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すぐに泣けばいいと思って! 被害者面甚だしいわ! 泣けないようにしてあげましょうか! 泣いてもどうにもならないことがあると思い知るがいい!

「いいのよ、気にしないで。洗えば落ちますわ。着替えも持ってきておりますし」


 サクティーナ・サララ・スーレインは模範的で優しい侯爵令嬢だった。

 魔法学園で貴族令息にあるまじき悪ふざけで、自身の制服に汚れた水がかかった時も。


 にっこり……。


 と、大慌てで謝ってきた令息に微笑んでみせた。


「まあ、お姉さま、大変! 浄化!」


 サクティーナの傍らで一緒に歩いていた双子の妹マリーナが、すかさず浄化魔法を唱えた。

 しかし、汚れが少し繊維の奥まで入り込んでしまったようだ。


「まあ、ありがとう。マリーナ。わたくし着替えてきますわね」


 サクティーナは微笑を崩さないまま、侍女を伴って更衣室の方へ去っていった。

 皆が突然の出来事に驚きつつも事を大きくしないサクティーナの度量の大きさに感心する。


「最近スーレイン姉妹は仲がいいわね、結構だこと」

「サクティーナお姉さまは優しいので、私が仲良くしてもらっているのですわ」

「あら? マリーナ、あなたもだいぶ成長したのね。昔は泣いて泣いて『サクティーナがあれをくれないこれをくれない、私にもっと優しくしてほしい、いやだとにかくいやだ、気に入らない』って延々と言っていたのに」

「私も成長しますの」

「あら、サクティーナのおかげでしょう?」

「いじわる言わないでくださいませ」


 スーレイン双子姉妹を昔から知っている級友が、マリーナをからかうような事を言った。

 マリーナは恥ずかしさで少し頬を染める。


「まあ、もう少しでサクティーナも王太子殿下に嫁ぐのですもの。マリーナも残った侯爵家を支えるためにしっかりしなきゃね」

「ええ、私も子供っぽいのは卒業です」

「サクティーナはあの女にだらしない王太子殿下に無理してストレスが溜まってないと良いけれど」

「ええ、本当に……」


 級友とマリーナは今までの色々な事、これから起こるであろう色々な事を思って、しばし揃って遠い目をするのだった。


 特に最近、王太子殿下や見目麗しい殿方の周りを、ウロチョロしている男爵令嬢がいる。

 大きな目をうるうるさせて昔のマリーナを思い出させる行動が、級友とマリーナに嫌な予感を抱かせるのだった。

 ---


「サクティーナ・サララ・スーレイン侯爵令嬢! お前のような穏やかなだけの面白みのない女など婚約破棄を言い渡す! そして俺はこの繊細で可憐なシンディア・シリス・セレーネを我が妃としよう!」


 久しぶりに開かれた王宮の夜会の中央で、突然、この国の王太子の声が響き渡った。


 王太子は、ピンクブロンドの髪とライトピンクの目をした華奢な女の肩を抱いている。

 ピンクにまみれた女は最近男の周りをウロウロしていると噂の男爵令嬢シンディア・シリス・セレーネだ。


 シンディアは自分が何か言われた訳でもないのに、その大きなピンクの目をウルウルと潤ませている。

 男にはその様子が庇護欲をそそるのだろうか?


「まあ……、王太子殿下。どうなさったのですか? 突然そのような事を仰られて。どこか休憩室ででもゆっくりとお話いたしましょうか?」

「そのような事もこのような事もない。いつもそのように俺を見下げて、男を立てるという事を知らないのか」

「あら……」


 突然、王太子に婚約破棄を言われたサクティーナは事を荒立てないように薄く微笑んだ。

 場所を変えることを提案したが、王太子に却下されて困ったように首を傾げる。


 サクティーナもこの場にいる貴族たちも、王太子の婚約破棄の宣言が公式なものでないことは了解していた。

 婚約を破棄または解消したい場合には、このような場で怒鳴るのではなく双方の家の者の立ち合いの元、正式な書類を交わさなくてはならない。

 この場にはちょうどサクティーナの両親も、この国の王と王妃も居なかった。


『寛容なサクティーナ様に甘えて、王太子は婚約者がいるのに他の女に手を出すだらしない男だ。またこの言動もサクティーナ様への甘えだ。頭が冷えればスーレイン侯爵家の後ろ盾がないと困ることに気づくだろう』


