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漏洩②

 カレンダーの謎が明らかになった翌日、朝の捜査会議を終えた栗栖は、大前とともに会議室に居残り、今日の予定を確認していた。

 瑠璃川の行方は、相変わらずわからないままだった。

 誰に聞いても、足取りは今から半年ほど前にぷっつりと途切れていた。

 その事実に対して、栗栖は少しずつ焦りを感じはじめていた。

 ――そもそも、瑠璃川は本当に実在するのだろうか。

 気がつくと、幻を追いかけているかのような錯覚に陥っている自分がいた。

 だが、論理的に考えて、幻であるはずもなかった。

 我に返った栗栖は、自分の頬を両手でぴしゃぴしゃと叩いた。

 ――俺の頭も、随分と錆びついちまったもんだ。

 栗栖は、第六感という概念を信じている。

 今から十年ほど前までは、事件に関する点と点が不意に頭の中で結びつき、事件の解決に繋がるという瞬間がよくあった。

 栗栖にとって、それがまさに第六感のなせる技だった。

 だが最近は、そのようなこともめっきり減ってきた気がする。

 栗栖は、椅子の背もたれに体重を預けながら、小さく舌打ちをした。

 そのときだった。

 背広の内ポケットに入れていた警察専用のスマートフォンが振動した。

 栗栖は、苛立たしく思いながらスマートフォンを取り出し、相手を確認する。

 表示されているのは番号だけで、名前はわからなかった。

 ――誰だ、こんなときに。

 だが、出ないわけにはいかない。栗栖は通話ボタンを押すと、スマートフォンを耳に当てた。

「はい。栗栖ですが」

「あ、栗栖さんですよね。よかった。玉井です。覚えていらっしゃいますか?」

 緊張を感じさせながらも、はっきりとした発音のめりはりがある声に、聞き覚えがあった。以前、同窓会の出席者の一人として、事情を聴いた玉井に間違いなかった。

「ああ、もちろん、覚えていますよ。栗栖です。どうされましたか」

 警察関係者に電話をかけるという行為は、ただでさえ緊張する行為だ。栗栖は、相手にストレスを与えないように、可能な限りの明るさを心がけながら言葉を返した。

 玉井は、栗栖の明るい声に安心したのだろう。ふうと小さく息を漏らすと、早速、用件を切り出した。

「実は今、高校時代に同級生だった女性と一緒にいるんですが……」

 一瞬、血が騒いだ。

「まさか、瑠璃川さんですか?」

「いえ、そうじゃないんです……」

 それはそうだろう。がっかりするほどのことではないと、自分に言い聞かせた。

「一緒にいるのは、羽田という女性です。電話、替わりますね」

 ――羽田?

 初めて聞く名前だった。確か、資料にもなかったはずだ。

 栗栖が記憶を手繰り寄せる間もなく、電話の向こうから若い女性の声が響いた。

「もしもし」

「はい。埼玉県警の栗栖と申します。この度は、ありがとうございます」

 要領を得ないまま、挨拶を交わした。

「羽田さんは、あの日の同窓会にいらした方ですか?」

「あ。いいえ、私は、クラスが違ったのでその場にはいなかったんですが、玉井君から『警察の人が、佐伯さんの件をまた調べてくれてる』って聞いて、お力になれるかと思って」

 ――同窓会にいなかった?

 完全にノーマークの人物だった。

「数ヶ月前だったでしょうか。私、偶然、見かけたんです」

 栗栖は、思わず前のめりに問いかける。

「瑠璃川さんを、ですか?」

「いいえ。佐伯さんです」

 栗栖は、内心、落胆した。現時点で、半年以上前の佐伯の目撃情報に、ほとんど価値らしい価値はない。

 失望を押し隠しながら、念のために聞いてみる。

「それは、いつ、どこでですか?」

「あの……、藤木市駅ってご存じですか? 埼玉県にある駅なんですけど」

 もちろん知っている。東京都から見ると郊外だが、いくつかの路線が乗り入れている、比較的便利な駅だ。

「その駅の近くです。一月十二日のことでした」

 栗栖は、耳を疑った。佐伯が行方不明になったのは八月なので、一月といえば、行方不明から五ヶ月ほどたっている計算になる。

「まさか……。日付を勘違いされているのではないですか?」

「私、その日、藤木市駅の近くのケーキ屋のアルバイトに応募してて、面接に行ったんです。結局、そのアルバイトはやらなかったんですけど……。その面接の帰りにバスに乗ってて、そのバスが赤信号で止まったときに見かけたので、日付は間違いないです」

 ――ということは、他人を見間違えたか?

