「短歌部に入部しました」
翌々日の金曜日、私は放課後にまた短歌部の部室を訪れていた。初日に胸に抱えていた緊張感の代わりに、手に一枚の紙を持っていた。扉をノックすると中から三上の応答が聞こえた。
「こんにちは」
「やあ朝倉さん、こんにちは」
部室の中には三上だけがおり、二年生二人の姿はなかった。人懐っこい木暮が不在であることに少し不安を煽られつつ、手にした紙をぐっと握り締める。
「三上先輩、あの、これをお願いします」
尻すぼみになりそうな声をぐっと振り絞り、紙を差し出した。紙の上部には入部届と書かれている。
入部には少し迷いもあった。昨日の晩、入部届の紙を前に悩んだ時間は一時間近かった。それでも、そんな自分が短歌部でなら少し変われるのではないかと期待していた。
「おお!入ってくれる気になったか。ありがとう」
三上が声に嬉しさを滲ませつつ、笑顔を浮かべ入部届を受け取ってくれた。これで正式に短歌部の一員になった。
そのタイミングで背後の扉が開かれた。振り返ると遅れていた二人が立っていた。
「こんにちは!」
「こんにちは」
「おっ、朝倉さん、今日も来てくれたんだ!」
二年生組に軽く手を上げて挨拶を返した三上が、手に持った紙をぺらりと見せながら木暮に答えた。
「それだけじゃないぞ。朝倉さんはこの部に入部してくれることになった。今入部届を受け取ったところだ」
その言葉に木暮はパッと顔を綻ばせると、私の手を掴んで上下にブンブンと勢いよく振った。
「ありがとう、朝倉さん!これからよろしくね」
「ようこそ、短歌部へ」
藤原も木暮に比べると数段控えめながら歓迎の言葉を口にしてくれた。木暮の歓迎の勢いはそれでは止まらなかった。
「私のことはひよりって呼んでいいからね!朝倉さんだとよそよそしいから、しずくちゃんでいいかな?」
手を握ったまま真っ直ぐに目を見つめたままそんなことを言われてしまう。目を逸らすわけにもいかず、静かに頷くしかなかった。
「ありがと、しずくちゃん!」
「入部早々あんまり困らせるなよ」
横に立つ藤原からは呆れたような声が届けられるだけで、助け舟はなかった。
パンっパンっと手を叩く音が響いた。ひよりから手を離され、振り返ると、三上も藤原に似た表情を浮かべて立っていた。
「藤原の言う通りだぞ。気をつけてくれよ、木暮」
「はーい。ごめんね、しずくちゃん」
「呼び方は決まりなんだな…まあ、それは良いがせっかく入部してくれることになったんだ。今日は短歌部らしい歓迎の会といこう」
三上が藤原に目配せをすると、藤原は自分の荷物を置いた後、全員に短冊を配った。私も含めて。
「先輩三人は朝倉さんを歓迎する歌を詠む。朝倉さんは、なんでも構わない、何か歌を詠むことに挑戦してみよう。初めてだから上手であることは求めてない。自分でも歌を読めるという体験をすることが目的だ」
そう言って三上は全員の顔を見た。その中に自分が含まれていることに少し嬉しさを覚える。
「じゃあ、みんなができたところで声をかけるから、少し作業の時間にしようか。朝倉さんは分からないことがあれば、俺でも木暮でも声をかけてくれて構わないからな」
三上がそう告げると、全員が静かに席につき筆記用具を取り出し始めた。私も少し遅れて、ひより先輩の横に座った。
正直いきなりの展開に面食らっていた。目の前に置かれた短冊状の紙をじっと見つめる。ポスターで見たような、あるいは先輩たちが作ったような、あるいは高橋先生が紹介していたような短歌が作れるとは思わなかった。そういうことが期待されているわけでもないとはわかっていたが。
静かな部室の中で入学してからのことを思い出す。短歌部のポスターに出会ったこと。体験入部で刺激を受けたこと。その中で自分が少し変われる気がしたこと。
そんなことを考えながら、なんとか言葉を繋ぎ止めて初めての短歌を書きつけた。ふっと一息ついて顔を上げると向かいに座った藤原と目があった。驚いて視線を逸らすと、三上もひよりもこちらを見つめていたことに気がついた。
「しずくちゃん、とっても集中していたね。見学終了のチャイムが鳴ったの気がついてなかったでしょう」
「初めてで、それだけのめりこめるのはすごいことだな。朝倉さんもできたようだし、みんなで発表の時間としよう。今日は俺から行くぞ」
–––––新しきことに挑めるこのときに歌に出会えた君を迎える
「部長、この間の歌引きずってますね」
「一貫していると言ってくれ。そういう木暮はどうなんだ」
–––––桜舞う日に君と会うこの春を奇跡みたいでありがとうって
「ひよりは相変わらずだな」
「ギリギリ歓迎の歌ということで次に行こう。じゃあ次は藤原だな」
–––––校舎端日差し差し込むこの部屋で友を迎える嬉しき春
「藤原はやっぱり素朴でいい歌を作るよな」
「ありがとうございます」
「我々からの歓迎の歌はこんなところだけど、朝倉さんには気持ちが伝わったかな?」
紙を貼り終えた三人から見つめられてしまった。少し緊張しつつ素直な感想を口にする。
「あの、とても嬉しいです」
「そうか、それなら良かった」
ほっと胸を撫で下ろすような仕草を見せる三人に疑問を抱いて見つめていると、藤原から答えが明かされた。
「実は新入生が納得しなかった場合は、納得するまで歌を作り続けないといけないんだ。去年はもう卒業した先輩が、ひよりの恋愛脳につかまって大変だった」
「哲平、そんな言い方しなくてもいいじゃん!」
「今回のお前の歌も歓迎の歌として見ると微妙なところじゃないか?」
「しずくちゃんがいいって言ってるんだからいいでしょ!」
藤原とひよりが言い合いを始める。いつの間にかその光景も見慣れたものに思えるようになっていた。暖かい目でそのやりとりを見ていた三上が、顔をこちらに向けるとそっと告げた。
「それじゃあ、朝倉さんの作った歌も発表してもらおうかな。どんなものでもバカにしたりする人はいないから、安心して欲しい」
その言葉を信じて、緊張に震える胸を押し隠しつつ紙をホワイトボードに貼り付ける。
「私の作った短歌はこれです」
–––––春の日に言葉に出会い人に出会い育っていきたい私は新芽
「ほお」
三上が一つ息を漏らしたきり三人とも黙ってしまうので、緊張に固まってしまう。しかし、自分から感想を求めることなどとてもできなかった。
一瞬にも一時間にも思える沈黙の後で、ひよりが口を開いた。
「しずくちゃん、とっても素敵だと思うよ」
「ああ、少なくとも去年の俺たちよりはずっといい」
「うん。いい歌だと思う。あのポスターに惹かれるだけあって、言葉に対する感受性は確かなものがある気がするな」
三人が口々に褒めてくれるので、緊張から一転、一気に恥ずかしさに身を包まれてしまう。しかしその恥ずかしさがどこか心地よく思えた。自分の気持ちを知ってもらうことの嬉しさも初めてわかった。言葉にしたことで、自分の中にある気持ちがはっきり形を得た気がした。
「初めての歌も発表できたことだし、朝倉さんは短歌部の一員として胸を張っていい。改めて、これからよろしく」
「よろしく、しずくちゃん!」
「よろしく、朝倉さん」
「よろしくお願いします」
緊張していた高校生活だったが、これからはきっと良いものになる。そんな気がした。
この晩、SNSの投稿数はもう一つ増えた。
「短歌部に入部しました」




