初めての吟行
夏休みのある日私たちは学校を離れ、観光地近くの宿の前に来ていた。穏やかな町の雰囲気に馴染んだ、歴史を感じさせる建物だった。
「着いたな。ここが今回の合宿の宿舎だ」
三上が言う通り、短歌部の部員四人に顧問の高橋を加えた五人で合宿に来ているのだ。
男女で別れて部屋に入り、荷物を下ろした後、三上たちのいる男子部屋へと向かう。男子部屋でもすでに荷物を下ろし、私とひより先輩を待っていた。
「よし、みんな揃ったな。それじゃあ、高橋先生、今回の合宿についての説明をお願いします」
「はい。みなさんには簡単に説明してありますが、今回は吟行に挑戦してもらおうと思います。吟行は名所などに出かけてそこで目についたものから歌を詠むことですネ。普段は部室で歌を作ることが多いと思いますが、ここの周りには寺社や庭園などがあります。これから三日間は、いつもとは違う環境の中で刺激を受けながら、創作に励んでもらいたいと思っています」
「そういうわけだ。ひとまずそれぞれの部屋で準備を整えて三十分後にロビーに集合にしよう」
ひとまず私はひより先輩とともに自分たちの部屋へと戻った。合宿に来るまでの道なりでも、こうして宿についても私はどこか集中しきれずにいた。原因はわかっている。あの歌だ。
自分ではできないような言葉選び。敵わないと思わせられた才能。何より、気付かぬうちに嫉妬するほどの歌の趣き。それに心を囚われてしまい、ずっと自分の歌に集中できない日々が続いていた。
醜い嫉妬を振り払うように軽く頭を振る。ひよりには不思議そうに見られたが、気付かないふりをして準備を進めた。準備と言っても大したものは必要ない。いつも使っているノートにペン、外で書けるようにバインダーにそれらをセットすれば終わりだ。
「よし、みんな揃ったな。それじゃあ今日はお寺から見に行こう」
先導する三上についてみんなで宿の外に出る。外の細い道は車の通りも少なく、閑散とした印象を受けた。合宿のスケジュールについて、ワイワイと話しながら道を進んだ。吟行や歌の発表を中心に活動し、明日の夜には小さな夏祭りに参加することになっていた。
目的地である寺までは歩いて十分ほどだった。小さいながらも歴史を感じさせる山門に本殿がのぞいている。背後ではセミのなく声がうるさいほどだった。
まずは全員で本殿への参拝を済ませた。
「じゃあ、吟行を始めようか。各自十首を目標に作ってくれ。宿に戻ってから自信のある歌を一首選んで発表してもらうから、そのつもりで」
その言葉を皮切りに各々思い思いに境内を散策し、気になったものを観察していく。私も少し出遅れながら、周りに目を向け始めた。
私たちの他に訪れている人はいなかったおかげでゆっくり観察することができた。よく見ると山門の門扉には込み入った彫刻が施されていた。境内には白や薄紅の花をつけている木もあり、夏の訪れを感じさせた。うるさく思えたセミの声もそれらと一緒になると、不思議と風情があるように思えた。
そういったものに目を向け、時々耳を傾けながら、言葉を紡いでいく。外からの刺激のおかげか、部室や家で自分の部屋にこもっているときよりも、素直に言葉が出てくる気がした。
そんな中でも頭の片隅にはあの歌があった。名前しか知らない彼女–––––もしかしたら彼かもしれない–––––だったら、この光景をなんと歌にするだろうか。ふと気がつくとそんなことを考えてしまっていた。
邪念を振り払うように景色に注意を向け直す。幸い、十首を作り終えるのにそれほどの時間は必要なかった。あの歌を超えるほどの出来とは言えなかったが。




