彼女が眼鏡を取った理由
某短編ミステリ賞に応募するつもりが、文字数が足りなく未応募になった作品です。
日常の謎を初めて描きました。
最初にそのことに気づいたのは、私の親友の由美子だった。
「ほら、あの子、眼鏡外してる」
そう言いながら彼女が指さす先を見ると、そこには鈴木凛さんが座っていた。彼女は普段、ずっと眼鏡をかけていて、眼鏡をかけていない彼女を見るのは今回が初めてだった。
「別にイメチェンとかじゃないの?コンタクトでも入れ始めたんじゃ?」
私はそんなに鈴木凛さんと関わったことが無かったので、彼女が眼鏡をかけていようが、かけていまいが正直どうでも良かった。が、由美子の次の台詞で状況は変わった。
「いや違うのよ。私、彼女と学校が同じなんだけど、今日、彼女、学校では眼鏡をかけてたのよ」
私と由美子は幼なじみだ。
保育園から中学校までは同じ所に通っていたが、高校は別の所に通っている。しかしながら、塾は同じであり、こうして休み時間は一緒に駄弁っていることが多い。
「夜だけコンタクトを付けるのは確かに変ね、なんでだろう?」
と私が疑問符を浮かべながらそう発すると
「そうでしょ!この謎を解いてみない?“日常の謎”だよこれ!」
由美子は満面の笑みを浮かべて声を弾ませた。
由美子は小学生の頃から貪るようにミステリー小説を沢山読んでいて、特に”日常の謎”というジャンルが好きだった。日常の延長線上に謎があるので、身近に感じられ、出てくる登場人物に感情移入がしやすいのがとても魅力的なのだという。米澤穂信の作品が好きらしい。私もミステリーは結構読むが、読むのは主に多重解決ものだ。複数の推理が否定され真実に繋がっていくときのドキドキ感がたまらないのである。白井智之の作品が特に好きだ。
それはさておき、彼女と私はこういう“日常の謎”的なものを日々生活を送るうえで見つけたとき、いつも、二人で意見を交換し合って推理を行うのである。真実を見つけたとしても、その謎をもたらした相手に直接伝えることは無い。あくまでこの推理合戦は私たちが真実を推理することが目的であって、相手の人生に、外者である我々が踏み入るのは間違っていると思っているからだ。特定の人物に干渉したら、それがその人に不幸な結果を生むということはミステリー作品ではよくあることだ。だからこそ、現実でそれは起こしてはいけない。悲しい物語は小説の中だけで良いのだ。
塾が終わってから、私たちは近くにあるファミレスで推理合戦を行うことにした。二人とも、親には『自主勉教を塾で残ってするから帰るのが遅くなる』という嘘の文言をメッセージアプリで送った。私たちは、できるだけ塾における彼女の様子を観察し合っていた。もちろん、フェアな推理合戦をするために、お互いの推理は推理合戦までには一切語らないようにして、だ。
ファミレスに着くと、奥のボックス席に私たちは案内された。そこは、ドリンクバーの近くだった。嬉しい。私たちは、経済的にここではドリンクバーしか頼めないからだ。今回も迷わずドリンクバーだけを頼んだ。
注文してすぐに、由美子はドリンクバーの許へスキップをするように歩いて行った。そして、メロンソーダをコップに満ち満ちに汲んできたかと思うやいなや、席に戻ると由美子はコップの底をくいっと上にあげて一気に飲み干した。
「ぷふぁー」と仕事終わりに寄った居酒屋でビールを呑んで一日の疲れを癒やすおじさんかのような声を出す彼女の顔は笑っていた。
「いざ、始めよう」
こうして由美子と私の推理合戦は幕を開けたのだった。
「まず、否定できるのは眼鏡が壊れたって可能性ね」
「なんで?」
私は由美子の言葉を受けて、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
実は私は、それを推理の結論の一つとして考えていてしまっていたのである。
考えていた推理の一つをいきなり否定され驚いた表情を浮かべている私の様子を、由美子は一瞥すると、コップの中の氷を手で取って、口の中にポイッと入れて、ガリガリと噛み始めた。これは彼女が推理を披露するときに行うルーティンの一つだ。氷を噛むと、咀嚼する際の顎の上下運動、それに加えて口腔内に伝わる冷感によって脳が活性化したような気になるらしい。
