殺害
第三章
一人の女
――どうやって殺したのか――
殺害
八月十二日、つまり三年四組の同窓会の当日。
佐伯殺害の決行日だった。
数週間前に玉井から連絡があり、八月中旬に同窓会があること、その同窓会に佐伯も出席することを知った。瑠璃川は、その日に計画を実行することを即決した。
その日は、朝から落ち着かなかった。
夕方が近づくにつれて、今から一人の人間を殺すという実感が、頭の中でいよいよ大きくなり、はっきりとした輪郭を描きはじめていた。
気持ちが高ぶるあまり、会場である居酒屋には、開始時間の一時間近く前に着いた。
だが、居酒屋は開店前だった。仕方なく瑠璃川は、道路を挟んで居酒屋の正面にあるファストフード店に入り、コーヒーを手に窓の外を眺めながら、開始時間を待った。
開始時間の十分ほど前になると、同級生らしき若者たちが一人、また一人と店内に入っていく姿が見えはじめた。何となく見覚えのある人物もいれば、まったく記憶にない人物もいた。
――そろそろ、私も行こう。
そう考えて席を立ったとき、窓の外を横切る人影が、視界の端に映った。
瑠璃川は、はっとして視線を向けた。
忘れもしない横顔。
佐伯だった。
佐伯は、やや前屈みの姿勢で店の前を横切り、横断歩道を渡ると、店の中に姿を消した。
今までに感じていた以上の高揚感が、瑠璃川の胸の奥に沸々と沸き上がった。
――私は、佐伯美羅を許さない。
大きく深呼吸をした瑠璃川はファストフード店を後にし、居酒屋の暖簾をくぐった。
店員に玉井の名前と予約である旨を告げると、店の奥に案内された。
靴を脱いで引き戸を開ける。一同が瑠璃川の方向を向いた。「おおー」という、驚きとも喜びともつかない声が、ごく自然に参加者の間から上がった。
思った以上に広い部屋に、やはり思った以上に大勢の若者たちが座っていた。その数は、二十人弱ぐらいだろうか。
二十歳前後という若さにも関わらず過去を懐かしんでいる人間が、これほど多いとは。瑠璃川は、その事実にまず驚いた。
「瑠璃川さん、取り敢えず、ここに座って」
幹事の玉井が、空いている自分の横の座席を指差しながら、瑠璃川に声をかけた。
瑠璃川は、反射的に佐伯の席を探した。玉井が勧めた席とは大きなテーブルを挟んで対角線上にある、遠い席だった。
だが、ここで無理矢理、佐伯と隣の男性の間に体をねじ込むのは、あまりにも不自然だ。そんなことをしたら、佐伯に警戒心を抱かれるかもしれない。
――まあ、そのうち、席替えをすればすむことだ。
若干の焦りを感じながらも、瑠璃川は自分にそう言い聞かせて、玉井の隣に座った。
瑠璃川が腰を下ろすと、玉井が「飲み物、どうする?」と聞いてきた。
この状況で、酒を飲むわけにはいかなかった。
瑠璃川が「私、アルコールはちょっと……。ウーロン茶でいいですか?」と聞くと、玉井は「もちろん、大丈夫」と言いながら、店員に追加のウーロン茶を注文した。
「さっき、瑠璃川さんに電話をかけたんだよ」
注文を終えた玉井が、瑠璃川にお絞りを手渡しながら言った。
「ああ、ごめんなさい。スマートフォン、家に忘れてきちゃって」
本当は、もしものときに位置情報などで怪しまれないように、わざと家に置いてきた。
玉井は「そうなんだ」と言ったきり、とくに怪しみもしなかった。
しばらくして、生ビールをはじめとする飲み物が運ばれくると、玉井の「乾杯!」という言葉を合図に、酒宴がはじまった。
ウーロン茶を飲み、周囲の人物たちの会話に適当に相槌を打ちながら、瑠璃川は佐伯にどうやって近づくべきかを考えていた。
近づくのは簡単だが、参加者たちのなかには、佐伯と瑠璃川の間にあった事件を知っている者がいるかもしれない。今日、これから決行するべき計画の内容を考えると、できるだけ自然に近づく必要があった。
計画を練りながら、ウーロン茶を口に運ぶ。
それから、どれくらいの時間がたっただろう。酔いが回った若者たちは、やがて少しずつ席を移動しはじめた。テーブルの各所に、談笑の小さな環ができた。
――そろそろ、佐伯の近くに席を移動しようか。
そう思ったとき、一人の女性が瑠璃川の横に座った。視線を向けると、佐伯だった。
瑠璃川は驚いた。
佐伯はそんな瑠璃川の戸惑いを気にすることもなく「久し振りね」と歪んだ笑顔を見せた。すでに、そこそこ酔っている様子だった。
――自分から私の隣に来るなんて、いったいどういうつもり?
