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第9話 いい機会なのでお灸を据えよう

 人間は予期しない出来事に遭遇すると、一瞬脳みそがフリーズする。

 その人のスペックによって停止する時間は異なるかもしれないが、そういう意味では俺は凍結時間が割と長い——ショックを受けやすいタチだ。

 それに加え、人間は自分の計画が不慮の事故によっておじゃんになるとショックを受ける。

 膝から崩れ落ちたりする人もいるだろう。


 急に人間の習性について語り出したのは、俺が今その両方に同時に直面したから。


 学校終わり、いつもと同じように乗った電車で、カオスに遭遇してしまったのだ。


 若干混んだ電車の中、人の影の隙間から薄っすら金色の綺麗な髪が見えた時点で嫌な予感はした。

 毎度俺の予想を斜め上に飛び越えてくるあいつの事だ。

 いつかこういう日が来ると想像しなかったわけではない。

 だがしかし、今日とは思わなかった。


 何故か七村紫埜が、俺の帰りの電車に乗っていたのだ。

 

 普段紫埜は行きしか電車で通学していない。

 行きは時間の都合を合わせやすく俺と同じ電車に乗れるが、帰りは決してそうではないため、彼女もわざわざ俺の下校を張っているわけではない。

 そして恐らく、それは今日も同じ。

 こっち方面に足で行く用事があるとも思えないため、要件があるとすれば俺に直接会う必要のある何かだったのだろう。

 だがしかし、面倒になった。


 俺の学校の下校時刻と被っている事もあり、乗客にはうちの高校の男子がかなり居合わせてしまっている。

 何より、例の野球部の先輩も一緒に乗り合わせていた。

 彼は丁度、優雅に座る紫埜の目の前に陣取っている。

 まるで話しかける様子でも伺っているようだ。


「やべ。柊華院のギャルだぜ」

「本物初めて見た。めちゃくちゃ可愛い」

「スンスン。あぁ、なんかいい匂いもするような……」


 他の乗客男子は既に頭がやられているらしく、意味不明な事を口走っている始末。

 と、そんな中興味深い会話が聞こえた。


「あの子助けたって、先輩マジかっけえな」

「噂では今度電車で一緒になったら告るって言ってたぜ」

「ガチ? あ、じゃあもしかして今から……」


 うっすら聞こえた会話に、俺は寒気がした。

 噂というのがどのくらいの信頼度かは知らないが、少なくとも今あの先輩は紫埜をガッチリロックオンしている。

 これはマズいと、俺の本能が忠告していた。


 とっさに体が動いた。

 乗客を押し退け、紫埜の方へ向かおうとした。

 しかし、そんな中声が聞こえてくる。


「君、柊華院学園のギャルだよね? 制服を隠してもその顔じゃわかりやすい」

「……は? だから何?」

「僕、近所の高校に通ってるんだ。よかったらこれからご飯でも行かない? 奢るよ」


 人の間から顔をのぞかせると、野球坊主は既に不機嫌なギャルに声をかけていた。

 告白というよりはただのナンパである。

 金持ち相手に奢りで釣ろうとする舐めた作戦に、紫埜は怪訝そうな顔をしていた。

 だが、すぐに思い出したかのように口を開く。


「あの日同じ電車にいた野球部の人だ」

「あ、覚えてくれてる? 君が襲われかけてたあの日だよ」

「……そうだね」


 言うや否や、用は終わったと言わんばかりに下を向く紫埜。

 そんな仕草に先輩は、苦笑しながら声をかけ続けた。


「最近家出中なんだろ? うちで匿うよ?」

「何言ってんの」

「え?」

「は?」


 当然、紫埜は家出なんてしていなかったため、話が噛み合わない。

 先輩は堪らず後ろを見た。

 そして同乗していた友人らしき男に、何か文句を言っている。

 口の動きを見るに、『話が違う』だろうか。

 うーん。


 ずっと引っかかるところがあった。

 それは、この噂を野球部の先輩一人が広めたのかという点だ。

 受け入れている時点であの野球坊主が黒幕の一人なのは確定だが、単独犯だとは思えなかった。

 だがしかし、その謎が今のやり取りで少し解けた。


 どうやら今話しかけられた男も共犯みたいだ。

 野球部の先輩の武勇伝を二人で工作し、その友達が流布。

 で、尾ひれがつきまくって今に至る——と。

 大体そんな感じだろう。


 それにしても、不思議な先輩だなぁと俺は思う。

 彼をヒーローと勘違いしているのは部外者で、目の前にいるダウナーギャルは彼が無関係で傍観していただけだという事実を知っている。

 あいつに自分の武勇伝が嘘だとバラされたら怖いとか、思わないのだろうか。

 同じ車両には同学の生徒もたくさんいるのに。


 まぁしかし、電車内だからそんなに大声で騒いでいるわけではない。

 いくらでも誤魔化しようはあるか。

 あの先輩達としては、今目の前のギャルの気を惹ければそれでいいわけだし。

 家出しているという噂を流していたのはデマ拡散目的でも何でもなく、当の本人達も勘違いしていただけだったようだからな。

 少し押せば落ちると本気で思っていてもおかしくない。


 と、そこで不意に野球坊主は俺の方をちらりと見た。

 そしてすぐにわかりやすいほどに表情を変える。


「チッ、降りるぞ」


 流石に俺がいてはやりにくかったのか、降りようとする。

 しかし、逃すかよ。

 そこを俺が腕を掴んで止めた。