「簡単なことよ。彼女、眼鏡を持ってきていたもの」
氷を食べ終えた彼女はそう放った。
「えっ⁉気づいてなかった」
「あんた、帰り際、私に対する話に夢中で全然、凛ちゃんの様子見てなかったでしょ」
「うっ!」
そうなのだ。私は帰り際、最近読んだ白井智之の短編について由美子に熱く語っていたんだった。迂闊だった。
「帰り際、荷物を全部カバンの中に入れてすぐに、カバンから眼鏡ケースを取り出して、そこから眼鏡を出してかけていたのよ彼女」
「そうなんだ。見落としてた」
「そして、そのことから、コンタクトに変えた説は更に否定されるわね。ってか、そういや、授業中に何度も目を細めてホワイトボード見ていたわね。目を細めたら見えるぐらいの視力はあるんでしょうね、おそらく」
私も彼女が目を細めていたことに関しては気づいていたが、先に言われてしまって、またしても、推理のネタが一つ減ってしまった。他の推理を言わないと!頭の中でそんなことを思って俯いていると、氷を頬張る音がし始めた。彼女が頭を巡らせている今の内だ。私は顔を上げ、彼女が述べていない推理について発することにした。
「じゃあ次は、私が気づいたことを言うね。凛さんは何かに怯えている感じがしたんだ。休み時間の時が特に顕著で。常に机の方に向けて視線をやっていた。ここから私は、ある推理を思いついたんだ」
口の中のものを嚥下した由美子は、好奇心の点った目で私を見てきた。
「何?聞かせて!」
「彼女は先週までは塾で眼鏡を付けていたわけじゃん。だから私は先週に起こったあることが原因で彼女は眼鏡を取ったんだと思ったんだ」
由美子はその言葉を聞いて、視線を左上方向の空中に向けた。先週の出来事を思い返しているのだろう。そして、数秒後、目を見開いた。
「そうだ!先週は山口学くんがこの塾に来たんだ!塾の女子たちが一斉に群がってて印象的だったな。あの人、前から思ってたけどイケメンよね!」
そうなのだ。目が大きく、二重くっきり、かつ鼻筋の通った西洋の彫刻のような顔貌の持ち主が先週この塾に入ってきたのだ。自己紹介の時は、由美子と同じ高校に通っていると言っていた。つまりは鈴木凛さんとも同じというわけだ。
「凛さんと山口くんは同じクラスなの?」
「違う。違う。山口くんは私のクラスだけど、凛さんは違うクラスだよ」
それを聞き、山口くんのことが昔から好きだった凛さんが、山口くんに初めて近づけて、イケメン過ぎて顔を見ると卒倒しそうになるから、眼鏡を・・・というアホみたいな推理が浮かんだが、そんな某ミステリー小説のメタ探偵みたいなことは現実ではあり得ないので、頭の中だけに留めておくことにした。気を取り直し、推理に戻る。
「それで、山口くんが鍵だと思うんだけど、私は山口くんのことイケメンってことぐらいしか知らないしさ・・・教えてくれない?」
「うーん、山口くんはイケメンなうえ、結構頭が良いんだ。学年で一〇番以内に入ってるしね。性格は結構大人しめで・・・モテてていろんな子から告白を受けてる。後、彼はずっと地元の学校に通っていることもあって、小中一緒な子も高校に多いけど悪い噂は聞いたことないな」
そこまでの由美子の話を聞き、私が山口くんが凛さんに何か酷いことをしていて顔も見たくなかったから眼鏡を取った、という用意していた内で残っていた最後の推理は否定された。
ってことは色々考えたけど結局、振り出しに戻るのか。そう私が思い詰めていたとき、何か思い出したようで由美子は大きな声でこう述べた。
「そうだ!凛さんは先月、山口くんに告白していた気がする!」
それは有力な情報である。フラれたショックで彼の顔をまともに見られないから彼女は眼鏡を取ったのか。なるほど!
だが、その仮説は由美子の次の言葉で覆された。
「そして、成立したんだよ確か!」
「成立⁉」
私は驚いた。これでは私の仮説は全く役に立たない。
「そう、だから今も付き合っているんじゃないかな。学校内では一緒に居るところ見たことないから詳しくは知らないけど」
私は、彼女が眼鏡を取った理由がわからなくなってきた・・・
・・・もしかしたら、カップルのプレイの一つなのか?
