復讐②
それは一年生の秋、体育祭を一ヶ月後に控えたある日のことだった。
ホームルームの時間に、体育祭の応援団を決める投票がおこなわれた。
応援団は、毎年クラスごとに三名ずつ選ばれることになっている。
常識的に考えれば、スポーツが得意な生徒や、何事にも積極的な生徒が選ばれるはずだ。そう考えていた瑠璃川は、開票作業に興味をもてるはずもなく、窓の外を眺めていた。
「瑠璃川さん、瑠璃川さん……」
ふと、教室内に意識を戻すと、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
何か用事があって呼びかけられているのかと思い、教室の前方にある黒板の方向に何気なく目を遣る。
すると、瑠璃川という名の下に正の字が並んでいる様子が、目に飛び込んできた。
一瞬、何が起こっているのか、理解できなかった。
時間とともに、少しずつ事態が飲み込めてきた。瑠璃川が、今まさに応援団員に選ばれようとしていた。
――まさか、何で?
自分が応援団に適任であるとはとても思えないし、クラスメイトが自分をそう評価しているとも思えない。
――何かの間違いでしょ?
そう思っている間にも、瑠璃川の下の正の字は、どんどん増えていく。
恐らく「自分はやりたくない」という大多数の生徒の意思が、無意識のうちに瑠璃川に票を集めさせているのだろう。そうとしか思えなかった。
瑠璃川は、クラスメイトたちを恨んだが、後の祭りだった。ほどなくして、瑠璃川と他の二名が、応援団に選ばれた。
信じられなかったし、納得がいかなかった。帰宅後に家事をする時間が削られてしまうのも、嫌だった。
だが、決まった以上、やらないわけにはいかない。
次の日から、瑠璃川は放課後になると体操服に着替え、体育館に通うのが日課になった。
スポーツ全般が苦手な瑠璃川にとって、応援団の全体練習は、苦痛以外の何物でもなかった。何しろ、他の人がいとも簡単にこなす動きが、瑠璃川にはできないのだ。
なす術もなく立ち竦んでいると、後ろから声が聞こえた。
「大丈夫?」
振り向くと、一人の男子生徒が立っていた。体操服のワンポイントカラーが青色であることから考えると、瑠璃川の一学年先輩にあたる、二年生なのだろう。
胸の刺繍で白石という名であることを知った。
「ここの動きは、もっと足を開いて下半身を安定させると、見栄えがよくなるよ」
白石先輩は、慣れない動きに戸惑う瑠璃川に対して、一つ一つ丁寧なアドバイスをくれた。
ときには、目の前で手本を示してくれることもあった。その動きは、他の生徒の誰よりも美しく、切れがあった。
「先輩、凄いですね」
先輩は汗を拭いながら「ありがとう。お世辞とはいえ、嬉しいよ」と謙遜した。
「去年も応援団をやったから、他の人よりは多少、要領がわかってるかも。でも、それだけだよ」
その後も、先輩は瑠璃川の一挙手一投足に気を配り、心配そうに言葉をかけてくれた。
そんなことが何日も続くうち、気がつくと瑠璃川は、先輩に対して特別な感情を抱くようになっていた。
だが、二人の関係は、あくまで同じ応援団の団員という繋がりでしかなかった。体育祭が終わると、当然のように元の他人どうしに戻った。
勉強以外、とくに他人に誇れる能力がない瑠璃川にとっては所詮、先輩は高嶺の花だった。
――元に戻っただけだ。
そう自分に言い聞かせようとしたが、感情は理性だけで簡単にコントロールできるはずもない。
陽太に対する淡い恋心を持て余した瑠璃川は、ある日、信頼できる唯一の友人といってもいい佐伯に、先輩に対する思いを吐露した。
「二年二組の白石先輩がどうしても気になっているんだけど……。どうしたらいいのかな?」
話を聞いた佐伯は、眉間に皺を寄せた。
「ああ、白石先輩ね。私も知ってるけど、瑠璃川とは合わないんじゃないかなあ。あ、別に意地悪で言ってるんじゃないよ。ただ、何となくというか……。私、わかっちゃうんだよね、そういうの。知り合いの二年生にちょっとだけ聞いたことがあるんだけど、そもそも白石先輩、年上の女性にしか興味がないらしいし」
佐伯は、瑠璃川の手を取ると、娘の行く末を心配をする母親のように、深刻そうな表情になった。
「悪いことは言わない。冷静になって考え直したほうがいいよ。私、瑠璃川の悲しそうな顔を見たくない」
――瑠璃川とは合わないんじゃないかなあ。
もし、これが他の人物の言葉だったら、鼻で笑いながら聞き流していたことだろう。だが、信頼して止まない佐伯が口にする言葉には、確かな説得力があった。
もちろん、それなりにショックを受けた。とはいえ、そのショックは思っていたよりも小さいものだった。
所詮、高嶺の花だったのだし、そもそも自分が、そのような大人びた恋愛観をもっている男性と上手く渡り合えるはずはない。そう思って、自分を納得させた。
「そうなんだ。佐伯さんがそう言うのなら、諦めたほうがいいのかもしれないね。ありがとう、佐伯さん」
こうして、瑠璃川の恋は一切、進展を見せることもなく、あっけなく終わった。




