美羅とミラ①
六、美羅とミラ
事件の後、陽太は内定をもらっていた大手出版社への入社を辞退した。
代わりに、苛めなどで登校拒否になった子供たちのためにフリースクールを運営する、東京都内のNPO法人に就職した。
就職してから今までの三年間で何人か、恋人関係に発展しそうな女性と出会う機会があった。しかし、それらの関係は結局、恋人にまで発展することもなく終わった。
――もう、俺は人を愛することはできないのかもしれない。
プライベートの時間を顧みることなく忙しく立ち働きながらも、ふと冷静になったとき、そんなことを考えている自分がいた。
当然といえば当然だが、あの事件はそれほど、陽太の心に暗い影を落とし続けていた。
*
今年も、また“あの日”がやってきた。
その日、陽太は瑠璃川の墓の前にいた。
「また、今年も来てましたか」
墓前で手を合わせていると、後ろから突然、聞き慣れた声が聞こえた。振り返ると、隣の墓の前に翔が立っていた。
視線が合った翔は目を細め、感情が読み取りにくい、いつも通りの笑顔を浮かべた。
右手には、赤色や黄色が目にも鮮やかな菊の花束が握られていた。
「先輩、七ヶ月前の美羅……、佐伯の命日にも、彼女の墓参りに来てましたよね」
翔は、おもむろに切り出した。
「なぜ、それを」
「なぜって……。墓前で手を合わせてる先輩を見かけたからに決まってるじゃないですか」
まったく気づかなかった。
「あれからもう三年たつっていうのに、毎年毎年、二人の墓参りを欠かさないなんて、偉いもんですね」
本来なら恥じる必要などまったくないはずなのだが、陽太は微かな羞恥心を覚えた。
「それは皮肉か」
翔は、困ったような表情で頭を掻いた。続いて口にしたのは、翔にしては珍しい自虐的な言葉だった。
「嫌だなあ、本心ですよ。そもそも、俺も似たようなもんですから、皮肉なんて言える立場じゃないですよ」
そうだ。
考えてみれば、陽太が二人の命日に墓参りを続けている事実を知っているということは、翔自身もその場にいるということなのだ。恥じる必要など、まったくなかった。
「それにしても、事件の後に写真の二人を見たときは、驚きましたよ。高校時代、あんなに明るくて男子にモテた美羅……、佐伯が、すっかり落ち着いた大人の女って感じになってたんですから。おまけに、高校時代にはジャミって呼ばれてた瑠璃川は、容姿が佐伯とそっくりになってるじゃないですか。もう、びっくりですよ」
陽太は、どう返事をしていいかわからずに、翔の次の言葉を待つ。
すると、翔は「実は」と言いながら、遠い目をした。
「佐伯の幼馴染で、同時に高校一年生と二年生のときには二人と同じクラスでもあった俺は、あの頃、当然ですけど二人をすぐ近くで見てたんですよね。当時、多くの人は気づいてなかったみたいですけど、佐伯は確かに陰で瑠璃川の悪口を言ってました。でも、周囲の取り巻きたちが美人で目立つ佐伯を祀り上げて、瑠璃川に対してなら陰口を言ってもOKっていう雰囲気をつくってた気がするんです。正確に言うと、佐伯は悪口を言わされてたっていうのかな。実際に、直接的な嫌がらせをしていたのは佐伯じゃなくて、むしろ取り巻きたちのほうでした。俺には、瑠璃川に対するそんな直接的な嫌がらせを、佐伯が望んでるようには見えなかったんですよね」
翔はここで一度、言葉を切り、腕組みをした。
「もちろん、佐伯は自分と違って頭がよくて、自分以上に先生に受けがいい瑠璃川を妬ましく思っていたとは思うんですが、同時に憧れや尊敬に似た感情ももってたんじゃないかって、俺は思ってるんです」
初耳だった。
「俺、佐伯とは小学校から同じ学校だったから、幼い頃の彼女のことも、まあまあ知ってるんですよね。佐伯が瑠璃川に嫉妬や羨望の感情をもっていたのには、恐らく彼女の家庭環境が関係してたんじゃないかなあ」
そう言うと、翔は無言のまま陽太の顔をちらりと見て、その表情を観察する。釣られて、陽太は問いかけを口にした。
「いったい、どんな過去があったんだ?」
翔は、陽太の言葉を確認すると、待ってましたとばかりに話を続ける。
「佐伯のお姉さん、見た目はちょっと地味だけど、凄く頭がよかったんです。そう、瑠璃川とちょっと似たタイプだったかな。で、両親や親戚は、大人の受けがよくて頭もいいお姉さんばかりを可愛がってたんです」
「それで、姉を憎むようになったのか」
「いえ、小さい頃は、当たり前ですが、もの凄く仲のいい姉妹でしたよ。佐伯美羅自身が、お姉ちゃん子だったんですよね。本人にとっては、自慢のお姉ちゃんだったんだと思います。ただ、大きくなると、どうしても自分が置かれてる立場が分かってくるんですよね、人間って」
翔は、寂しそうに笑った。
「最終的に、姉が周囲から期待されているのに対して、自分は何も期待されていないんだっていうことに気づいて、姉に対する愛憎入り混じった複雑な感情が芽生えたんじゃないでしょうか。俺も佐伯の姉妹と同じように、ご立派な兄がいるから、何となくわかるんですよ。大好きだけど、大嫌いって気持ち。で、佐伯はいつからか、姉の真逆を行くように明るくて男子受けのいい女子を演じるようになっていったんです。そして、高校のときに姉とそっくりな瑠璃川美羅に出会い……、後は先輩がご存じの通りです」
翔はそう言うと、ふうと小さく息を吐いた。
「あいつ、自由に生きているように見られがちだったんですが、嫌がらせを止められなかったことからもわかる通り、結構、周囲の人たちの顔色を伺う部分もあったんですよ。周囲が言うほど、自由気ままでもなかったというか……。まあ、たとえどんな背景があったにせよ、嫌がらせに加担してたのは事実ですから、言い訳はできないんですけどね」
翔が語る話は、もっともだった。
たとえどんな理由があろうとも、佐伯美羅がやったことに釈明の余地はなかった。
「でも、それを言うなら、仲間内の悪ふざけ的なものだろうとか、自分は受験勉強で忙しいからとか言い訳をして、佐伯たちの嫌がらせに対して見て見ぬふりをしてた俺たち周囲の人間にも、大いに責任がある。俺は、そう思ってます」
陽太は、翔の言葉にどきりとした。
――俺は、翔と同じ立場になったとき、何かができただろうか。
――佐伯を踏み留まらせることは、できたのだろうか。
思わず、自問自答する。
陽太と翔の間に、沈黙が流れた。沈黙に耐えられず、陽太は思わず見当違いな質問をした。
「佐伯のお姉さんは今、どこでどうしてるんだ?」
「詳しくは知りませんが、大手証券会社に就職して、バリバリ働いてるみたいですよ」
翔が、空を見上げた。
翔の視線が、真っ青な空に吸い込まれていくようだった。




