第11話「違和感」
2年目の初日、関教場の空気はわずかに変質していた。
視線は相変わらず俺に集まるが、入校時の視線とは明らかに違う。
好奇でも、露骨な値踏みでもなく、俺の資質を測る視線だった。
教卓の前に立った関教官は簡潔に告げる。
「さて、君たちは本日より2年生だ。座学ばかりの基礎は、漏れなく身についているはずだ。ここからは使える人間かどうかが評価基準だ。」
一瞬、教場が静まり視線がこちらへ流れる。
「知識とは、正しい思考により、正しい判断を導くためのものだ。だが、知識の入出力が出来ても、自身の思考に活用できなければ意味が無い。将来のため、思考パターンの引き出しを増やすのが2年生の本文だ。」
関の言葉に、皆が唾をのみ込んだ。
今年度も俺の席は変わらず、制度も変わらない。
一定距離を保つSPに、週一回のメンタル検診。
だが、空気は違う。
「今年も首位、維持できる?」
朝倉が顔を覗かせながら、相変わらず軽い声音で話しかけてきた。
「維持するものじゃない。自己研鑽の成果が勝手に現れるだけだ。」
「相変わらず、国家資源のかけらも感じないねー。」
去年なら、周囲は笑い半分で俺を見ただろうが今年は違う。
干川莉子が机に肘をつき、相変わらず距離を詰めてくる。
「ねえ佐藤。今年も我が班の戦力で、よろしくね。」
「無論、そのつもりだ。」
干川の視線が一瞬だけ揺れる。
男は希少資源で守られ、消費される存在であるという前提が、わずかに軋んでいる。
俺の耳に資料をめくる音が聞こえた。
「机上評価は去年までだから。今年は実務想定が増える。」
最上が視線を真っ直ぐ向けて、続ける。
「机上の王様で終わるなら、今年で崩れるからね。」
明確な宣戦布告に込められた、純粋な競争心。
様子を見ていた姫野は腕を組んだまま、短く言う。
「どっちも結果で示せばいい。それだけでしょ。」
昨年度よりも嫌悪は薄れていたが、冷たい態度は相変わらずだった。
隣の横峯は話を聞きながら静かにノートを開いている。
視線が合うと、わずかに頷いた。
「今年は、自分の言葉で考えたいって思ってるんだ。」
唐突な宣言だった。
「去年は、佐藤からの借り物だった気がする。」
「分かった。今年は1聞かれたら1だけ返すようにするよ。」
横峯の顔に苦笑いが浮かぶ。
「ありがと、厳しくて助かる。」
「対等な関係だからな。」
一瞬だけ、横峯の表情が、真剣な戦う者の目に変わった気がした。
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午前の講義はより実践的な法適用の討議で、想定事例から幹部の立場として、『どのような指示を出すべきか』という考えをまとめていく形式だ。
想定は組織的違法風俗店の取締りについて。
男性をセラピストとして接客させているという噂が立つ風俗店。
店の営業形態自体は一見合法のマッサージ店として届出が出されている。
店員は複数人で周囲を警戒しており、紹介制のため証拠薄弱の状態。
関教官が教卓に指を置いた。
「さて。違法風俗店の疑いがある。だが証拠が無い。この場合、警察として最初に考えるべきことは何だ?」
素早くノートをめくる音がする中、最初に手を挙げたのは朝倉だった。
「ここは、変装してバイト応募とかでの潜入捜査が必要だと思います。」
関は首を横に振る。
「男性を違法で働かせている店だ。身分確認は徹底しているだろうから、捜査員が働き手として潜入するのは現実的ではない。かなりの数の国家資源関連法に抵触するからな。」
「では、男性警察官が従業員として面接するというのは。」
教場の視線が一瞬こちらに集まる。
「それもあり得ない。佐藤以外に使えない手法など、考慮する意味が無い。」
関の回答に朝倉は少し不服そうに席に座った。
その様子を見ていた干川が手を挙げる。
「女性客として潜入するのが、オーソドックスな捜査手法ではないでしょうか。」
「それも一つの手段だ。しかし今回の条件では成功率が低い。」
関は黒板に三つの言葉を書いた。
<
周囲の警戒が強く、監視カメラでの録画
年齢確認名目で、身分証提示の可能性
一見さんお断りの紹介制店舗経営、証拠薄弱
>
「想定に書いてある通り、ここが潜入の問題点だ。さてどうする?」
教場が静まり返る中、手を挙げたのは最上だった。
「周辺からの聞き込みや、こちらもカメラを使っての張り込みです。男性の出入り確認や、出てきた客から聴取をします。」
「悪くないが時間がかかる。国家資源毀損の可能性がある以上、緊急性を考慮すべきだ。」
関の視線が教場を一周した後、俺へと向いた。
