が、わずかに上がる。
「それに、東補佐の言う通りこの規模の同時検挙でなければ、証拠の連鎖が途切れます。個別検挙では、供述も資金も断片化します。単発で終わらせ、全容解明を目指さないのは、刑事の仕事ではありません。」
数秒の沈黙の後、東は小さく「よし。残れ。」と言い、頷いた。
その一言で、俺は一捜査員として、この捜査の中枢に残ることが確定した。
それからの動きは、早く、かつ重かった。
翌日には、会議室が一つ潰され、即席の捜査本部が設置された。
壁一面のホワイトボードには、相談記録が貼り出され、各署から上がってくる被害情報、人名、時系列、地域等、点だった情報が、物量で押し込まれていく。
「……これ、全部やるんですか。」
思わず漏らした林に、東が苦笑する。
「全部やるんだよ。じゃないと同時にならんだろう。」
机の上には、紙の山があり、電子データだけでは足りなかった様々な資料が所狭しと並び、どれも俺たちの分析を待っているかのようだ。
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さらに3日後の捜査本部。
「共同捜査本部、正式発足だ。二課の補佐、東と言う。皆よろしく頼む。」
各署から選抜された捜査員でいっぱいになった部屋で、東が告げた。
ほとんどが刑事課担当だが、一部地域課員の若手からも招集がかかっていた。
所属も経歴もバラバラだが、視線は同じ、被疑者グループの検挙に向いていた。
「これからやることは単純だ。」
東がさらに言葉を続ける。
「各署で結了になっていた相談のうち、同種事案の準詐欺について対象相談事案がどれかは精査し終わっている。そこから被害届を起こさせ、事件化する。そして……」
東が一拍置いた。
「全部、同時に叩く。一名たりとも先行は許さん。」
部屋の空気が、完全に統一される。
「個別にやるな。絶対に漏らすな。着手は同時刻だ。いいな。」
「「「「「「了解!」」」」」」
低い声が揃った瞬間から、時間の感覚が曖昧になった。
朝と夜の区別は、窓の色でしか分からない。
俺はひたすら端末に向かい続けた。
被疑者の人定照会、在留資格の確認、移動履歴の洗い出し、集まってくるスマホのログと相談記録の突合。
膨大な量のチャットに埋もれながら、全ての事案を時系列に落としていく。
「……西枇杷島の事案、同一のアカウントIDです。」
「抽出して報告書に上げろ。トランの令状請求資料に乗せるぞ。」
会話は短いが、無駄がなく、俺は久しぶりの捜査の雰囲気にのめり込んだ。
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さらに10日後、最初の輪郭が見えた。
「……トラン、全部に噛んでますね。」
俺の画面には、複数事案の接点が重なっていた。
時間、指示内容、チャットアプリのアカウントID等から、完全一致ではないものの、統制の痕跡は明確に見えていた。
「これなら、今時点では4件が指示役で立てられるね。」
そう言って林が頷くと、東は即断した。
「トランは首魁として取る。各署1回の準詐欺事案は各署で抱えろ。……金の流れを捜査するから、動くのはまだ先だ。」
「……はい。」
俺もここで下手に動けば、全てが散るということは、嫌というほど分かっている。
勇み足をして、全て水泡に帰した経験が無いわけじゃない。
俺はここが耐え時だと、必死で証拠品の解析と時系列の整理を続けていった。
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さらに日数が過ぎ、ようやく被害者家族を説得した各署から、被害届が積み上がっていく。
5件、10件、増えていった被害届は合計で18署22件に上った。
「……これ、想定より多いですね。」
「そりゃそうでしょ。今まで結了で見過ごされたやつを、全部掘り起こしてるんだからさ。」
林が吐き捨てるように言うと、俺は画面を見つめながら小さく呟いた。
「……やっと、形になりますね。」
点だったものが、面になり、そして、その中心に『Trần Thị Linh』の名前が鎮座する。
東が静かに「……そろそろだな。」言った。
誰もが理解している。
基礎捜査は終わり、ここから先は着手のフェーズだ。
だがその瞬間、俺はほんのわずかに、トランの検挙に間に合うのだろうかと考えた。
相手は外国籍であり、逃げる意思があれば、消えるのは早い。
在留期限も残り1か月程度であり、この時間をかけるたという判断は、リスクが高すぎたのではないかと。
「……いや」と、俺は小さく首を振った。
このやり方でなければ、全部を取るには、このやり方しかなかったことも、きちんと理解している。
東の声が、部屋に落ちる。
「検察官への連絡が終わり次第、令状請求準備に入るぞ。全件だ。抜けは許さん。…令状請求班以外は、着手までの間、各被疑者から目を離すなよ!」
「「「「「「「「「「了解!」」」」」」」」」」
そして俺たちは、もう、引き返せない段階に入っていた。




