漏洩③
「もしもし」
玉井の声だった。
「そういうことなんですが……。お役に立ちそうですか?」
「はい、大変貴重な情報です。ただ、やはり一度お会いして、直接お話を伺えればありがたいのですが」
実際に会って話をするのと、電話で話すのとでは、コミュニケーションの濃密さに天と地ほどの差がある。会って話を聞くことで、電話では得られなかった情報を得ることができた経験が、栗栖には何度もあった。
「ちょっと待ってください」
微かな話し声の後、玉井の声がスピーカーから響いた。
「今日の夕方でも、大丈夫でしょうか」
「結構です。場所は、どこがよろしいですか?」
「以前お会いした、寄野市の駅前のファミリーレストランでもいいですか?」
「承知しました。では、以前と同じく十七時にお伺いします」
栗栖は、スマートフォンを耳に押し当てながら、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。みんな、佐伯さんと連絡が取れないことで、凄く心配してるんです。ぜひ、見つけてあげてください。よろしくお願いします」
「わかりました。お任せください」
栗栖は、できるだけ丁寧な雰囲気を心がけながら別れの挨拶をすると、電話を切った。
机の上に置いたスマートフォンを睨みつけたまま、栗栖は考える。
――夕方までは、まだ時間がある。
「藤木市は、ちょうど寄野市に向かう途中にある。彼らに会う前に藤木警察署に寄って、水色の建物について話を聞いてみるのもいいかもしれんな」
そう口にしながら振り向くと、大前がバッグから何やら板のようなものを取り出しているところだった。よく見ると、タブレットだった。
「藤木署に行くのもいいですけど、その前に地図アプリを使ってみましょう。ひょっとしたら、水色の建物が見つかるかもしれませんよ」
――地図アプリ?
思ってもみない方法だった。
大前は、まずブラウザを開いて、藤木市駅周辺のバスの路線図を探し出す。
工業団地行きの路線は、二本あった。
大前は路線を確認すると、栗栖をちらりと見て、得意げに地図アプリを起動させた。
「アプリに表示された地球を拡大していくと、その場所の風景が表示されるんです」
――俺だって、そのぐらいは知っている。
言葉が喉まで出かけたが、止めておいた。あくまで知識として何となく知っているだけであって、使ったことはなかったし、詳しい使い方も知らなかったからだ。
「しかも、ただの航空写真じゃなくて、鳥瞰図的な感じなんですよね」
やがて、画面には真っ暗な宇宙空間に浮かぶ地球が表示された。
大前は、表示された地球を指でくるくると回したかと思うと、二本の指で器用に拡大していく。不思議な光景だった。
驚いている間にも、日本が拡大され、関東地方が大きくなり、藤木市付近の航空写真が現れた。
次に大前は、右下にある「3D」と書かれたボタンをタップする。平面的な航空写真が、立体的な写真に置き換わった。
「この写真は、表示されている日付から見ると、去年の春ですね。まだ一年ぐらいしかたってませんから、恐らく一部を除いて、建物の外見はそれほど変わってないでしょう。この画面を見ながら、バスの路線沿いにある水色の建物を探せばいいんですよ」
あるときは拡大縮小を繰り返しながら画面をスライドさせ、あるときは画面の向きを変えながら、大前は駅の近くで手際よく水色の建物を探した。
間もなく、水色の建物が二つ見つかった。一つは少々古びたマンションで、もう一つは雑居ビルだった。
「試しに、このマンションの住所を調べてみましょうか」
大前は「座標をコピー」というメニューを選択して、緯度と経度をコピーする。
そのまま、通常の地図アプリを立ち上げ、検索用のボックスに貼りつけた。
表示された場所をクリックすると、緯度と経度の下に、住所が表示された。
藤木市本町三六-一七八
「なるほど」
大前の横で腕組みをしながら画面を見詰めていた栗栖は、思わず唸った。
――こんなことが可能なのか。
まるで、浦島太郎のような気分だった。さしずめ、竜宮城が栗栖自身のアナログな思考回路で、玉手箱がアプリといったところだろうか。
顎を撫でながら何気なく住所に目を遣ったとき、ちょっとした既視感に気がついた。
「おい、この住所、ひょっとして……」
