拘束
第四章
大学生と刑事
――なぜ殺したのか――
一、拘束
遺体の身元が佐伯美羅であるニュースを聞いた直後。
立ち上がろうとした陽太は、よろけて床に手をついた。
どうやら、足に力が入らないようだった。
だが、力が入らないのは足だけではなかったようだ。
恐らく、腕にも、腰にも、そして顔にさえも力が入らない状態なのだろう。陽太の上半身が、つんのめるような形で前に傾いた。
「危ない!」
隣に座っていた美羅は、慌てて手を差し伸べた。しかし、陽太の体は両腕の間をすり抜け、そのまま床の上に顔から崩れ落ちた。
「大丈夫? 頭、打たなかった?」
陽太は、目だけをゆっくりと動かして、美羅を見上げた。
「君は、いったい……」
「私は美羅よ。あなたの恋人、美羅」
美羅は、駄々をこねる子供をあやす母親のように穏やかな口調でそう語ると、陽太を見下ろした。
一方の陽太はというと、酸欠で苦しむ魚のように、ただ口を動かし続けている。
横たわったまま、途切れ途切れに息を吐いた陽太に向かって、美羅は優しく語りかけた。
「ニュースに驚いたのね。佐伯美羅さん、可哀想に……。でも、大丈夫。陽太は、何も心配しなくていいのよ。私がそばにいるんだから」
何の動揺も見せない美羅の冷静な口調に、驚いたのだろうか。陽太は最後の力を振り絞るかのように顔を上げ、改めて美羅に視線を向けた。
虚ろな目が、ちょっと哀れだった。
そう思ったとき、陽太の視線が、美羅の指に嵌められた指輪に向けられた。
おうし座がモチーフの指輪だった。
「それは、俺が、彼女に、プレゼントした、指輪……」
陽太は、震える手を伸ばすと、美羅の指を半ば強引に自分の顔に引き寄せた。
「痛い!」
顔を顰めながらも、美羅は抵抗しなかった。むしろ、見てほしいと望む気持ちのほうが強かった。
「間違い……ない」
陽太は指輪を凝視すると、呟きながら顔を上げた。
「この指輪は、俺が……、佐伯美羅の、誕生日に、プレゼントした、指輪だ。でも、これは、佐伯美羅の……、失踪と一緒に、なくなって、いた、はず……」
陽太は、まるで意識が薄れていく必然に抗うかのように、懸命に口を動かす。
「あら、気づいてくれた? 意外に似合うでしょ?」
美羅は、右手の甲を陽太に向けながら、得意げに微笑んだ。窓から差し込む光を反射させて、指輪が鈍く光った。
「実は今朝、インターネットで遺体の身元判明ってニュース記事を読んで、この指輪を嵌めてみようかなって思ったの。きっと今日が、私たちにとっての記念日になるはずだから」
「どうして、その指輪を、君が……。君は、いったい……、何者……、なんだ……」
そして、陽太は気を失った。
*
陽太が気を失って、約一時間後。
糸が切れた操り人形のようにうなだれていた陽太が、ゆっくりと顔を上げた。
ようやく、気がついたようだ。
一時は薬が効き過ぎたのかと思って心配したが、その様子を見て安心した。
最初は薄く開かれていた陽太の目が、やがて大きく見開かれた。そのまま視線を落とし、自分の腕の先を確認している。
陽太は今、椅子に座った状態で、荷造り用のロープによって後ろ手に縛られている。
陽太を拘束したのは、もちろん美羅だった。
念のため、布で口を塞いでいる。でも、少し苦しそうで、気の毒に思えた。
美羅は、陽太の右肩に手をかけ、囁くように語りかけた。
「可哀想だから、さるぐつわは外してあげる。でも、大きな声を出さないって、約束して。もし大きな声を出したら、あなたを傷つけなきゃいけなくなってしまうから」
そう言いながら、ゆっくりと布の結び目をほどく。
布を外すと、陽太の鼻と口が現れた。いつも見慣れた、顔のパーツだった。
やっぱり、陽太は顔全体が見えているほうが、何倍も魅力的だ。美羅は、陽太の顔をしげしげと見詰めながら、そう思った。
――私の大好きな、陽太。
そのとき、気を失う前の陽太の問いかけに答えていなかった事実を思い出した。
「そうそう、さっきの質問に、答えてなかったね。あなたの“元”恋人だった佐伯美羅を殺したのは、実は私なの。そして、この指輪は佐伯美羅を土に埋めるとき、彼女の指から外した記念品」
答の内容を、ある程度は予想していたのだろう。陽太は大きく表情を変えることなく、ただ悔しそうに唇を噛んだ。
「君は、いったい、何者なんだ……」
「あら、私はあなたも知っている通り、正真正銘の美羅よ。嘘じゃないわ。以前、二人で一緒に海に行ったとき、運転免許証を見せてあげたことがあったでしょう。今さらだけど、私の名は……」
瑠璃川美羅。
瑠璃川美羅は、自分の顔を陽太の顔に近づけ、瞳の中を覗き込みながら目を細めた。
「ちなみに、つけ加えるなら、私は佐伯の高校時代の同級生。つまり、私も佐伯と同じく、あなたの後輩なの」
「佐伯美羅と、同級生……、だって?」
「ええ、驚いた? それにしても、残念だなあ。ちゃんと隠したはずの遺体が見つかって、身元もこんなにすぐに明らかになってしまうなんて」
瑠璃川は、部屋の天井を見上げた。その表情は、陽太には遥かな過去のできごとを思い出そうとしているかのように見えていたかもしれない。
「それはそうと、私と佐伯に間に何があったのか、話しておかなきゃね。ええと、どこから話せばいいのかな」




