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復讐④

 そんなある日、小さな事件が起こった。

 その日の昼休み、瑠璃川はいつも通学バッグにつけていたキーホルダーの金具が、僅かに曲がっていることに気づいた。数年前に他界した父親の写真を入れた、ロケットがついたキーホルダーだった。

 このままでは、気がつかないうちに外れてしまうかもしれない。そう考えた瑠璃川は、キーホルダーをバッグから外し、金具を調整しようと試みた。

 だが、金具が硬すぎるためにどうにもならない。何かいい方法はないかと、瑠璃川はキーホルダーを机の上に置いたまま、道具を探すために席を外した。

 次の授業は選択授業だったため、クラスメイトたちはすでに授業のある教室に向かった後で、教室内には瑠璃川以外に人影がなかった。

 瑠璃川は黒板の方向に歩み寄ると、さまざまな文房具が入っている棚を開け、中を探しはじめた。

 そのときだった。

 廊下から喧騒が近づいてきたかと思うと、教室の後ろのドアが勢いよく開き、数人の生徒が入ってきた。振り向くと、佐伯とその取り巻きたちだった。

「なんだ。誰もいないって思ったのに、ジャミがいるじゃん!」

 一人が、瑠璃川を見つけると、残念そうに声を上げた。

「次、選択授業だろ。何で、まだいるんだよ?」

 もう一人が、不機嫌そうに瑠璃川を問い詰めた。

「あ、キーホルダーを直そうと思って……」

「キーホルダーって、これか?」

 最初に声を上げた生徒が、瑠璃川の机の上に置かれたキーホルダーを手に取った。

「あ、それは!」

 瑠璃川はキーホルダーを奪い返そうとし、慌てて生徒に駆け寄った。

 瑠璃川の両手が生徒の腕を強く掴んだ拍子に、キーホルダーは生徒の手を離れ、床に落ちた。次の瞬間、バランスを崩した生徒の右足が、キーホルダーの上に乗った。

 ゴリっと、鈍い音が響いた。

 生徒が恐る恐る足を上げると、見るも無残な姿になったキーホルダーが現れた。ロケットの蝶番が破損し、中の写真が半分ほど見えていた。

 瑠璃川は、しゃがみ込んでキーホルダーを拾い上げると、生徒を睨みつけた。

「何よ。あんたが無理矢理、取ろうとするからでしょ」

 生徒は動揺しながらも、謝罪の言葉を述べることはなかった。

 そして、瑠璃川は見た。

 彼女の後ろには、相変わらず困ったように笑っているだけの佐伯の姿があった。

 その瞬間、瑠璃川の中で、何かが弾けた。

 佐伯と一緒に嫌がらせをおこなっている女子たちも、もちろん憎かった。

 しかし、もともと仲よしだったにもかかわらず自分を裏切った佐伯に対する憎しみは、他の女子たちに対するそれよりも、格段に強かった。

 ――私は佐伯美羅を、許さない。

 だが、表立って彼女たちに反旗を翻せるほど、瑠璃川は強くなかった。

 そこで瑠璃川は、佐伯の充実した男性関係を邪魔するという方法を選択した。佐伯とつき合っていると噂になった男子生徒の下駄箱に、佐伯が他の男と過剰に親しくしているコラージュ画像を入れたのだ。

 随分と子供じみた抵抗ではあったが、自分にできることはこれぐらいしかなかった。所詮、自分は取り残された存在、ジャミラなのだ。

 一目で加工された画像とわかる程度の完成度ではあったが、クオリティの低さなど、瑠璃川にとって問題ではなかった。重要なのは、とにかく行動することだった。

 その行動が上手くいったかどうかはわからないが、翌日、男性を伴うことなく一人で家路に就く佐伯の後ろ姿を遠目に眺めたときには、何物にも代えがたい幸福を感じた。

 とはいえ、そのような幼稚な復讐を実行したところで、嫌がらせが収束するような結果には、決してならなかった。翌日以降はまた、それまでと同じような嫌がらせが繰り返された。結局、何も変わらなかった。

 自分が、底の見えない蟻地獄の中でもがくアリのように思えた。

 瑠璃川は、砂でできた巨大なすり鉢のへりに手をかけようと、必死の思いで手を伸ばす。しかし、掴んだはず砂は瑠璃川の懸命な試みをあざ笑うかのように、掌の中からさらさらと崩れ落ちていく。

 逃れられそうな気配は、まったく感じられなかった。

 疲れ果てた瑠璃川は、思わず振り返ってすり鉢の底を見る。薄暗いすり鉢の中央では、二本の牙が鉛色の光を放っていた。牙が、ゆっくりと開閉するたびに、刃物を擦り合わせるような不気味な金属音が聞こえた。

 牙の横には、女性の姿が見えた。うす暗いためにシルエットでしか確認できないが、その姿には確かに見覚えがあった。

 佐伯美羅だった。

 恐怖に駆られた瑠璃川は、息を荒げながら、今までにも増して死に物狂いで砂を掻く。

 だが、そうしている間にも、瑠璃川の体は、少しずつ砂の中に飲みこまれていく。

 自分の無力さを痛感した瑠璃川は、抵抗することを諦めた。

 ――これは必然、これは運命……。

 恐怖から逃れるための防衛本能が働いたのだろうか。いつしか自分自身にそう言い聞かせていた。

 ――何も考えずに受け入れてさえいれば、ストレスはない。大丈夫。

 瑠璃川はベッドの中で毎晩、涙にくれながら、そう繰り返した。

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