「佐藤。男性被害者の気持ちに寄り添える君なら、緊急性が理解できるだろう。……一体どうする。」
少し低い声に、教場の空気が少し張り詰める。
「はい。……私であれば、違法風俗としての立証を諦めます。」
俺の回答に数人が息を呑んだ音が響き、関が眉をわずかに上げる。
「……続けろ。」
「緊急性が高いのであれば、営業形態を直接立証する必要はありません。店舗という空間で行われた他の被疑事実を探します。」
俺はそう言いながら、小さく咳ばらいをした。
「例えば、廃棄物処理法、消防法、建築基準法、労働安全衛生法……店舗の扉を開ける方法はいくらでも有ります。」
朝倉が「出たよ。暴論、法の網。」と小さく笑ったのが聞こえた。
「男性に性接待をさせているという犯罪事実は、最終的に明らかになれば良いだけです。店舗の錠を開ける鍵ではありません。」
俺は皆の視線を受けながら、さらに続ける。
「そうであれば、入口は別に作れます。……例えば、医療廃棄物。」
教場が一瞬ざわつくが、関が腕を組みなおした。
「理解が追い付いていない者がいる、説明を続けろ。」
「男性セラピストを接客させているなら、医療行為に近い処置が行われている可能性があります。……もし使用済み注射器や薬剤が通常ゴミとして廃棄されていれば。」
俺は、黒板の<証拠薄弱>の部分を指す。
「廃棄物処理法違反で捜索差押、つまり強制処分が可能です。」
干川が思わず口を開く。
「え、それで店に入れて、証拠が押収できるっていうの?」
「廃棄物処理法違反の捜査であれば、店舗全体の廃棄物管理状況を確認する必要があります。……つまり、営業実態の把握のため、レジも、バックヤードも、電子端末も、営業記録も確認対象です。」
関教官が静かに頷くのを見て、最上が悔しそうな表情を浮かべる。
「男性が捜索の範囲外だったら?」
姫野の短い問いかけに、教場が静まり返る。
「もし男性が居る場所が範囲外である場合はシンプルです。警察官職務執行法第六条第一項を理由に、そこに入ります。」
関教官の目がわずかに細くなった。
「救助のための立ち入り、だな。」
「はい。」
「被害者の生命身体に危険があると合理的に判断できれば、令状が無くても立ち入りが可能です。」
俺が言い終わると教場内に沈黙が落ちた。
「怖。」と、朝倉がぽつりと言った。
干川が「店、終わるね。」と、苦笑する。
最上の表情が険しいままだが、関が整理する。
「佐藤の判断は、廃棄物処理法違反で令状取得、捜索差押で店舗侵入。男性被害の可能性が出れば警職法で救助。結果として違法風俗の証拠は押収でき、国家資源も保護出来る。」
「はい。纏めていただいた通りです。」
教場が静まり返り、関教官はゆっくり振り返る。
「良い思考だ。」
関は、そう言ってチョークを置き、教場全体を見回した。
「皆、覚えておけ。……犯罪の形だけに囚われるな。どうすれば最も被害を最小限に抑えられ、かつ迅速に対処が出来るか。それを常に考えることだ。」
その言葉に、誰も声を出さなかった。
横峯だけがノートを見つめながら、小さく呟いた。
「形に拘らない……か。」
その横顔は、さっきより少しだけ険しかったようだが、その時の俺は気づかなかった。
遠くでチャイムが鳴り、午前の講義は終わった。
今日から二年目が始まり、相変わらず俺の後ろにはSPが立ち続けている。
男は守られる存在、それがこの世界の前提だ。
だが、教場の空気は、確かに変わり始めていた。
朝倉は軽口を叩き、干川は距離を詰めてくる。
姫野は相変わらず冷たいが、露骨な嫌悪は減った。
最上はまだ俺を認めないが、議論は正面からぶつけてくる。
そして横峯はノートを開きながら、携帯を見て、机の上に置いた。
孤立は消えていないが、感じる時間が減った気がする。
国家に守られる存在が、刑事になれるのか。
そう考えていた矢先、机の上に横峯の携帯が震えた。
横目で見えた通知画面には、<仕送り増やせないの?>という文字が見えた。
彼女は画面を見て、ほんの一瞬だけ表情を固めた。
そしてすぐに伏せる。
「……大丈夫か。」
俺の問いに、横峯は笑った。
その笑顔は、いつもの笑顔に見えたが、どこか嚙み合わない表情だと俺は感じた。
「大丈夫。ちょっと家のことで…」
ペンを握っている横峯の指先が、わずかに震えている。
それは、困っているというよりは、何かを必死で耐えているように見えた。
机の上で伏せられた携帯の画面には、未読の着信が三件。
横目で見ると、すべて横峯の実家からだった。
二年目は、まだ始まったばかりだった。




