行方①
三、行方
栗栖はここ数日、捜査資料に書かれていた瑠璃川の電話番号に電話をかけ続けていた。
――大学は今、春休みだ。大学を訪ねても瑠璃川本人に会える可能性は決して高くない。
そう考えたからだった。
だが、何度かけても、電話が繋がることはなかった。
栗栖たちは瑠璃川への電話と並行して、同窓会に参加していた他の数人にも、当時の状況を改めて聴き続けた。同窓会に関しては特に目新しい証言は得られなかったが、彼女たちのうちの二人は、瑠璃川がジャミと呼ばれていたらしい事実を知っていた。ただ、二人とも、ジャミというあだ名の由来については知らないようだった。
彼女たちに一応、聞いてみた。
「瑠璃川さんの現在の住所は、ご存じではないですか?」
しかし、知っている者はいなかった。これも、ほぼ玉井の言う通りだった。
一人だけ「今は、大学からそう遠くない場所に住んでるっていう話を聞いた気がするんですけど、詳しい住所はわかりません」と証言した。それが、唯一の情報らしい情報だった。
最近は、個人情報保護に対する意識が高まっていることや、SNSという便利なツールで簡単に連絡を取り合えることなどから、お互いに住所や電話番号を知らない友人関係も珍しくはない。
ここ数年の経験を通じて、若者のそのような友人事情を知っていた栗栖は、さして驚きはしなかった。
とはいえ、彼女たちに事情を聴いている間も、瑠璃川の電話は相変わらず繋がることがなかった。
「電話じゃ、埒が明きませんね」と、大前が溜め息をついた。
「そうだな」
瑠璃川が本当に事件に関わっているのか明らかではない現段階では、令状を取得することが難しいため、通信会社を通じてスマートフォンの現在位置などを割り出すことも不可能だった。
電話に頼ることをいったん諦めた栗栖たちは、その足で瑠璃川が通う茶山台女子大学の学生課を訪ねた。キャンパスは、東京都内の文政区にあった。
構内に足を踏み入れ、地図を頼りに学生課に直行すると、いつものように警察手帳を提示しながら、職員に訪問理由を告げる。
「私、こういうものですが、今度、三年生になられる瑠璃川さんという方の住所を知りたいのですが」
対応してくれた職員によると、瑠璃川は実家に住んでいることになっていた。
だが、知人の証言から考えると、実際に実家から大学に通っていないことは、すでに明らかになっている。
――やはり、実家で確認するのがもっとも確実か。
いずれにしても、近いうちに訪ねるつもりではいたのだ。
栗栖たちは翌日、瑠璃川の実家を訪問することにした。
念のため、瑠璃川の単位の取得状況も聞いてみたが、今年度の後期の単位はまったく取得していなかった。恐らく、ここ半年ほどは、大学の授業にもほとんど出ていなかったのだろう。
栗栖は一礼すると、学生課を後にした。
*
瑠璃川の実家は、高校の最寄りの駅から二駅離れた住宅街の外れにある、市営団地だった。建設されて、数十年ほどだろうか。
階段を上がってベルを鳴らす。すると、中からすぐに女性が姿を現した。女性は、栗栖が警察手帳を見せると、何も聞かないうちから、自分が母親であると名乗った。
母親は、随分と疲れた様子に見えた。
以前に会った佐伯の母親も憔悴し切っていた様子だったが、佐伯の母親のそれは、明らかに娘らしき遺体の発見によるショックに起因していた。
だが、瑠璃川の母親の疲れには、そのような突発的な理由ではない、もっと根深い理由があるように推測された。
微かに、生ごみのような臭いがした。廊下の奥から漂ってくるようだった。栗栖は、母親越しに建物の中をさりげなく覗き込む。
玄関近くには、夥しい数のビニール袋が放置されていた。いわゆる、ゴミ屋敷というのだろうか。
「ご家族の方は?」
警察手帳を上着のポケットにしまいながら、栗栖は聞いてみた。母親は、とくに栗栖たちに視線をよこすでもなく、目を伏せながら、おどおどとした様子で答える。