 と、この場のやけにもの分かりの貴族たちは了解していた。


 しかし、なあなあで済まされようとした場は、


「ご、ごめんなさい! アタシが、シンディアが王子様を好きになっちゃったから。でも、本当に好きなの! だからアタシに王子様をちょうだい!」


 と頭の悪すぎるシンディアの言葉で壊された。

 その薄桃色の瞳からポロポロと涙を流している。

 多分、シンディアの心情としては、


『なかった事になんてさせない!』


 という意気込みだと思われた。

 シンディアは最近まで平民で、セレーネ男爵家に引き取られたばかりだ。

 だから、ちゃんとした貴族令嬢なら人前で泣いたりしないのに、シンディアは盛大に泣いていた。


「あっ、まずい。お姉さまがストレスかかってる所にっ、ちょっとなんでしたっけ、あ、シンディア嬢、泣かないでっっ!」


 サクティーナの妹のマリーナが、貴族令嬢に出せる最大の大きな声でシンディアを注意するが遅かった。


「うるっさーい!! 黙れー!!」


 王宮の夜会会場に大声が響いた。

 マリーナと姉妹の級友以外の貴族たちが、誰がこんな品のない大声を出したのだろうとキョロキョロと辺りを見回す。


「すぐに泣けばいいと思って! 被害者面甚だしいわ! 泣けないようにしてあげましょうか! 泣いてもどうにもならないことがあると思い知るがいい! なんなのなんなの、思い通りにならないからって泣くとか! 人の泣き声が嫌いなのよ! 嫌いだって言っているでしょう! 今すぐ黙れ!」


 会場の皆は目をうたがった。

 そこには鬼のように目を吊り上げて怒鳴り散らすサクティーナが居た。

 サクティーナは、泣くシンディアに詰め寄って指を突きつける。

 そこには貴族令嬢のマナーも何もなかった。


「なんなの泣く人って! えーん、とか口でわざわざ喋ってるでしょう! 泣けばどうにかなると思って! その甘い思考が嫌いなのよ! 泣くな! 黙れ! 早く黙れって言ってるでしょう! こちらは姉だと思って堪えているのに、何よ! えーんって! 頭の中身が著しく少ないようね!」


「ひっ、ひどい! アタシはあなたがひどいせいで泣いてるのよ!」


 ものすごい迫力で詰め寄るサクティーナに、シンディアは更に声を大きくして泣く。


「人のせいにしないで、泣いているのはあなたよね! 口を閉じれば泣き声は出ないはずよ! 口を閉じなさいよ!」


 そう言って、サクティーナは手を上げてシンディアの口を摘まもうとして……ーー。


「お姉さまっ! 私が悪かったわ。ごめんなさい、私が思い通りにならなかったらすぐ泣いたからお姉さまをこんな風に」


 その摘まもうとしたサクティーナの手は、妹のマリーナに掴まれた。


「お姉さま、もう妹のマリーナは泣いてないわ。もう小さくないのですもの。落ち着いて。お姉さま、ごめんなさい」

「えっ…………あっ…………」


 ふーっふーっ、と息を荒げるサクティーナは、妹のマリーナの呼びかけに振り返った。

 それからシンディアに向かって伸ばしていた手を見て、マリーナの泣いていない顔を見て、シンディアの盛大に号泣している顔を見て、……………………、


「ああ……………………」


 それからサクティーナは、唖然として自分を見つめる周りを見た。

 みるみるうちにサクティーナの顔が貴族令嬢らしくなく恥ずかしさで真っ赤になる。


「……………………ごめんなさい。婚約破棄を受け入れます」


 サクティーナは消え入りそうな声でそう言うと、会場の外に駆けだしていった。


「お姉さま!」


 妹のマリーナが後を追う。

 貴族たちは、スーレイン侯爵令嬢姉妹たちと王太子の騒動で、しばらく声も出せずに呆然としていた。


 ---


 王宮の夜会での騒動の後ーーー


 サクティーナと王太子の婚約は王家とスーレイン侯爵家が集まり、正しい手順に従って解消された。

 王命での婚約に逆らった咎で王太子は廃嫡され、あの場で影の薄かった第2王子が立太子した。


「僕の妃はサクティーナ嬢がいいな。王家の方が悪かったわけだし。泣かなければいいんでしょう? そんな何も欠点のない妃なんて面白くないじゃない。サクティーナ嬢の事、好きだなー」


 影が薄かった割には懐の深い所を見せた第2王子が、サクティーナを再度王太子妃とした。

 王国は強大で周りは小国ばかりだ。

 王太子妃が多少変わっていても問題ない、とは第2王子改め王太子の言葉だ。

 サクティーナは懐の深いこちらもどこか変わっている第2王子の元で、もう二度と夜会で怒鳴り散らすことはなかった、と後世には伝えられている。

なろうで時々見る不完全な王妃ってどういう経緯で結婚したんだろう、とか色々考えました。

読んで下さってありがとうございました。

もし良かったら評価やいいねやブクマをよろしくお願いします。

また、私の他の小説も読んでいただけたら嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
 きっとマリーナもサクティーナの『薫陶』を受けたのだろうなぁ…。  加害者が泣くだけで周りを味方につけて被害者ぶるのってやられた方からすると本当にストレスがたまるので、話の展開と勢いにスッキリしました…
泣けば勝ちが女性と違って野郎の場合、泣いたら負け。世の中って面倒くさいっすね
怒鳴っている内容が浅はか過ぎてお子様かと……切れるにしてももう少し王妃になっても納得できるような賢さを感じさせてほしかったです。
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