 考えを口にするよりも早く、羽田は続ける。

「見間違いじゃないです。私、人を見分けるのがもともと得意なんです。それに……」

「それに?」

「佐伯さん、そのとき、高校の卒業記念で三年生全員がもらったトートバッグを持ってたんです。白い生地に黒い文字で『Be Ambitious』って書かれたバッグです。私も同じものをもらったので、間違いありません。それを見て『あ、まだ使ってるんだ』って思ったので、よく覚えてます」

 ――なるほど。

 だが、やはり俄に信じることはできなかった。考えを整理する猶予を得るために、話の方向性を少しだけ、変えてみる。

「それにしても、そのような情報を、なぜ今頃?」

 できるだけ、柔らかい口調を心がけた。だが、栗栖の言い方に糾弾めいたニュアンスを感じたのだろうか。羽田の声が、申し訳なさそうな雰囲気に変化した。

「私、そのときは佐伯さんが行方不明になってるって知らなかったので『あ、佐伯さんだ』って思っただけで、その後は見かけたこと自体、すっかり忘れてしまってたんです。それからしばらくして『佐伯さんが行方不明になった』って聞いたときも、行方不明になったのは私が見かけた後のできごとなんだろうと勝手に思い込んでいて……。でも今回、玉井君から行方不明になったのが去年のことだと聞いて、佐伯さんを見かけた日の日付を慌てて確認してみたら、一月だったのでびっくりして……。今さらの話で、本当に申し訳ありません」

 栗栖は、羽田との会話を通じて、今まで頭の隅に引っかかっていた正体不明の違和感が、具体的な形を成しはじめているのを感じていた。

 思えば、DNA鑑定が困難を極めていたため、捜査本部では所持品と身体的特徴から、遺体を佐伯美羅と考えて捜査を進めていた。

 ――そもそも、その前提が間違っていたのではないか。

 そして。佐伯美羅は……。

 ――生きている?

 まさかとは思いながらも、その考えを否定できない自分がいた。

 栗栖は、こめかみの辺りがざわつくのを自覚した。久し振りの感覚だった。

「その後、佐伯さんがどこに行かれたかはわかりませんか?」

 駄目元と思いながら、一応聞いてみる。

「バスはすぐに発車したんですが、後ろを向きながら目で追ってたら、すぐ近くにある水色の建物に入っていったように見えました」

 ――水色の建物?

「その建物の特徴や住所はわかりますか? あと、そのバスがどの路線だったかについても、お教えいただけると助かります」

 栗栖の問いかけに、羽田の声のトーンが明らかに下がった。

「バスは、確か『工業団地行き』って書いてあった気がします。ただ、土地勘がない場所だったんで、佐伯さんを見かけたのがどこだったか、正確にはわかりません。アルバイトの店に行くときにも、迷っちゃったぐらいで……。建物の細かい点についても、何ヶ月も前の話なんで、記憶が曖昧で。でも、建物が水色だったのは印象的だったので、はっきりと覚えてるんです。今どき、珍しい色だなあって思って……。私が知っているのは、ここまでです。すみません」

 正直なところ、ほんの少し落胆した。だが、落胆と高揚感を天秤にかけると、高揚感のほうが勝っていた。

 その建物が特定できれば、入居者や近隣住民への聞き込みによって、八方塞がりの様相を呈していた捜査に何らかの進展が見られるかもしれない。

 そんなことを考えていると、電話の声が、急に男性に変わった。

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