第21話「五里霧中」
3年に上がっての最初の講義室は、席に着いた瞬間、空気が違うと分かった。
左胸の階級章が、銀線三本になったことへの責任感から来るものなのだろうか。
二年までは評価は内部で完結し、失敗もまた内部で処理されるところから、閉じた空間だった。
しかし今は、そこから一歩も二歩も進み、教場内の誰もが無意識に、現場を意識している。
教官の視線も変わり、教える者から値踏みし、容赦なく篩にかけるという視線に変質していた。
「静かに。」
関の一声で、教場が引き締まる。
「まずは昇任おめでとう。これで君たちは現場に出ずして初級幹部となった。」
現場に出ずしてという部分が強調され、皆の意識が一層真剣なものになった。
「本日から三年次課程に入る。これまでの基礎教育を前提として、より実務に近い講義を行う。皆も知っている通り、今年度後期から実務修習が始まるからな。」
関が教場をぐるりと見回す。
「そこで、本日の講義は、サイバー局の出向技官に担当頂く。」
わずかなざわめきは、現場の解析を担う部署の現役解析官に指導を貰えるという期待の表れだ。
「どうぞ。」と関が扉が開くと、細身で眼鏡をかけた女性が入ってきた。
背筋が伸びたまま教壇の前に立つと、「水越千早。技官です。」と、簡潔に名乗った。
肩書きの説明もなければ、愛想もなく、視線だけが、教場全体を一度なぞる。
「では、後はお任せしますので。」
そう言って関が教場の後方に移動した。
「では、時間がないので早速始めます。」
水越はそう言って、すぐに端末を操作した。
その瞬間、目の前の端末のデスクトップに新しいファイルが作成された。
「あなた方は某署交通課の要請により、ある人物のスマホデータの解析依頼を受けました。その人物が飲酒運転による交通事故を起こしたことを、午後の講義開始までに証拠化してください。」
淡々とした声。
「各班がチームという扱いで、取り組んでください。なお、データの破損等の質問は一切受け付けません。終わった班から報告を……それと、これは実戦演習です。」
説明はそれだけで、問題の意図も正解へのプロセスも提示されない。
まさしく実務、意外の何物でもない。
周囲が一斉に端末へ視線を落とす中、朝倉が、すぐに反応した。
「担当割り振りだけしよう。このスマホデータ、サイズが500GB超えてる。」
「500GB……フルバックアップか。確かに分担しないとやばいな。」
俺は朝倉の言葉に頷き、まずはファイルシステム全体のインデックス作成をバックグラウンドで走らせた。
教場内には話し合いの声と、キーボードを叩く音が相互に響き、異様な盛り上がりを感じる。
これまでとは雰囲気の違う現場の訓練に、皆が高揚しているのだろう。
「干川、ヘルスケアの移動履歴を抽出して。朝倉、通信ログとWi-Fiの接続履歴を頼む。横峯と最上はメディア解析とWeb履歴を洗ってくれ。俺は、メッセージやSNS関連を確認する。……姫野は俺のサポートをしつつ、全体のタイムラインを統合してくれ。」
俺の指示に、一瞬だけ姫野が不快そうに眉を動かしたが、水越の視線を感じたのか、すぐに作業に取り掛かった。
キーボード音が班員の間で響くと、断片的な情報が、次々と浮かび上がる。
「ひとまず、車のヘッドライトが割れたとこを撮影した写真あったよ!」
そう言って横峯が画像を見せてきた。
「よし、じゃあこの時点の周辺で飲酒運転の証跡を探そう。」
朝倉が快活に声をあげ、皆が頷いた。
作業からしばらく経つと姫野が立ち上がった。
「皆、はいこれ。」
そう言って姫野が共有フォルダのタイムラインをまとめるエクセルを指さした。
<事故前日の18:32:19、友人グループチャットから『明日、飲まない?』と連絡有り。>
<19:44:45に被疑者が『了解。19時に駅前いくねー』と返信。>
「姫野、確認した。……でも、これだけじゃ実際に被疑者自身が酒を飲んだかは分からない。」
「そんなこと、分かってるけど。」
姫野が悔しそうに画面を睨む中、続いて干川が声を上げた。
「歩数データと移動距離、出た! 19時すぎに数百メートル移動して、4時間停滞。その後、数百メートル移動。」
「場所は特定できるか?」
「出来てない。ロケーションはまだ見てないから。」
その時、朝倉がエクセルにBluetooth接続履歴を追記をした。
<
Bluetooth接続履歴より、車のスピーカー接続切断時刻 19:00:12
Bluetooth接続履歴より、車のスピーカー再接続時刻 23:09:28
>
俺は自分のモニターに表示された、Bluetoothの接続履歴を凝視した。
19時に切断。そして深夜1時に再接続。
飲酒前後で車にいた事実はあるが、肝心の飲酒そのものを立証する直接証拠がない。
俺はさらにメッセージを確認すると<いまここ>というメッセージに、駅前の駐車場の写真が添付されていることに気付いた。
それと同時に最上が「駐車場の画像あったよ。」と言い、エクセルを更新する。
<ゴミ箱フォルダより、駐車場の撮影画像有。 Exif情報より被疑者端末での撮影確定。撮影時刻 19:00:39>
俺もメッセージの送信時刻を確認し、エクセルへ追記した。
それと同時に、朝倉がWi-Fi接続履歴を追記する。
<新規AP検出時刻 19:04:58 SSID『Bar_Bill_Free』」>
「朝倉、このSSID、拾えるか?」
「WiGLEでならいけるけど、精度は保証できないよ。」
「構わない。座標だけ出せ。」
俺が指示を出したと同時に、横峯が声を上げる。
「飲み会中の時間で、被疑者のSNSへのアクセスがあるよ!見てた投稿のキャッシュは残ってないけど。」
<19:26:48 被疑者端末からSNSの投稿を閲覧>
「見てたアカウントは分かるか?」
俺の質問に対し、横峯がすぐにエクセルを更新することで、回答する。
<19:26:48 被疑者端末からSNS(USER=IHSOKchyUZIM)の投稿を閲覧>
「何か、違和感のあるアカウント名ね。」
姫野が何気なく呟いたが、それに最上が反応する。
「そんなことより!これじゃ立証できない!酒を飲んだ直接の証拠がない!」
最上の声には焦りが混じり、教場の他の班からも諦めの空気が漏れ始める。
そんな中、俺は不自然なアカウント名である『IHSOKchyUZIM』を見つめながら、水越の冒頭の指示を思い出していた。
「アナグラム……それに、実戦ってことは、もしかして……」
水越が求めているのは、模範解答じゃなく、事件を終わらせるための成果だ。
ならば、この空間にに縛られている時間は終わった。
俺は、教官から禁じられていない有るモノにカーソルを合わせた。




