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行方②

 栗栖と大前は、瑠璃川の実家を訪ねた翌日、東京都内にある文政区に向かい、瑠璃川の兄に教えてもらった住所にあるアパートを訪ねた。

 築三十年は下らなさそうな、木造モルタルのアパートだった。車の中で不動産屋に電話して聞いた話では、一〇一号室に住んでいる年配の夫婦が管理人を兼ねているので、事情を聴けるはずだとの話だった。

 念のため、家賃の支払い状況についても聞いてみた。不動産屋によると、指定された銀行口座から毎月、問題なく引き落とされているようだった。

 アパートの階段を上がると、まず瑠璃川が住んでいる二〇二号室の呼び出しベルを押してみた。しかし、返事はなかった。人がいる気配もない。

 栗栖たちは、仕方なく階段を降りると一〇一号室の管理人の部屋へ行き、ベルを鳴らした。ベルの音に応じて出てきた管理人らしき年配女性に対して、警察手帳を提示しながら瑠璃川の動向を聞いてみた。

「私どもは埼玉県警の者ですが、二〇二号室の瑠璃川さんはいつも何時頃に帰られるか、わかりますかね」

 管理人は、首をひねった。

「瑠璃川さんですか。見かけたのは、引っ越してきて以来、ほんの数回ぐらいだと思いますよ。よく覚えていないんですけど、最後に見かけたのは、数ヶ月前……、いいえ、もっと前だったかしら」

「それは、ほとんど帰られていないということですか」

「そうですね。あ、でも、二ヶ月ぐらい前かしら、見知らぬ女性が部屋に出入りしてるのを、何度か見かけたことがありました」

「瑠璃川さんではない人ですか?」

「ええ。多分、お友だちか身内の方じゃないかと……」

 瑠璃川に、若い女性の身内はいない。栗栖は試しに、手元にあった彼女の友人たちの写真を何枚か見せてみた。同窓会に出席していたクラスメイトの写真だった。

 だが、管理人の反応は鈍かった。仕方なく、口頭で特徴を尋ねる。

「どんな方でした?」

「若くて髪が長い、とても綺麗な方でしたよ。ただ、何ヶ月も前の話ですから、誰に似ていたかとか、細かい記憶はちょっと……」

「そうですか」

 管理人の言うことは、もっともだった。と、栗栖の横でメモを取っていた大前が「ところで」と口を開いた。

「瑠璃川さんは、どのような方でしたか?」

 管理人は、何かを思い出そうとするかのように、顎に人差し指を当てて宙を見詰めた。

「そうですねえ。今の若い子にしては凄く細やかな気配りができる方でしたよ」

「どんなときに、そう思われたんですか?」

 管理人は、やや唐突に満面の笑顔を浮かべた。

「引越しの挨拶とき、少しばかり高級な菓子折りを持ってきてくださったんです。今どき、なかなかいないでしょう? そこまで気を遣ってくださる若い人なんて。何でも、日本橋の老舗の菓子店で一時間ほど並んで、ようやく買えたんだとか。しかも、そのお菓子がとても美味しくて」

 今日一番の笑顔で、どんな答が返ってくるのかと思っていたら、想像していた以上に即物的な内容だった。しかも、引っ越してきた当時のできごとという、随分前の話だ。

 恐らく、この女性にとっては、引っ越し時のお菓子の記憶が、瑠璃川に関する記憶の中でもっとも大きな比重を占めているのだろう。

 菓子折りが口に合わなかった場合、瑠璃川の評価はどのようになっていたのだろうかなどと考えていると、管理人の顔から笑顔が消えた。

「あの、瑠璃川さんが、何か?」

 怪訝そうな表情だった。

「いえ、瑠璃川さんが何かをされたというわけではないんですが……。ある方が被害に遭われた事件に関して、ご友人である方々のお話を聞いておりまして。いや、大した話ではないんですがね」

 何度、同じ言葉を口にしてきただろう。

 納得がいったのかいかなかったのかは判然としなかったが、管理人は「そうなんですか」と大袈裟に頷いた。

 これ以上、新たな情報は得られそうにない。そう判断した栗栖は、これを最後と決めて聞いてみた。

「瑠璃川さんが今、どこにいらっしゃるかは……。ご存じないですよね」

「それは、ちょっとわからないですねえ。ごめんなさい」

 予想通りの回答だった。

 栗栖は「そうですか。ありがとうございます」と礼を述べると、管理人に連絡先を書いたメモを渡し、大前とともにアパートを後にした。

 ――電話にも出ない。住んでいるはずの場所にもいない……。

 ――いったい、どこにいるんだ。

 ――そして、管理人が見かけた女性は誰だ。

 そう考えながら車に乗り込んだとき。

「自分、考えたんです……」

 運転席の方向から、大前の声が聞こえた。

「栗栖さん、随分と瑠璃川にこだわってるみたいですけど……」

 栗栖は、大前の声に思わず振り向く。

「そこまで、瑠璃川にこだわる必要はないんじゃないですか?」

 明らかに、納得できないといった口調だった。

 栗栖は、敢えて返事をしなかった。

 大前は、そんな栗栖の反応を予想していたのか、構わず続ける。

「栗栖さんは、瑠璃川のことを犯人か、もしくはそれに近い立場の人物だと考えてるんですよね……。でも、彼女は複雑な家庭環境のなかで頑張って、一流大学に合格したほどの真面目な女性ですよ。今は多少、事情があって実家とは疎遠になってるみたいですが……。でも自分には、そんな瑠璃川が事件に関わってるとは、どうしても思えないんです」

 そこまで話すと、大前は一旦、言葉を止めた。

「それに、瑠璃川にばかりこだわり過ぎて時間を浪費するのも、捜査の上では効率がよくないですし……」

 短い沈黙の後に出た最後の言葉は、明らかに言い訳じみていた。

 ――こいつは、根本的な部分が、何もわかっていない。

 栗栖は、失望にも似た感情を覚えた。

 短く溜め息を吐くと、努めて冷静に答える。

「俺は、真面目で一見、善人に見える人間たちが犯した犯罪の現場を、数えきれないほど見てきた。瑠璃川が実際に事件に関係しているかどうかは別にしても、真面目だから、頭がいいからってだけで、シロと決めつけるのは、愚の骨頂だ」

 少々、興奮し過ぎたか。栗栖は小さく深呼吸をし、呟いた。

「人間には、表側に見えている明るい部分の他に、外からは決して見えない、真っ暗な裏側ってもんがあるんだよ」

 果たして、大前は栗栖の言葉を理解できたのだろうか。

「けど、それにしても……」

 何かを言いかけた大前は言葉を飲み込むと、栗栖がシートベルトをしたのを確認して、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。

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