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第3話

 私立栄凌学園は一言で言えば超巨大な学校である。全校生徒五千人強、クラブ総数二百弱、端から端まで移動するのに十分はかかってしまうほど広大な敷地面積。


 学問では某有名国立大学などへの進学率は毎年全国一位を記録し、模試の成績などはほぼ上位を栄凌学園の生徒が占めていることが少なくない。


 クラブ活動に関してはその多くが学内で全国大会が開けてしまうほどの厚い層を持ち、運動部に至っては第一野球部、第二野球部などが存在し、学内の時点で高い競争率を誇っている。


 大学レベルの貯蔵冊数を誇る図書館に、クラブごとに割り振られた専用の体育館やビジネスホテルを思わせる宿泊施設の数々。果ては購買部という名のエレベーター完備のショッピングモールなど、校舎の外に出る必要もないほどの環境が整っている。


 およそ学校というにはいささか御幣がありそうな施設設備ではあるが、あらゆる分野のエキスパートが集う学園の卒業生には、政治家や官僚はもちろんのことプロスポーツ選手や伝統文化の人間国宝、芸能界の重鎮、ノーベル賞受賞や宇宙飛行士などバラエティに富んだ各分野の第一人者を輩出していることを鑑みれば、その財政に間違いはないと納得できる。


 他の追随を許さないその業績や質の高い環境設備から、揶揄を通り越した畏怖を抱かれる存在として、高校界のサラブレット養成施設、と囁かれていた。


 そんな栄凌学園の校風は完全実力主義である。数多の分野、五千を超える生徒数による競争と言う生き残りをかけた戦いが、学生と言う枠を通り越した領域で行われている。なにせこの学園で成功すれば、将来が約束される。栄凌学園と言うブランドは、すでに日本の上流階級の奥底まで浸透している。


 つまり栄凌学園とは、高校と言う皮を被った巨大な人材市場である。


 ただ――


 そんな曰く付きの組織が、何の闇も抱えていないはずもなかった。


 五月中旬、大型連休も去り五月病なる精神障害が噂されている中、志織は四限目の終わりと共に教室を飛び出した。


 購買部で人気の高級メロンパンを買いに?


 いいや違う。


 それともランチで大混雑するカフェテラスの場所取りに?


 そうではない。


 はたまたずっと我慢していたトイレに駆け込むとか?


 そんなわけがあるか。


「やぁ神北さん。こんにちは」


 そして今日も逃げることが出来なかった。


 昇降口ではなく、一階の事務室を通り過ぎた先にある非常階段側の出口に向かおうとした志織は、最後の角を曲がる寸前で惜しくも捕まってしまった。いや、はたしてこれが本当に惜しいかどうかは、もはや確認することすら面倒な作業だった。


「こんにちは、柏原先輩」


 観念した志織は、すぐに頭を社交的モードに切り替える。ハラワタが煮えくり返りそうな気分ではあるが、こうしたはっきりとした切り替えが出来るのも、今までのあらゆる経験の賜物である。


 志織が挨拶を返した男子生徒は、柏原一騎という二年生だ。代議士の父親と教育評論家として有名な母親を持ち、自身も高校生ながら作家として活動をしている異色の経歴の持ち主だ。容姿は文科系の印象を受け、何より黒い縁の眼鏡はインテリジェンスな雰囲気を演出している。多少垂れ目な部分も愛嬌と捉えれば、十分イケメンに分類できる。


 そんな異性の上級生に、入学して一ヵ月しか経っていない新入生が声をかけられたとあれば運命的何かを期待してしまいがちだが、実のところ状況はそう楽観視できるものではない。


 その原因は柏原の背後、柏原に従うようにして寄り添っている数多の学生たちの姿である。彼らは志織と柏原の会話を聞きつけて集まった野次馬ではない、全て柏原の取り巻きである。まるでドラマの中の院長回診のような光景が目の前に広がっているのだ。


「それで、この前の話は考えてくれたかな?」


 キザったらしく眼鏡を上げる柏原に、志織は内心うんざりしていたが、それを表に出す事はなかった。


「申し訳ありません。お誘いいただいてとても嬉しいのですが、やはりまだ私は特定のクラブ活動などに席を置こうとは思っていません」


 クラブ活動と称したこと、そして柏原の誘いを断った事に取り巻きの中で僅かなざわめきが起こる。だがそれも、柏原が軽く手を上げたことですぐさま収まった。


「その返事を聞いてもう一ヶ月を経とうとしている。君のような有望な生徒がただの学生で終わる事はこの学園だけでなく、学生という存在にとってもあまり望ましいものではないと僕は思うのだけれど。もちろん、僕も君の事を高く評価しているしね」


「お褒め頂きありがとうございます」


「この学園にはあらゆる組織、グループが存在している。それこそ君がまだ活躍したことのない場もあるはずだ。中学までの君なら率先して新たな道を開拓し、輝かしい成果を残すと思っていたのだけれど、何かこの学園に思うところでもあるのかな?」


「この学園に入った事は私もとても嬉しく思っています」


 多少強引かつ威圧的な質問に対して、志織は一切動じることなく営業スマイルで受け返す。


「ただ、多いからというべきか、それだけに迷いが生じている部分が多くあります。それによる不安と、またこの学園の独特なシステムに少し慣れておきたいこともあり、ならばいっそしばらくは様子を見るべきと考えていました」


 この返答に、また取り巻きにざわめきが広まる。


「……なるほど、独特のシステム、ね」


 今度は取り巻きを律することなく、柏原は意味深長にその言葉を繰り返した。


「確かにこの学園は普通の高校とは違っている。生徒数やクラブ活動の数も含めてね。その中で君は一度しっかりと自分を固める必要があると感じたわけだ。なるほど、流石と言うべきか。やはり普通の学生と比べると考える点が少し異なっている。いや、これは褒め言葉だよ」


「御理解いただけて嬉しいです。なので正式な返事は後日に」


「それはいつぐらいになるかな?」


「……今のところはっきりとした期日はお伝えできません」


 一層大きくなる取り巻きのざわめきに神経を逆なでされ、志織は精神面での未熟さを痛感しながら何とか答える。


 それを感じ取ったのか、柏原はわざとらしいタイミングで取り巻きを律した。


「分かった、これ以上しつこいと嫌われてしまいそうだね。ではまた後日、その時は良い返事を期待しているよ」


 柏原はにこやかに踵を返す。取り巻きが左右に割れ、その間を柏原が通り過ぎる。同じ学生でありながら、その柏原の姿はただの集団のリーダーには見えなかった。それこそ、圧倒的な権力を持った大物政治家を思わせるふてぶてしさを思わせる。


 取り巻きたちの冷ややかな視線に笑みを崩すことなく、志織はその集団のお帰りを見送った。


「二度とその面見せんじゃねぇよクソ野郎」

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