そんな変な推理に辿り着きそうになった、そのときのことだ。ファミレスの入店音がした。音の方を何の気なしに見ると、運命のいたずらか、山口くんと凛さんが入ってきていた。幸い、私たちの席から遠くの席に二人は案内されたので推理合戦は続けられそうだ。
しかしながら、今回に関しては、このファミレスを推理合戦の場として選んだのは、適当じゃなかったかもしれない。
ここらは田舎であり、塾の近くで人が集まることのできる場所はこのファミレスぐらいだ。にも関わらず、推理している対象が同じ塾の生徒の場合、その当人たちが来る可能性が高いのを、私たちは全く考慮してなかったのだ。不用心過ぎたな。これからは気をつけよう。
「今見た?」
私はすかさず、由美子にそう聞いた。
「見た。見た。凛ちゃん眼鏡かけてたね」
私は、二人の登場に動揺して、そこまで彼らの様子を観察していなかったので、由美子の気づきに感謝した。
「ってことは山口くんは関係ないんだ」
「そういうことになるね」
私と由美子はそう言葉を放つと、お互いとも首を捻り、こめかみを押さえはじめた。まるで鏡映しのように。難問過ぎる。せめてカップル間の会話を盗み聞きできたら、謎は解けるのだが。バレたら気まずいしな・・・
そう悩んでいたときのことだ。あのカップルが案内された席の方から、むせび泣く声が聞こえ始めた。会話は聞こえないが、声の高さから、おそらく泣いているのは凛さんの方だと思われた。
「凛ちゃん、泣いてるね」
さすがの由美子もこの場では、不安げな面持ちをしていた。もうここで推理している場合じゃないよという気持ちがその表情から見て取れた。が、そんな状況でも、ミステリーオタクの定めか私は凛さんの泣いている声を聞いて、ある一つの推理が浮かんだのだった。しかも限りなく真実に近いであろう推理が。
「全ての謎が解けたわ、由美子・・・」
由美子が生唾を飲み込む音がした。
「まず聞くけど、凛さんと山口くんが付き合ったら、彼のことが好きだった女子はどういった感情を凛さんに向けると由美子は思う?」
「うーん、私は山口くんのことそんなに好きじゃないけど、山口くんが好きな子たちは、凛さんに嫉妬するかも!あっ!」
由美子も真実に気づいたらしい。目を見開いている。
「そう、つまりは、塾内でそれが起こったのよ、おそらく。凛さんは学校では、人間関係も良好でいじめにあわなかったのかもしれない。けれど、塾では違った。山口くんは地元の学校にしか通ってこなかったわけだから、立地的に彼と同じ小中だった子もあの塾には多く通っている訳じゃん。そして高校生になり大人に近づき、ますます美形に磨きをかけた山口くんが登場。恋愛に疎い私たちは気づかなかったけど、山口くんの再会を喜んで当日、休み時間に交際を即座に申し込む子も多くいたんじゃないかな。あの日も、山口くんの周りに女子が集まってたし」
「恋愛に疎いは失礼でしょ!」
由美子は頬を膨らませてそう言った。
「まあ、それは置いといて。交際を申し込んだら、山口くんは真面目だから断ったわけ。するとどうなる?フった理由を追及される訳じゃん。そして彼は・・・凛さんと付き合ったことを正直に言った。そして凛さんはその日の内に・・・嫉妬から・・・彼女たちに・・・」
あくまで仮説ではあるが、限りなく真実であろう真実に気づいた私たち二人は口を噤んだ。私たちが沈黙したことで、ファミレスには、遠くの席から発せられる泣き声だけが響いた・・・
次の週、塾に行くと、凛さんは姿を消していた。点呼の際に名前も呼ばれなかったので、おそらく塾をやめたのだろう。そして、その日にはもう、山口くんに話しかける女子の姿は無くなっていた。
先日の推理合戦はファミレスを出た後にも続いたのだが、そこで、凛さんは自身をいじめる者たちの顔を見たくない、辛い現実を見たくないからこそ、眼鏡をかけることをやめたのだ、という結論が出た。直接、凛さんや山口くんに聞くことは勿論しなかったが、この物事の結果から、それこそがやはり、彼女が眼鏡を取った理由だったのだ、そう確信できた。
休み時間、由美子に聞くと、学校では凛さんは眼鏡をかけて友達と笑いながら過ごしているという。それを聞いて私は安心した。辛い現実もあれば、楽しい現実もある、人生はそういうものだ。塾をやめることで、楽しい日々を凛さんが過ごしていて何よりだ。
「あのさ、塾の近くにあるゲームセンターのUFOキャッチャーコーナーで、出没するって噂のUFOマスターっているじゃん?」
「ああ、あの例の・・・」
「実はあれウチの学校の物理の濱元先生じゃないか?って噂があって。私が思うに・・・」
私は由美子と塾終わりに推理合戦をしているこのファミレスでの時間が何よりも楽しい。月日が経ち、この幸福な時間もいつか終わりを迎えると思うと少し悲しくなる。
UFOマスターに対する推理合戦が終盤を迎えると、ファミレスの入店音がした。
ふと目をやると、そこには、山口くんと凛さんがお互い満面の笑みを浮かべながら、仲良く話している姿があった。
いかがだったでしょうか?
私の昔描いた漫画が、この作品の大元になっているのですが、その漫画では、終盤、辛い現実を見ないように主人公は眼鏡を外し、そして、力を込めて真っ二つに割り、この醜い世界を見ることを諦めて終わります。今回の作品は賞に応募するつもりだったし、そんな絶望的な終わり方にしたくなかったので、ハッピーエンドにしました。