大前も、気づいたようだった。大きく息を吸い込んだ後、独り言のように呟く。
「驚きましたね。まさかとは思いますが、確認してみる価値はあると思います」
大前の声を聞き終わらないうち、栗栖は叫んだ。
「すぐに、藤木市に向かうぞ!」
言うが早いか、廊下を階段の方向に向かって走り出す。
大前は「はい!」と叫ぶと、慌ててタブレットをしまい、栗栖に続いた。
――確証はないが、佐伯はここにいるかもしれない。
そして。
――一刻も早く、直接会って、真相を確認しなければならない。
階段を駆け降りながら、栗栖は心の中で何度も繰り返した。
*
藤木市は、坂尾警察署から車で三十分ほどだろうか。
藤木市駅へと向かう車の中で、栗栖は腕を組んで前方を見詰めていた。
大前の判断で、最短距離である国道を選んだ。だが、運悪く事故渋滞に巻き込まれ、数メートル進んでは止まるという状態を繰り返す羽目になった。
――こんなときに限って。
タイミングの悪さを恨んだ。だが、不可抗力に対して苛立ち、冷静さを失っては、元も子もない。栗栖は、目を固く瞑り、平静さを保とうと心がける。
――場合によっては、玉井と羽田に連絡して、会う時間を調整してもらわなければならんかもしれんな。
申し訳なさが頭をかすめたとき、スマートフォンが再び振動した。
無言のままスマートフォンを取り出すと、画面を確認する。
栗栖と同じく、埼玉県警捜査一課から捜査本部に派遣されている、同僚の高井だった。高井は、おもに佐伯の大学内での交友関係に関する聞き込みを担当していた。
通話ボタンを押す。
「はい、栗栖だが」
「俺だ」
普段は沈着冷静な高井にしては、今回は随分と慌てた口調だった。
「どうした」
「どうしたもこうしたもない。すぐにインターネットのテレビニュース配信サイトを見ろ!」
高井の声に、栗栖は大前から受け取ったタブレットのスイッチを入れ、サイトにアクセスする。ちょうど、女性アナウンサーがニュースを読み上げている場面だった。
三月二十日に埼玉県坂尾市の山中で発見されていた女性の遺体の身元が、判明したとのことです。
女性の名は、佐伯美羅さん、二十歳……。
遺体の身元に関しては、オフレコにされていたはずだった。
「どこから漏れたんだ!」
栗栖は、車内に怒号を響かせた。
情報を知り得る立場にある警察関係者が、知人の記者につい情報を漏らしてしまったのであろうことは、容易に想像がついた。
捜査本部に出入りしていた何人かの人物の顔が、脳裏をかすめる。誰もが、怪しく思えた。
栗栖は、助手席で前方を見詰めながら、吐き捨てるように言った。
「あれほど、オフレコだと徹底していたはずだったのに……」
そもそも、オフレコにしていたのには、犯人の逃亡や証拠隠滅を防ぐためという理由以外に、現時点で遺体が佐伯美羅だと確定していないためという理由もあった。
この状況で遺体が佐伯美羅だと報道されてしまった以上、もし佐伯美羅ではなかった場合、大きな問題になることは容易に想像がついた。
「情報を漏らした関係者は、減給処分は免れませんね。個人的な意見ですが、情報をもとに報道したマスコミは今後、出入り禁止でもいいんじゃないですか」
ハンドルを握っている大前が、前方を凝視したままで答えた。
栗栖の心情を代弁するような大前の厳しい意見に、栗栖は苛立ちがほんの少しだけ、和らぐのを感じた。
栗栖は、ゆっくりと時間をかけて深呼吸をし、気持ちを入れ替える。
「とにかく、今は現場に急ぐんだ」
栗栖の声に、大前は「はい!」と歯切れのいい声で答えた。
そのとき、スマートフォンが再度、高井からの着信を告げた。
「今度は何だ」
耳に当てると、スピーカーから緊張感を伴った声が響いた。
「ついに、DNA鑑定の結果が出たぞ」
「何だって?」
遺体が発見された場所は温泉地からほど近く、土壌の酸性度が高かったことから、死後半年にしてはDNAの損傷が激しかった。そのため、最悪の場合、鑑定不能という結果になる可能性も考えられていた。
かなりの時間がかかったものの、鑑定結果が出たこと自体が、奇跡に近いことだった。
栗栖は助手席で思わず身を乗り出し、スマートフォンを固く握り締めた。低いながらもよく通る高井の声が、スピーカーを通して栗栖の耳に流れ込む。
「鑑定の結果は……」




