復讐③
失恋から数週間がたった、ある日の放課後。
日直である瑠璃川は、教員室で用事をすませた後、教室に戻ってきた。すると、教室内から数人の楽しそうな笑い声が漏れ聞こえてきた。
「ねえ、佐伯。今度の彼氏とは、どうなの?」
「うーん。見た目はイケてるし、真面目なのはいいんだけど、話があんまり面白くないというか……」
佐伯の声だった。どうやら佐伯が、友人たちと話をしているらしい。
佐伯には、瑠璃川以外にも、特に親しい友人が数人ほどいた。
見た目がやや派手で社交的な性格の彼女たちは、真面目で内向的な瑠璃川と距離を置く一方で、佐伯とともにクラス内のヒエラルヒーの頂点に位置するグループを形成していた。
いわば、佐伯の取り巻きたちと言ってもいい存在だった。
今、佐伯と会話をしているのは、まさにその取り巻きたちだった。
瑠璃川は、教室のドアの前で足を止め、わずかに開いたドアから、こっそりと中を覗き込んだ。
「男なんて、佐伯にかかればチョロいもんだよね」と語る取り巻きたちの中央で、嬉しそうに笑う佐伯の姿があった。
「ところでさあ……」と、取り巻きの一人が口を開いた。
「瑠璃川の話なんだけどさあ。何でもアイツ、二年の白石先輩が好きだったらしいじゃん」
「マジ? で、告ったの?」
「んなわけないじゃん。不釣り合いにもほどがあるよ。だから、佐伯が諦めるようアドバイスしたんだって」
全員が一斉に笑った。
佐伯は、わざとらしく困ったような笑顔を浮かべながら言った。
「諦めさせたというか……。何となく生きてる世界が違うというか、根本的な部分で合わないんじゃないかなって思ったから『冷静になって考え直したほうがいいよ』って言っただけだよ」
瑠璃川の全身に、心臓をわし掴みにされたような緊張が走った。
「以前から聞こうと思ってたんだけど……。佐伯、あの瑠璃川と、ずっと友だちでいるつもり?」
佐伯は「うーん」と顎に人差し指を当てると、考える仕草をした。
「最初は、同じ名前だったこともあって、親近感を持ってたんだけどねえ……」
佐伯の言葉を受けて、別の取り巻きの一人が言った。
「瑠璃川、基本ウザいんだよね。最近は、佐伯と同じ名前なんだなって思うだけで、何か佐伯のランクが一段下がる気がしてさあ」
「アイツは、じゃないほうの美羅。つまり、ジャミラだよ」
もう一人が吐き捨てるように言うと、愉快そうに手を叩いた。
「ジャミラ……。何か、そういう名前の怪獣、いなかったっけ?」
「あ、邪な美羅、邪美羅ってのもいいかも」と、もう一人が身を乗り出した。
佐伯は、やはり楽しそうに、会話を聞いている。
その姿は、自分に従順な家臣たちを侍らせて悦に入る女王のようだった。
ショックだった。
ジャミラという意味不明の言葉が、とてつもなく邪悪な呪文のように思えて、瑠璃川を震撼させた。
瑠璃川は、そのまま後ずさりをすると、荷物を教室内に放置したまま、走り出した。
玄関で靴箱を乱暴に開けて靴に履き替えると、校門を飛び出し、家までの道を走り続けた。
――佐伯さんが、佐伯さんが……。
――私のことを、そんなふうに思っていたなんて……。
混乱する頭の中で、不意に白石先輩の顔が蘇った。
もしかしたら、白石先輩の件も……。
――確信犯?
悲しさとも悔しさともつかない感情が、自らの意思に反して体の中で肥大し、涙が溢れ出た。
気がつくと、自宅だった。自分の部屋の前にいた。
瑠璃川は、肩で息をしながら部屋に入ると、乱暴にドアを閉めた。
椅子に座り、ポケットから出したスマートフォンを、震える指で起動させる。
検索エンジンに「ジャミラ」という単語を入力して、エンターキーを叩いた。
検索結果は、すぐに出た。
モニター画面に現れたのは、悍ましい宇宙人の姿だった。
黒い目の中に鈍く光る白い瞳、頬まで割れた真っ赤な口、盛り上がるあまり頭部と一体化した肩……。そして何より、ひび割れた全身の皮膚の不気味さは、この世のものとは思えなかった。
――私が、このジャミラ?
詳しく調べてみると、父親世代、いや、ひょっとしたら祖父の世代かもしれない、一九六〇年代から七〇年代にかけて人気を博した特撮テレビ番組「ウルトラマン」に登場した怪獣とのことだった。
地球の人々に見捨てられ、宇宙で怪獣化した“元”地球人という設定らしい。水や空気のない星にたまたま辿り着き、そこで暮らすうちに化け物のような姿になったのだという。
ジャミラが、とてつもなく哀れな存在に思えた。
――佐伯さんには、そして彼女の友人たちには、私がこんな哀れな怪獣のように見えているの?
もちろん、佐伯たちが、この宇宙怪獣ジャミラを知ったうえで、瑠璃川をそう呼んだわけではないだろう。それは理解している。
しかし、彼女たちがそれを知っているかどうかに関係なく、陰でそのような怪獣と同じ名でよばれている事実が、そして、その事実を諦念とともに驚くほどあっさりと受け入れている自分が情けなかった。
あの教室の場面が、不意に脳裏に浮かんだ。
再び、涙が溢れた。
その日以降、佐伯の取り巻きたちは、いつからか瑠璃川をジャミと呼ぶようになりに、他人の目に見えない密かな嫌がらせを繰り返すようになった。
放課後の教室で「ジャミはいいな、頭がよくて。でも、見た目がショボすぎ」と言って、笑いのネタにする。
階段の踊り場で「ジャミ、先生に媚び売ってんなよ」と、肩を小突かれる。
休み時間に「ジャミ、成績いいから、教科書なくても大丈夫だよな」という理由で、教科書をごみ箱に投げ込まれる。
隣のクラスの好きでもない男子に「あの男、好きなんだろ。告ってきなよ」と告白を強要される。
――どうやったら、苦しみにまみれたこの学校生活から、抜け出せるだろう。
考えたが、正解は見つからなかった。
冷静に考えれば、学校を休むという選択肢もあったのだろう。しかし、幼い頃から優等生を演じてきた瑠璃川の頭の中には、登校拒否などという選択肢は端から存在しなかった。
何より、精神的に疲れて果てている母親に、これ以上の心配をかけるわけにもいかなかった。
瑠璃川は、必死の思いで耐え続けたが、辛さに慣れることは決してなかった。
一方で、ただ耐えるだけという瑠璃川の態度を見て調子に乗ったのか、嫌がらせの頻度も内容もエスカレートするばかりだった。




