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男女比1:96の世界で、女性だらけの警察大学校に男一人で入学しました(1/96前日譚)  作者: Pyayume
二年目「梁山泊」

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19/19

第19話「共犯者」

消灯時間を30分後に控えたいつもの非常階段は、吸い込まれるような闇と静寂に包まれていた。


俺は普段通り踊り場の影を利用し、身を潜めながら一本のタバコを指に挟んだ。


ライターの火が一瞬だけ暗闇を照らす。


メンタル健診の度に医師からはタバコの臭いについて指摘されるが、辞めるつもりは毛頭無い。


喫煙は精子濃度が落ち、正常形態率が落ち、DNA断片化によって着床率が下がり、胚の発育停止率が下がる。


そう言う事実があることを、プログラムの受講をしなかった『生意気な国家資源』である俺に、医者が検査のたびに説いてくる。


男性の禁煙が推奨されていることは分かりつつも、辞められない煙を肺の奥まで吸い込み、ゆっくり吐いた。


白い煙は階段の暗闇に溶けていく。


今、この瞬間の俺にとっては、ただの一服だ。


肺を焦がすこの不快な煙が、自分が佐藤悠真という一人の人間であり、かつて泥にまみれてホシを追った刑事であったことを思い出させてくれる。


紫煙が夜風に溶けるその時だった。


螺旋階段の下から、規則正しく、かつ極めて重心の安定した足音が響いた。


SPの足音ではなく、もっと軽やかでそれでいて隙のない歩法に感じる。


「……変ね。微かに、燃焼臭がする……それに、少しだけミントのような、清涼剤のような臭いも。」


凛とした声が闇を切り裂く。


この声の主は、同じ班員の姫野だ。


警備局志望で、教場一の観察眼を持つ女性であり、俺を嫌悪している。


姫野は踊り場で足を止め、スッと鼻を動かした。


空気の揺らぎ一つから、違和感を抽出するかのような動きだ。


それを見ていた俺は壁に身を寄せ、吸い殻を揉み消そうとした。


だが、彼女がここまで登ってくれば、この残り香を誤魔化す術はない。


俺を嫌悪している姫野が教官に何と報告するか分からない。


このままでは、喫煙所で吸って好奇や嫌悪の視線に晒されることを面倒がっていたせいで、要らぬ誹りを受けてしまう。


そうなれば、ようやく見つけたこの喫煙場所オアシスを失ってしまうかもしれない。


「よりによって、一番面倒なやつに……腹を括るか。」


そう思った瞬間、別の足音が階段を駆け上がってきた。


「姫野、こんなところで何してるの?」


明るく、それでいてどこか芝居がかった声。


この一年強、一番聞いたと言っても過言ではない横峯の声だ。


彼女は姫野の進路を塞ぐように立ち、わざとらしく大きな動作で自分の首筋を撫でた。


「横峯…どいて。上の踊り場から異臭がする。確認する必要があるわ。」


踊り場からそっと様子を伺うと、姫野の視線は鋭いが、横峯は動じていなかった。


横峯はポケットから小さな小瓶を取り出すと、わざとらしくその蓋を開けた。


「異臭…?ああ、私がさっきこれを使ったせいじゃない?…ミント系で独特な香水。ほら、結構キツいでしょ?」


瞬間、強烈な爽やかさとどこか異国感溢れるの香りが階段を満たした。


俺のメンソールによく似た芳香で、最初の発香源はすっかりどこが分からなくなった。


姫野は眉を顰め、ハンカチで口元を押さえた。


「……佐藤を探しているなら無駄だよ。さっき、自販機辺りでSPと話してたの見たよ。こんな場所に来るはずないじゃん。」


姫野の視線が、横峯の掲げる小瓶と、その背後の暗闇を交互に射抜く。


姫野は、目の前の状況が作り物だと勘付いているはずだ。


だが、鼻を突く強烈なミントの芳香が、わずかに残っていた確証を物理的に削り取っていく。


「……横峯…不快だわ。その趣味と……それから……」


姫野は一度、俺が潜む踊り場の方へ視線を向けた。


一瞬、お互いの視線が交差したかのような錯覚に陥る。


姫野の瞳には、疑念を超えた嫌悪が宿っていたことは間違いない。


「……規律を乱すノイズも。警察組織を腐らせるのは、いつだってそういう個人的な情実よ。」


姫野はそれ以上追及することなく、踵を返した。


姫野にとって、この場にある違和感は確認すべき対象ではなく、単に生理的に受け入れ難い不潔な物として処理されたらしい。


規則正しい足音が遠ざかり、完全に消えるのを待ってから、俺は影から姿を現した。


横峯はまだ小瓶を握ったまま、震える手で自分の首筋をなぞっていた。


「……横峯、助かった。……そんな香水よく持ってたな。」


「……これ?佐藤が吸ってるメンソール、試す勇気が無い時に買ったんだ。……同じ匂いを纏ったら、ちょっと近づける気がして。」


横峯が振り返ると、顔色は青白くなっていたが、瞳には異様な高揚感が滲んでいた。


「佐藤が前に私を助けてくれたから……、今日のはその借りを返しただけ。」


そう言って横峯は一歩、俺との距離を詰める。


まだ残る強烈なミントの香りが、俺の指先の臭いと混じり合い、メンソールの香りで檻を作り出した。


「まだ、借りを返し切れてるとは思わないけどね……少なくとも、佐藤が信頼を置ける仲間では有りたいと思ってるから…」


横峯の照れくさそうな笑みが、ミントの残香の中で揺れている。


仲間という言葉を使った横峯だが、その瞳の奥にあるのは、逃げ場のない執着に見えた。


「……仲間か。横峯には俺の方が助けてもらってるよ。」


そう言って俺は携帯灰皿をポケットの奥へ押し込んだ。


「そんなことないって、……まぁ、佐藤がこの場所を失わずに済んだなら、それでいっか。」


横峯はそう言って、満足げに自分の腕に残るミントの香りを嗅いだ。


「……戻るか。もうすぐ消灯時間だ。」


「そうだね。」


俺と横峯の足音が、静まり返った非常階段に重なる。


一階下りるごとに、強烈なミントの香りが薄れ、代わりに無機質な寮の廊下の匂いが近づいてくる。



特に話すこともないまま、男子寮の二重扉の前で、横峯が足を止める。


「おやすみ、佐藤。……また明日ね。……いい夢見れるといいね。」


そう言って横峯は八重歯を覗かせた。


俺は「おう、おやすみ。」とだけ返し、居室へと足を向けた。



独りの部屋で、俺は自分の指先を嗅いだ。


ミントと、わずかなニコチン、そして、横峯が強引に植え付けた共犯の印。


思い出すのは、先程の一瞬の視線の交差。


姫野は間違いなく、俺がそこにいたことを確信していた。


それでも彼女が踏み込んでこなかったのは、規律よりも、目の前で展開された醜い人間関係への拒絶が勝ったからなのだろう。


警察組織を腐らせる個人的な情実、と姫野吐き捨てたその言葉が、暗い天井を見つめる俺の脳裏に響く。


刑事になるため、この教場で生き残り続けるには、それさえも利用しなければならないと考えてしまう自分に、俺は強い嫌悪を覚えた。

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