 ギョッとする野球坊主に俺は極力にこやかな笑みを浮かべる。


「あれ!? 噂の”ヒーロー”先輩じゃないですか!」

「ちょ、おま!」

「俺先輩のファンなんですよ~。よかったら降りて一緒にお茶しません?」

「……わかったよ。だから腕を放してくれ」


 無意識に握りしめていた腕を放し、俺達は間もなくして停まった駅で降りる。

 本来降りる予定の駅ではないが、とりあえずコイツと話をする方が先決だろうと、そう思ったのだ。

 こいつと一対一なら、紫埜を巻き込まずに噂を撤回させられるかもしれないからな。

 先ほど学校で考えていたような面倒な策に出る必要がなくなった。


 なんて思っていたのだが。


「……佑己君、いたんだ」

「なんでお前も降りちゃったかな?? 意味ないじゃん」

「悪いの?」

「いいえ。滅相もないです」


 横を見るとダウナーな金髪ギャルがいた。

 何故か俺について来ていたのだ。

 しかもついでに、それに釣られて一緒に乗っていた同じ高校の連中も軒並み付いてきやがった。

 これじゃ穏便に解決もできやしない。


 そんな時だった。


 目の前の野球坊主が逃亡を決した。

 踵を返し、猛ダッシュをする先輩。

 

「あっ、逃がすな!」


 誰に言うわけでもなく必死に叫ぶが、俺の足では運動部には追い付けない。

 駅のホームで爆走するという超迷惑行為に、常識人の俺は少し怯む。

 そんな隙に彼はスピードを上げた。

 どんどん小さくなる背中に、諦めかける俺。

 しかし、幸運にも先輩は程なくして派手にこけた。

 まるで誰かに足を引っかけられたかのように、駅のホームで這いつくばる。


 数人によって、もはや痴漢の犯人のように取り押さえられた先輩に、俺は腰を落として話を始めた。

 周りの生徒がいるのが邪魔だが、こうなってしまったからには仕方がない。


「おいお前、なんで学校ででたらめな噂を流してる?」


 聞くと先輩は、顔を真っ赤にして周りをきょろきょろ見た。


「な、何の話だよ」

「まず、お前が柊華院のギャルを助けたって話になってるのはなんでか聞いてるの。お前、あの日は傍観してるだけで何もしてなかったじゃん」

「え、いや……べ、別にそんな噂を流したつもりは」


 雲行きが怪しくなってきて、ギャラリーもヒソヒソ話に夢中だ。

 ヒーローと思っていた男がただのホラ吹きと知れば、そりゃ冷めるだろう。

 そんな様子に今度は先輩は顔を青くする。

 器用な奴である。

 俺はそんな先輩を見ながら隣の当事者に聞いた。


「なぁ紫埜、あの日お前を助けたのは誰だ?」

「はぁ? 君でしょ? 何をそんな当たり前の事」

「だ、よ、な」


 俺は紫埜ではなく、先輩を見ながら大きく頷いた。

 そして、そのまま顔を近づける。


「まぁそんなデマはどうでもいいんだ。俺は別に目立ちたいわけじゃないからな」

「じゃ、じゃあ何のためにこんな、わざわざ追いかけてまで……」

「その後のエスカレートした噂の件に決まってんだろ」

「……」


 俺は別に自分の手柄を横取りされて、学校でちやほやされていた事にキレているわけではない。

 その後、紫埜に対して家出中だのヤれるだの、好き放題滅茶苦茶な噂を流したことに怒っている。

 勘違いした男にこいつが襲われでもしたらどうするつもりなんだと、そう言いたいだけだ。

 

 静まり返る場の中、一般の人々は俺達を避けていく。

 と、そこでぬっと人影が二つ現れた。

 一つは良く知るもの——恐らくこの先輩を止めるために足を引っかけた女だ。

 今日は部活がないと言っていたから、なんとなくこの場にいるような気がしていた。


 そしてもう一つの影は、先程車内にいたこの先輩とグルと思わしき男子だ。


「いいところに助かった」

「本当に偶然よ」


 犯人を連れてきた小唯に、俺は感謝を述べる。

 チラリと紫埜を一瞥する小唯を他所に、俺は視線をグルの先輩に戻した。

 そしてそのまま聞いた。


「なんであんな噂を流したんだよ。こいつが家出中とか、男の家を転がり回ってるとか」

「……そ、それは俺達も騙されたんだ。実際、柊華院に通ってる男子からもギャルには男がいる的な話を聞いたから」


 言われて、ギクッとした。

 その男って、もしかして俺の事では。

 ずっと黙っている隣のギャルを見ると、彼女は既にいつも通り退屈そうにスマホを見ていた。

 こんな場面で、相変わらず大物の器である。

 ここまで慌てた俺が馬鹿らしくなってくるから勘弁してほしい。


 興覚めと言わんばかりに去っていくギャラリー。


 駅のホームに膝をついて、学校の奴らに自分たちのウソがばれて。

 きっと明日にでもこの話は拡散されるだろう。

 十分お灸は据えたはずだ。


 俺は最後に先輩二人組にしっかりと言った。


「二度と意味不明なデマをバラまくなよ」

「わ、わかった! ……でも、一つ聞いていいか?」

「なんだよ」

「そのギャルとお前、どういう関係だ」

「……」


 純粋に聞かれ、困る。

 周りにはギャラリーも数人残っているし、小唯もいる。

 何と答えたものか。


 なんて俺が言い淀んでいると、隣の紫埜から口を挟まれた。


「……ただのギャルと、ヒーローだよ」

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