理由はわからない。しかし、おかげで佐伯との距離が縮まった。飛んで火に入る夏の虫だった。
せっかく縮まった佐伯との距離をさらに縮めようと、瑠璃川は話題を探しながら会話を進めた。
「久々に会えて、嬉しい」
心にもない言葉を投げかけると、佐伯は「そう」と目を伏せた。そのまま、おもむろに口を開く。
「あの頃は、私も子供だったと思うんだ」
高校時代の嫌がらせのことを指しているのだろう。それにしても回りくどい言い方だった。
子供だったから、仕方なかったと言いたいのだろうか。それとも、忘れろとでも言うつもりなのだろうか。
瑠璃川は、佐伯の言葉を理解したふりをして、サワーを勧めた。
「まあ、今日は楽しく飲もうよ」
瑠璃川は、ウーロン茶を口に運びながら、サワーを飲む佐伯をしげしげと眺める。
その後、佐伯は予想以上に速いペースでサワーをあおった。気がつくと、かなり酔いが回っている様子だった。
やがて、佐伯はトイレに立った。ややふらつきながら、通路の奥へと消えていく。
瑠璃川は、このチャンスを逃すまいと、持っていた粉末を誰にも気づかれないように、こっそりと佐伯のグラスに入れた。
トイレから戻ってきた佐伯に、瑠璃川はグラスを差し出す。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫」
そう言いながら、佐伯はグラスの中の液体を、ごくりと飲んだ。
瑠璃川は、佐伯の様子を見ながら、喜びを抑えきれなかった。しばらくすると、案の定、佐伯の様子が明らかに変わった。
意識が、朦朧としはじめているようだった。恐らく、薬が効きはじめたのだ。事情を知らない人にとっては、酒を飲み過ぎて気分が悪くなっているようにしか見えなかっただろう。
「佐伯さん、大丈夫?」
男たちの問いかけに対して、瑠璃川は佐伯の肩を抱きながら、笑みで返した。
「多分、久しぶりにみんなに会って、嬉しかったんだろうね。私が見てるから、大丈夫」
その後も、瑠璃川は佐伯に寄り添い、介抱するふりを続けた。そうしている間にも、佐伯はどんどん意識が遠のいていく。
――そろそろ、潮時かな。
瑠璃川は頃合いを見計らって、部屋の隅で楽しそうに談笑している玉井たちに提案した。
「佐伯さん、調子が悪そうだから、私が送っていこうと思うの」
酔いが回っていた玉井たちは、「そっか。申し訳ないね」と、瑠璃川の提案を怪しむこともなく承諾すると、また男たちによる歓談の世界に戻っていった。
瑠璃川は、靴を履かせた佐伯とともに、店を出た。
近くの駐車場まで行くと、一台の車のドアを開け、後部座席に佐伯を寝かせた。あらかじめ借りておいた車だった。
それにしても、一年生のときに取得した運転免許が、このような形で役に立つとは思ってもみなかった。幼い頃から貯めていたお年玉と、アルバイト代を注ぎ込んで、将来のためにと取得した運転免許だった。
佐伯のスマートフォンの電源を切った瑠璃川は、運転席に乗り込むと、ハンドルを握ってエンジンをかけた。
目指すのは、埼玉県の西部にある、とある山の中だ。この車で、林道の奥まった場所に数日間、通い詰めて穴を掘っておいた。
目的地に着くまでの一時間ほどの間に、佐伯が目を覚ますことはなかった。林道の奥まで車を走らせた瑠璃川は、穴の近くまで行くと車を止めた。
後部座席を振り返ると、目を瞑ったままの佐伯が、苦しそうに眉間に皺を寄せていた。
――大丈夫、すぐに楽にしてあげるから。
助手席に置いておいた絞殺用のロープを持って車外に出ると、結び目をほどくために地面に置いた。
ロープは思いのほか、固く結ばれていた。悪戦苦闘していると、後ろからバタンというくぐもった音が聞こえた。車のドアが閉まる音だった。
瑠璃川は振り向いた。そして、目の前で起こっているできごとに、驚愕した
瑠璃川の目の前には、髪を振り乱して青白い顔をした佐伯が立っていた。




