第23話「鵜目鷹目」
水越による刺激的な講義が終わった後の夕暮れ。
俺が手荷物を片付けていると、関と水越が俺を見ながら小声で話しているのが見えた。
気になって目で追っていると、水越と目が合い、手招きをされた。
「…お呼びでしょうか?」
俺が2人の間に立つと、水越は目を輝かせていた。
「じゃあ、関教官、佐藤君ちょっと借ります。……じゃ、佐藤君は荷物持ってこっちに来て。」
水越はいきなりそう言うと、俺を教室の外に誘導した。
撤収作業を進める教室で、朝倉たちが「おっ、呼び出しか?」「絞られるのか?」とニヤついている中、俺は静かに頷き、彼女の背を追った。
案内されたのは、普段俺たちが過ごしている棟とは少し離れた場所にある『警察情報通信研究センター棟』の高度情報解析室と書かれた部屋だった。
ここは、東京都警察情報通信部の情報技術解析課等が、解析業務で使用しているエリアで、一般学生の学生証では入室権限が無い。
入った瞬間、所狭しとサーバーやパソコン、その他証拠品と思われるものが並び、音は静かだが熱量の高い部屋だった。
「座って。コーヒーは……精子の運動量に影響出るんだったっけ……お、ちょうどトマトジュースがあるから、これでいいかい?」
「あ、いえ、ではそれで。」
水越は「おっけー。」と気さくに言いながら、トマトジュースを紙コップに注いで差し出してきた。
水越は俺に対する態度が、講義の時より砕けていて親近感がわいた。
トマトジュースの入った紙コップを手に取ると、わずかにひんやりとした感覚が掌に伝わった。
「…ありがとうございます。」
俺は一口だけ飲むと、紙コップゆっくり机に置いた。
水越は渡した途端、俺には目もくれず、3枚並んだマルチモニターの前に陣取った。
画面には、先ほどの演習データとは比較にならないほど膨大で、濁流のように流れるログとバイナリデータの羅列が表示されていた。
「さて、佐藤君。わざわざここに連れてきたのは、君の事件屋としての『鼻』を信じてのことだよ。……これを見て。」
水越がキーボードを叩くと、あるHDDのBitlocker複合キー入力画面が表示された。
「現在進行形のあるグループ犯罪の証拠品。詳細は割愛するけど、これが首魁のPC複写したもの何だけど、Bitlockerの複合キーが分からないの。……正直手詰まりで困っているんだ。」
水越は椅子をくるりと回転させ、試すような視線を俺に投げてきた。
「ブルートフォースとか、実機で起動するとかはダメなんですか?」
「無理ね。複合キーの桁数は48桁で天文学的な組み合わせだから……実機起動も同じ。TPMのアンチ・ハンマリング機能が生きてる。数回間違えれば完全にロックされて、48桁の回復キーを入れない限り、2度とパスワード入力すら受け付けない石板に変わっちゃうんだよね。」
水越は自嘲気味に笑い、空の紙コップをデスクに放り出した。
「それに、チェーン・オブ・カストディの観点からも実機での解析は許されない。我々が実機に細工して出力した違法証拠だって、弁護士が騒ぐだろうからね。」
水越は深い溜息をついた。
「……技術でこじ開けるのは、100%不可能。それが今の結論。」
「……水越さん。このBitLocker、設定されているのは自動生成の回復キーではなく、ユーザー設定の『スタートアップ・パスワード』ですね?」
「ええ、その通りよ。英数字と記号の組み合わせ。……だからこそ、総当たりは絶望的。本人の『パスワードの癖』を見抜くしかないんだけど……」
そう言った水越が、俺の顔を真っすぐ見つめた。
「どう?どんな素人考えでも良い、何かアイデアがあれば言ってみて。」
「……そうですね。……被疑者自身をトレースしたいです。捜索差押え時の部屋の写真や、この首魁の供述調書等を見せていただくことは可能でしょうか?」
俺の回答を受け、水越がマルチモニターの1枚に、家宅捜索時に撮影された現場写真のインデックスを、もう1枚に被疑者の供述調書のPDFを映し出した。
「これでいいかい?私もそれなりには見たけど、ここからヒントは特に感じなかったかな。」
俺は試されているんだという思いを感じたが、心拍数はむしろ落ち着いていた。
前世で何度も通った、あの泥臭い捜査の領域に足を踏み入れたからだ。
俺はトマトジュースを一口啜り、モニターに顔を近づけた。
デジタルデータの羅列ではなく、写真に写り込んだ生活の澱を検分する。
「……水越教官。」
「教官は不要だよ。」
「では、水越さん。……この首魁、身上調書が妙ですね。」
そう言って俺はモニターの一部を指さした。
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私に家族と呼べるものは血のつながっていない花屋のお婆さん一人だけとなります。
幼いころに2人の姉と母が事故で同時に亡くなり、近所のお婆さん私を引き取って、花屋をやりながら育ててくれました。
私としては、彼女を本当の祖母だと思っています。
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定職には付いていませんが、祖母の花屋を手伝うのは好きで、祖母が身体を悪くし、入院するまでは偶に手伝うことがありました。
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趣味はありませんが、祖母に長生きしてほしいという願いを込めてアーティフィシャルフラワーを手作りすることがあります。
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「どこがおかしいんだい?私には、ハートフルな家族模様にしか見えないんだけど。」
水越は素直にそう言った。
俺はすぐには答えず、もう一度だけ調書に目を落とした。
「……違和感、というほどのものではありません。ただ、噛み合っていない点がいくつかあります。」
「噛み合っていない…というのは?」
「ええ。まず一つ目。祖母の花屋が好きだと言いながら、関わり方が手伝いに留まっている点です。」
水越の視線が、わずかに調書へ戻る。
「……ああ、確かに。好き、と言っている割に距離があるね。」
「はい。この部分、決定的ではありませんが、主体的に関わっていない印象があります。」
俺は一拍置いた。
「二つ目ですが、『長生きしてほしい』という願いと、贈っているものの性質が一致していません。」
「性質っていうのは?」
「アーティフィシャルフラワーです。枯れない花。」
俺の答えに水越は少しだけ首を傾げる。
「それの何が問題なんだい?」
「問題、というより……選択として不自然さがあるという感じですね。」
俺は言葉を選びながら続けた。
「生花店を営む人間にとって、花は枯れるものです。だからこそ扱う価値がある。……その環境で育った人間が、長く生きてほしいという願いに対して、枯れないものを選んでいる。」
俺は一度、視線を上げる。
「……これは少し、方向性が違うと思います。」
水越の表情が、わずかに変わった。