「夫は、七年ほど前に他界してしまいまして……。息子は奥の部屋にいますが、引き籠りでして……。お恥ずかしい限りです」
今どき、引き籠りなど、決して恥ずかしいことではなかったが、そんなことを言っても、納得してもらえるはずもない。栗栖は「そうですか」とお茶を濁すと、笑顔を浮かべながら質問を続けた。
「ところで、今回お伺いしたのは、娘さんのことについてなんですが」
言い終わらないうちに、母親は心配そうに「娘が、何か?」と尋ね返してきた。
その口調は、娘が心配というよりは、自分たちの身に何か悪い影響が及ばないかと怯えているように、栗栖には思えた。
「いえ、娘さんが何かをされたというわけではないんです。ただ、娘さんのご友人が行方不明になったできごとについて、ちょっと調べておりまして。なあに、形だけお話を伺うという、例の奴ですよ」
いつものように、常套句を述べる。
「娘は、去年の夏に突然、私たちを見捨てて家を出ていって以来、一切、連絡をよこさないんです」
疲れた目に多少の苛立ちを見せながら、母親は吐き捨てるように言った。
「でも、娘さんが住んでいらっしゃる場所は、ご存じなんですよね?」
「本当に、家を出ていって以来、連絡は全然取っていないんです。本当です」
母親は、栗栖の質問に答えようともせず、何かに取り憑かれたかのように同じ言葉を繰り返すと、乱暴にドアを閉めた。
しばらく待ってみたが、その後、母親が顔を見せることは、二度となかった。
取りつく島もなかった。
――出直すしかないか……。
階段を降りるとき、大前は不満そうに口にした。
「随分と無責任な母親ですね」
「一般論だが、父親が亡くなれば、経済的にも苦しくなる。そんななかで、いろいろあったんだろう」
そのとき、背後から声が聞こえた。
「あの、すみません」
振り返ると、一人の男性が立っていた。
年齢は二十歳代半ばくらいだろうか。グレーのスウェットに身を包み、足にはサンダルを履いている。
肩まで伸びた頭髪は、決して綺麗に整えられているとは言えず、頬から顎にかけては薄い無精髭に覆われている。とても、普通の社会人や学生には見えなかった。だが、前髪の奥に見える目は優しい光を湛えているように、栗栖には見えた。
――瑠璃川家の長男か。
栗栖は、直感した。見た目の年齢から考えると、恐らく瑠璃川にとっては兄なのだろう。
「母が、すみませんでした」
男性は、申し訳なさそうに頭を下げた。
「いえ、大丈夫です。きっと、事情がおありなんでしょう。急に押しかけた私どもこそ、申し訳ありませんでした」
栗栖は、優しく笑いかけた。
「父が亡くなって以来、いろいろあって、母はあんな感じになってしまったんです」
「そうですか。色々と大変だったんでしょうね」
大前が、先ほどとは打って変わって、同情する言葉を口にした。この変貌ぶりは、なかなかに頼もしい。
「妹はきっと、こんな家が嫌になって、出ていったんです。だから、母が言ったように、去年の七月頃に家を出てからというもの、今はまったく連絡を取り合ってないんです」
男性は、小さな声でそう話すと、頭を下げながら一枚の小さな紙を差し出した。
栗栖は、黙って受け取り、紙片に目を落とす。東京都内の住所が書かれていた。
「これは……」
「妹の住所です」
男性は「妹を、よろしくお願いします」と俯きがちに呟くと、今一度「すみません」と頭を下げた。
「こちらこそ、妹さんの住所をお教えいただけて、大変助かります。ありがとうございます」
栗栖も、男性に倣って軽く頭を下げた。
男性は、栗栖の会釈に驚いたように目を見張ると、今度は栗栖に負けないぐらいに大きく頭を下げる。そして、周囲を気にするような素振りを見せながら、建物の奥へと消えていった。
栗栖たちは、男性の姿が階段の上に消えていく様子を確認すると、車に乗り込んて実家を後にした。




